高田文夫のおもひでコロコロ

2021.09.30

第9回『台本屋(ほんや)は最高』

「73歳のブロガーデビューもいいけど反応があまり無いなあ」とボヤいていたら、前回のもので大さわぎ。ポスターとか本の表紙も資料的には「さすが高田センセー」ではあるが、古い台本、それも実際に40年前50年前 私が書いたものを載せたら「圧巻」「イヨッひとり芸能史」「勤続50年 御苦労様」「桜井・相葉良かったネ」の声が この一週間やたら届きタダとは言え書いといてよかったなと思う次第。

言われてみればテレビの台本など普通の人やカタギの人の目にふれる物ではないから珍しいのだろう。放送台本というのは脚本家(放送作家とか構成者と呼ばれる)が「テレ原」(テレビ用原稿用紙)に書き出すところから始まる。テレ原は400字詰原稿用紙の上100字分が白い部分で、その下に300字。上の白い所は「ト書き」と呼ばれる演者の動きやらセットなどを書き込み、下に台詞とか音声を書き込む。昔は1枚1分と計算され、30分番組だったらおよそ30枚で書く(それを私は2時間で書く)。テレ原はバラエティ作家用に各テレビ局が用意してあるもので、ドラマなどは400字詰、200字詰をそのまま使って書く場合が多い。何しろ私はスピードだけのなぐり書き 走り書きで書くから、若き日はまさに”早い・安い・うまい”と吉野家のように呼ばれた。そのくせ ひたすらギャラが安いのだ。

昔はガリ版で台本を刷っていたので、夜中 放送局で台本を書きあげると日テレでもフジテレビでも私の文字が判断できる印刷屋のおじさんが1人ずつ居て、明け方来て私の原稿をもって印刷所へ。私の字を間違えないよう適切にガリを切ってガリ版で刷って昼過ぎにはディレクターのデスクに50部とか100部とか製本されて届けられる。ディレクターはそれを読み、必要な音とか小道具を用意し(セットなど大きなものはディレクターと作家が打ち合せをして あらかじめ決めて発注してある)カット割りして、本番スタンバイ。タレントが集まり 本読みして各々覚えアドリブをふくらませ、いざ本番。ディレクターのカット割りが入った台本を見ながらカメラさんは それを押さえ タレントは熱演する。「ハイOK‼」の声。終わればその場で台本を各々ゴミ箱にポイッ。これだから奇跡的に残っていることに価値があるのだ。本番が終わればお役御免。本番までの命なのだ。それが台本であり台本書きなのだ。番組の土台を作る本だから台本。ディレクターにはそこに映像が残る ビデオが残る 栄光が残る。我々は文字通り「送りっ放し(おくりっぱなし)」と書く作家なのだ。”放送”とはそういう事だ。「残す」という事を前提にしていないから残った私の台本はホコリだらけでも価値があるのだと思う。最初から50部しか刷ってないのだから希少。前回タイトルの他に「役名」とタレントの名を列挙しておいたら「あゝ ”かくし芸”でフランス語の”忠臣蔵”覚えてる」とか「あの伝説のアラカン、嵐寛寿郎と20代で仕事してたの!?」とおどろきの声も沢山届いた(嵐寛寿郎 1903~1980)。嬉しい反応である。実績、体験、キャリアをこうして目で見せると高田文夫がやってきた「軽い」文化の「重み」を知るようだ。「リスペクト高田」「ディスカバーFUMIO」でもある。

「岸田文雄 新総裁と 一字違い」である。私の「文夫」はわざと軽くみせる為のペンネーム。本名は父と文豪・丹羽文雄がいつものように銀座で吞んでいる時に私が生まれたので、その場で「文雄」と名付けられた。「雄」だと文豪っぽいので勝手にコントを書く時「夫」とした。「岸田文雄」「高田文雄」たった一文字。

