「あさぼらけ」でも話した通り、17日に高校卒業40周年同期会がありました。
高校を卒業して40年。若い人にとっていったい何時代の事なんだという話です。
当時、勉強はダメ、スポーツもイマイチ、部活も中途半端というまったくもってうだつの上がらない悶々とした青春時代を過ごしてしまった私。
しかしこのような仕事をしているが故に司会をやってくれと頼まれます。生徒会をやった訳でも先生に知られた存在でもなくクラスの人気者でもない存在だったものだから、できれば壁際でうひゃうひゃと仲間うちで地味に当時の話でもしていたいのですが、同窓会幹事長がクラスの友人だったこともあり断るに断れません。
とまぁ愚痴めいたことを書いていますが、やはり楽しかったですし人は皆様々な事情を抱えて、それでも生きているのだなと思った次第です。
17時からの1次会と2次会を続けて同じ場所で行うというので、次の日も早いので1次会で失礼するかもしれないと伝えたところ、次の司会者も決めておいてくれたのですが、なんだかんだで結局会がお開きになるまで司会をやっていました。
すると司会を頼まれていた同期がやって来て「俺さぁ、5月に肺癌の手術をしたばかりでさぁ、ずっと立ってると辛いんだよねぇ。助かったよぉ」と言います。立食パーティーで。
「早く帰って休んでくれ!」としか言えませんでした。
「旦那は7年前に亡くなって、今の一軒家を売りたいんだけどなかなか売れないのよ」と教員生活を続けるクラスメイトがふともらしたところ、建築関係、不動産関係の同期がどうやったら売れるかをあれこれアドバイスしていました。
「某企業の不祥事で幹部が深々と頭を下げて謝罪する横で、事務方として〇〇も頭下げててさぁ、TV観てて驚いたぜぇ」「でもなんか似合ってるなぁ、そういうのアイツに」とか。
「13年間単身赴任やってて久しぶりに家に戻ったんだけど、子ども達も独立してカミさんと二人きりなんだよぉ。一人で暮らすことに慣れちゃったからもうどうしていいかわかんないんだよぉ。犬にばっかり話しかけてるんだけど、これがまた老犬でさぁ、いつまで生きてるか……」など。
軽音楽クラブで、放課後の校舎にツェッペリンやパープルを鳴り響かせていた校内有名バンドのリーダーは、大手企業の役員まで勤め、なにやら社長然とした風格すら漂っているなと思ったら、本当に今は系列会社の社長になっていました。にもかかわらず「9月にあのメンバーでライブをやるのでよろしく!」と宣伝していましたねぇ。
そして一番の共通の話は、やはり親の介護でありました。アメリカで輸入業みたいなことをやっていた人生漂流者的生き方をしていた男は、日本に帰って来て父親の食事など身の回りのことをすべてやりながら二人で暮らしていると言います。
やはり人は皆様々な事情を抱えて、それでも生きているのです。

すでに物故者も数名でている同期でありますが、なんとか健康に還暦なんぞを迎えたいものであります。
当時の先生がお二人お見えになりました。先生方もどうぞいつまでもお元気でお過ごしください。

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