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2024.03.15

プロレスラーの棚橋弘至さんに聞く”新日本プロレス社長”のお仕事。

プロレスラーで新日本プロレス社長の棚橋弘至さんが登場。

「100年に一人の逸材」、「太陽の天才児」、「新日本プロレスのエース」という

ニックネームを持つ“プロレスラー棚橋弘至”の誕生話や、

選手と社長の両立について、

さらに著書「その悩み、大胸筋で受けとめる 棚橋弘至の人生相談」

(中央公論新社)にも記された、

人間関係に悩んだ時や辛いときの乗り越え方なども伺いました。

 

 

新日本プロレスリング HP コチラ

公式X(旧twitter) コチラ

NEW JAPAN PRO-WRESTLING ch.(YouTube)  コチラ

 

 

新日プロレス社長に就任

昨年12月に社長に就任。新日本プロレスをV字回復した。

選手兼社長は藤波辰爾さん以来19年半ぶり。

プロレスは他のプロスポーツに比べ長く現役を続けられるスポーツ。

体力や体の維持を食事の面と運動面の両方から行い、

試合の時に一番いい状態のピークをもってくる。

今まではレスラーとして試合のない時は練習に充てられたが、

今は、平日試合がない時は出社するという中、

練習時間をどこで確保するか。休みがなくなった。

しかし自分は生まれてから疲れたことがない。

プロレスビジネスが下がり、

会場になかなかファンの方に来てもらえなかった中で

「大丈夫、俺ならできる」と信じてやり続けるしかなかったので、

メンタルは鍛えられた。

今はたくさんのファンに来ていただき、会場が盛り上がり、感謝しかない。

選手面ではIWGP世界ヘビー級チャンピオンベルトを目指す。

社長の面からは全体を見ないといけない。

レスラー・棚橋と社長・棚橋、二人いる感覚で分けてみてほしい。

 

 

プロレスラーになるまで

もともと祖母がプロレスファンで猪木さんが好きだった。

子供の頃はテレビのプロレス中継があり、一緒に見ていた。

高校の時にプロレス熱が再燃。大学に入り、レスリングをやり、

入学時は68キロだったが、4年間で90キロに増やした。

筋トレは中学から始めた。

野球部でピッチャーになりたくて、筋肉がついたら

球速が速くなると思い、トレーニング入門の本を購入し、

1ページ目から順番にやっていた。

トレーニング方法は身に付いたが、食事面の知識が欠けていて、

大学に入ってから、たくさん食べ始め、一気に体重が増えた。

大学1年のとき、クラスの自己紹介で、プロレスラーになりますと言った。

有言実行でプロレスラーとして卒業した。

大学2年生の時、初めて入門テストを受けた。

全部種目はできたがその時は合格者なしだった。

テストは基礎体力。スクワット500回、腕立て伏せ50回を4~5セット、

ブリッジ3分などをやった。

自分はテストに2回落ちて3回目に合格した。

自分が合格した時は、50名が受けて、残ったのは5人。

その中でデビューできたのは3人。割と狭き門。

 

 

プロレスラー・棚橋弘至

プロレスラーとして自分は小柄な方。

外国人の大きい選手だと120kg、130kgという選手もいる。

そういう選手でも倒せる技を考えた時、

トップロープから高く飛んで落ちたらいけるのではないかと思った。

「ダイビング・ボディ・プレス」は昔からある技だが

それに“ハイフライフロー”というかっこいい技名を付けて

今っぽくアレンジした。

飛んで着地した時に膝を打つので、膝が変形し、今厳しい状態。

膝の靭帯が自分は今、8本中4本しかない。

治療しながら、膝周りの筋肉を鍛え、筋肉で膝関節を抑えている。、

息が上がり苦しくて、ダメージがあっても、会場で棚橋コールが起こったり、

盛り上がったりすると不思議と立ち上がれる。

「お客様のために」があるから頑張れる。

勝ち負け以上に、見に来てくれたファンが楽しんでくれたか

ということを思うようになった。

プロレスは毎日試合があるので、次の日に引きずることができない、

悔しい気持ちは自分の中に一度閉まっておく。

同じ対戦相手や、同じシチュエーションになった時に

その悔しさの引き出しを開け、その時の感情を思い出して相手にぶつける。

この忘れるという能力が大事。

プロレス以外でも落ち込むとその日一日だめになったりするので、

「忘―れろ!」と、自分でスイッチを作って次に向かう。

 

 

棚橋弘至の人生相談

ベストファーザー賞を受賞。

プロレスラーは初の受賞ということで嬉しかった。

著書「その悩み、大胸筋で受けとめる 棚橋弘至の人生相談」(中央公論新社)

は悩みに答えていたものを本にまとめたもの。

人生相談は初めての経験だった。

相談するのもパワーがいることなので、

その思いに何とかこたえたいと思い、いろいろな解決方法を提案して

その中でこれはどうですか?というようにとても熱量をこめてやっていた。

たとえば、苦手な上司がいますという悩みには、

顔を笑顔でFIXできるようにがんばってくださいとこたえた。

ニコニコ挨拶はする。そうすれば人間関係はうまくいく。

自分は常に笑顔。母がずっと笑顔の人だった。

「楽しくなくても楽しそうに生きることはできる」

楽しさの基準は自分の中にしかない。いいことばかりではないけれど、

受け身をとって楽しさに昇華できる、

いいこともあれば悪いことがある。

最期人生を終えるときには平均したらトントンだと思う。

今、悪い時だったらこれからいいことがあるという考え方でいけば、

辛い時も乗り越えられる。

 

 

棚橋弘至のこれから

今後のビッグマッチは、まず、4月6日(土)「両国国技館」での試合

そして、4月14日(日)には久しぶりの「台湾大会」がある。

コロナ禍以前は台湾で頻繁に大会をやらせていただいた。

台湾はケーブルテレビなどでプロレス中継を見てくれている人が多い。

平成初期のプロレスがずっと繰り返し流れている番組があるようで、

結構、新日本プロレスを知ってくれていて、会場も満員になり盛り上がる。

そして、5月3日(金・祝)、4日(土)「福岡国際センター」で2連戦。

今タイトルがたくさんあるので、タイトルマッチを2日間、

バランスよくいれて興行が2日間盛り上がるようにする。

タッグマッチもある。今は4対4や、5対5もある。

10人がリング上でぐちゃぐちゃにもなる。

基本的なルールは1対1で戦わなくてはいけないが、

プロレスはルールが割とファジー。

レフリーがみてなければ反則がとられない。

一人がレフリーを抑えて後ろでぼこぼこやっていたりすることもある。

こんな曖昧なスポーツはないが、そこが面白さでもある。

プロレスラーになった時は社長になるとは考えていなかった。

プロレスという競技を終えた後のセカンドライフは

やはり新日本プロレスのことを考え、よくしていきたいと思っている。

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