嬉しかったのは爆笑問題・太田光が深夜の「爆笑問題カーボーイ」で私のブログがいかに面白く いかに貴重か30分にわたって喋ってくれたことだ(9月28日深夜TBSラジオ)。太田は古いこの世界の話やら芸人タレントのことを私と同じように根っから面白がりリスペクトし愛しているからエンターテイナーとして素晴しく、さすが私の後輩、日芸ウラグチ男なのである。「クラマ天狗だよ、アラカン。日本の夜明けは近いって。あの大先生と高田センセーが20代で仕事してるんだよ。凄くない!?アラカンのコントだぜ。高田センセーが20代の時アラカンは生きていたって事だから。それが”ビバリー”きいてたら3才の”まいごのまいごのコネコちゃん”の ののかちゃんゲストに呼んでど~しようっつんだよ。73才と3才がラジオで喋ってんだぜ。どうなってんの。アラカンから ののちゃんって、どれだけ巾広い芸能史なんだよ。」

<閑話休題>

このブログ 太田クンしか見てないのかな。これを読んでいる貴方!1人につき3人には この「おもひでコロコロ」をすすめて下さい。これがネズミ年生まれのネズミ年(どし)講です。トートツですが ここで一言。初めてソープ(昔はルートコなんて事を申しました)へ行った時の少年の感想。『どこからともなく 洗われた』。お前は月光仮面か。すいません つい筆もマットもすべってしまって   

大好評、古い台本コーナー。<台本営発表>です。今回はお子様向け<こども番組>でも大忙しだったという話から。CXで野田宏一郎氏(のちにテレワークを創立し初代社長になった。SF作家としても高名)と「ひらけ!ポンキッキ」を企画して立ちあげたので子供番組で実績。この番組に悪友・作曲家の佐瀬寿一を送り込み いまだにギネス記録の「およげ たいやきくん」を生み出した。

昭和52年 NHKの幼児番組班に呼ばれ翌年から「こども面白館」(土曜日18:05~18:45)放送。メインMCは良い子のお兄さんだった坂本九。この番組の中に15分ほどの「立体講談」というコーナーを作ることになり 毎回手に汗にぎるお話を。坂本九はご存知の通り芸達者な上に世界の”スキヤキ”で川崎の色町生まれ。紙芝居に合わせて講談を語っていくのだ。伯山よりも40年以上前から私は毎週毎週新作講談を書いていた。

表紙をよく見れば分かるが「近代スポーツ名勝負物語」とあって第1回が「長嶋・村山 炎の対決!!高田文夫」とある。天覧試合である。「栃錦と若乃花物語」やら「力道山物語」など毎週毎週書いていた覚えがある。45年も前に伯山の”講談”を、山田雅人の”かたり”を書いていたのだ。世界の坂本九には本当によくしてもらった記憶がある。「高田クンの台本は語りやすい、覚えやすい」と ほめられた時は思わずNHK帰りに宇田川町で一杯やったものだ。ソープへは寄らなかったけど・・・。

「サザエさん」とあるのはCXの火曜日に「ワイスペ」と呼ばれる長い特番枠があって毎週色んな企画をやったのだ。「オールスター水泳大会」やら「野球大会」。その中の1本で「TVスーパーヒーロー傑作選」なんだろう。他局では考えられないけどCXならではの「サザエさん」いじりである。価値は下の2名の連名。「原作 長谷川町子・脚本 高田文夫」という所が見巧者のポイントだ。そう言えばテレ朝(昔はNET)の大みそかでは長いこと何年もスペシャルで「忍者ハットリくん」特番をやっていて、あれも5年位 久世光彦さんの事務所(KANOX)制作で一緒にやっていたニンニン。シシマル人形が私の机に置いてあった。

<お子さま番組>につづいては<歌番組>。あの頃(昭和40年代~50年代中頃)は、歌番組の大全盛時代で何をどうやったか何ひとつ覚えていない。古いもので昭和49年(1974年)の「ハッピー!アグネス」があった。たしか「ハーイ アグネス」の次の番組ではなかったか。アグネス・チャンが大ブレークした頃である。プロデューサーの所に尾木徹(渡辺プロ)とあるが当時のアグネスの担当、今やあの、あの尾木プロの首領である。この頃アグネスやら天地真理の番組、ラジオでは奥村チヨの「チヨのひとり言」なんて乙女チックな台本を書いていた。「恋の奴隷」からいよいよ「終着駅」へという時代背景である。フィンガー5が出てきて日テレで「時間だョ アイドル登場」なんてのもやった。徳光和夫のMCでフィンガー5、ずうとるび、ゴールデンハーフスペシャルなんてところがレギュラー。ずうとるびが居たからコントは作りやすかった。

