あさナビ

2020.02.14

内田真弓さん語るアボリジナルアートの魅力

アボリジナルアート・コーディネーターの内田真弓さん登場。

オーストラリア大陸と周辺島嶼の先住民であるアボリジニとの出会い

そして彼らが描くアボリジナル・アートの魅力とは・・・

新宿で開催『アボリジナルアート展』への思いも伺いました。

 

©️萩原美寛

ツイッター コチラ

アボリジナルアート・ギャラリー

 

アボリジナルアートとは

現在、オーストラリアのメルボルンを活動の拠点としている。

オーストラリアの先住民・アボリジニは

狩猟や採集をしながら、水を求め移動し続ける民族。

文字を読んだり、書いたりする環境では育っていないため、

絵を描くことは、芸術ではなく、いわばコミュニケーションの一部と言える。

大地のルールや水辺の場所など、生きていくために必要な事。

耳で記憶し、目で記録する事で、継承してきた。

1967年に市民権を取得。一括りにアボリジナルアートと言っても、

とても幅広く、砂漠の中心で暮らしている、アボリジニの人々と、

比較的都市の近くで暮らしているアボリジニの人々のアート

では大きな違いがあり、その全てを取り上げる事はとても難しい。

 

アボリジナルアートとの運命的な出会い

最初はアボリジナルアートを見ても何を描いているのか、

全く意味が分からなかった。

しかし、初めてギャラリーで目にした、1枚のアボリジナルアートを見た際、

大きな衝撃を覚え、とても興味を持つようになった。

その絵は、砂漠で生まれ育ったという、

西洋美術から一番かけ離れた環境で、生涯を終えた、

86歳の女性が描いた絵だった。

今のように、アボリジナルアートとして認められるまでは、

キャンパスのほとんどが、自分たちの体の上や砂の上だった。

アートとして描かれていたわけではないため、

そのほとんどが書いては直ぐに消える儚い物だった。

 

人生の転機

1994年に日本語の講師として、オーストラリアへ渡った。

小さな村で1年間指導し、帰国する直前に、

お土産を買うためにメルボルンへ向かう途中、

急な雨に見舞われ、軽い雨宿りのつもりでギャラリーの中に入った。

そこで、偶然初めてアボリジナルアートと出会った。

大きな感動を受け、次の日もギャラリー足を運び、

そのギャラリーのオーナーから、

「ギャラリーのスタッフをやらないか」と誘われ、

結果的にそこで6年間働く事となった。

実際にアボリジニの人々に会いたいと思い、

砂漠に出向こうと思ったが、現場は遠く、許可書も必要だった。

苦労の末、アボリジニの居住区に入れるようになり、

実際のアボリジニと触れ、アボリジナルアートへの思いが強くなった。

 

『アボリジナル・アート展』について

自身がプロデュースを務める『アボリジナルアート展』、

日本から8千km離れた、オーストラリアの中央砂漠の

居住区で生まれたおよそ70点もの作品を紹介している。

トークショーも予定していて、オーストラリアの砂漠から

東京まで絵を運ぶにあたり、どのような苦労があったか、

また、現地の様子を知っているからこそわかる

アートの魅力を出来る限り伝えたいと考えている。

実際アボリジニの人々は、市民権を取得するまで、

ひどい扱いを受けていた時期もあった。

今では、アボリジナルアートが、彼らと社会を繋げるツールになっている。

 

アボリジニとの対話

初めて、アボリジニの居住区へ行った時は、

アジア人というだけで、警戒され、最初は無視されているような状態だった。

アボリジニは英語以外にも、様々な言語を操る。

ルリチャ語、ピンタピ語、ピチャンチャチャラ語、アマチャラ語。

自身が何者なのかを分かってもらいたい一心で、

メルボルンから通い続けた。当時習っていた空手を披露した時、

その動作を見て、『面白い』と初めて興味を持ってもらう事が出来た。

1年に1度行われる、女性だけの儀式に呼ばれた時は、

とても嬉しく感じ、1番の思い出となっている。

『アボリジナルアート展』を開催するにあたり、

様々な居住区へ足を運び、様々なアボリジナルアートをセレクトした。

1人でも多くの人に、アボリジニ、

そしてアボリジナルアートの真髄が伝わればと思っている。

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