先週の「金曜ブラボー。」の14時台のお客様は、作詞生活35周年を迎えた岩里祐穂さんでしたが、事前の資料にTBSラジオの深夜放送、林美雄アナウンサーの「パックインミュージック」のリスナーだったとありました。
「ひこうき雲」でデビューしたばかりの荒井由実さんの「雨の街を」がラジオから流れてくるのを明け方にお聴きになっていたそうです。
さすがに深夜3時から5時の番組だったので途中で寝てしまう事も多かったのですが、私も中学3年から高校にかけて聴いていたので、しばし当時のお話で岩里さんと盛り上がりました。
この手の話は、同世代でも当時番組に接していなければ何の話やらということになってしまうので、放送では少ししか触れませんでしたが、あの頃同じ空気を早朝に吸っていたのかと思うと、おぉ!同志よ!という感情が湧いてくるのですねぇ。
プロレスに関する作品を多く書かれているノンフィクション作家の柳澤健さんが書いた「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」(集英社)という本があります。
深夜3時からの林さんの深夜放送が終わると聞いたリスナーがそれはダメだという運動まで起こった、知る人ぞ知る番組にかかわった人々にインタビューし、アナウンサー林美雄さんの人生を辿る労作です。
作詞家の岩里祐穂さんにもお薦めしたところ、必ず読みますとおっしゃっていました。

林さんの同期アナウンサーの久米宏さん、ユーミンを始め当時のスタッフ、熱心なリスナー、林さんの奥様などそうそうたる方々がインタビューに応じています。
作家の柳澤さんはなんと私にもインタビューして下さいました。林さんは自分がアナウンサー的な声であることを嫌い、両切りの缶入りピースを吸って声をつぶそうとしていると番組で話していたことを覚えていることなどが載っていました。
本当に単なるリスナーだったので深みのある話が出来ずに申し訳なかったのですが、林さんに無名時代のユーミンやタモリさんや原田芳雄さんや松田優作さんなどが登場するATGの映画作品などを教えていただいた恩返しを少しでもできてきたらと思いました。
本には掲載されませんでしたがこんなこともありました。
私のラジオデビューは深夜1時からの時代に移った「パック」でした。学生が集まって企画したラジオCMコンクールで、自分でコピーを書いて慶応の放送研究会のS君と二人の掛け合いでビール会社のCMを作り応募したところ、最優秀ではなかったですが賞を獲りました。
つてを通じて林さんにこのCMコンクールの話を持ち込んだところ、林さんは快くというか、無謀にも私たちの作品を番組で流してくださったのです。
スタジオの外で見学して、放送後も興奮さめず仲間と赤坂から四谷まで歩き四谷の土手で夜を明かしたものでした。
「1974年のサマークリスマス」を読み終わり、なぜあの時林さんが私たちにあんなに良くしていただいたのか、その理由もよくわかりました。
ラジオのアナウンサーになった私は、数年後林さんにお会いすることが出来ました。その後もコンサート会場などで時々お会いし、いつも温かい言葉をかけていただきました。そしてこれからも、もっともっと様々なお話を伺いたいと思っていました。
本の最後に2002年7月13日早朝に林さんが58才で亡くなったとあります。そうです、林さんは私の年齢で逝ってしまったのでした。

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