歌番組でコントと言えば誰もが大好き「せんみつ・湯原 ドット30」(TBS)。木曜日の夜7時から30分間。なんたってタイトル通り30分で30曲は必ず入れるんだからショートコントの数も物凄い。歌と歌のつなぎで、すべてオチを付ける神技。テンポのいい せんだみつお&湯原昌幸のコンビが最強。セミレギュラー的に山口百恵やらキャンディーズ、あゆ朱美と名乗っていた戸田恵子ら。どれほど短いコントだったか    

<例>

●A 五木ひろしのように歌う

 〽長崎から 船に乗って

  長崎に着いた~~~ッ

●一同 コケながら なだれ込んで来て「神戸に着くんだろ!」

 A 「これ、遊覧船だから」

●一同 激しすぎるほどのズッコケ

<例>

●ビール瓶を持って山口百恵歌う

 百恵「〽これっキリン、これっキリン?もう これっキリンですかぁ~~ッ」

●せんだ 飛び込んできて飛びげり

 「サッポロだよ!!」

 百恵ふっとぶ。

想い出して自分の作品を書いてみたのですが、量がハードなので作家陣は3チームに分かれて順番に担当制。私は田村隆チーム。他に前川宏司班と奥山侊伸班があって3ツのローテーションで書いていた。20代30代で これ程の需要があってそれを寝ないでこなしていたんだから今思えば我ながら凄いと思う。「ビートたけしのオールナイトニッポン」が始まるのは、これのずっとあとの話だからネ。

「オレたちひょうきん族」の話は色んなところで語られているので大丈夫でしょう。昭和55年に”漫才ブーム”が起きて(THE・MANZAI、花王名人劇場とCXが中心)テレビは一変。56年の元日が「たけしのANN」(LF)スタート。夏に「ひょうきん」の特番、秋からレギュラー化。ツービートも大忙しで各局でレギュラー。左はTBSの日曜昼にやっていたもので「ツービート 笑ってゴマかせ!」

 

これを知ってる人は可成りの通人。レギュラーは私の好みを入れすぎまして中原理恵、魁三太郎、片岡鶴太郎。作・構成は私。上に監修・前川宏司とあるが、この人も私の師匠筋にあたり、40代の若さで白血病で亡くなった。NHKの「お笑いオンステージ」内、三波伸介座長の「てんぷく笑劇場」を丸々10年ひとりで書きつづけた。そのあと私が三波伸介の座付き作家になったので「てんぷくトリオ」の作家系譜は井上ひさしから前川宏司そして高田文夫ということになる。「ひょうきん族」でのテロップは「高田ギョロメ文夫」。これは弱きをくじく「タケちゃんマン」の台本である。

それでは最後に珍品中の珍品を   

これは あのシャネルズがロスアンゼルスへ殴り込んだ時のものだ(私はロスで返り討ちにしてやった)。いやぁ~シャネルズ格好良かったなァ。勿論 私も顔はいつも黒塗りだ。そういえば最近みかけないけどマーシーになんかあった?田代まさしが司会やってたから振り返り特番でも一切流せない番組VTR「GAHAHA(ガハハ)キング」。審査員が私、テリー伊藤、みうらじゅん、なぎら健壱。最強のおっさん4(フォー)。そこへ復活をかけて爆笑問題がみごと10週勝ち抜いたんだけど、まったくVは流れない。    それより「シャネルズ」のちの「RATS&STAR」だ。これ、下から読んでもRATS&STARって知ってた?「談志が死んだ」と同じ回文というものである。まあ今回はこれくらいにしといたるわ。次回がすごい。

2021年10月1日

高田文夫

 

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    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。