株式会社Life assist 代表取締役 中澤幸太
2015年、東京消防庁へ入庁。
その後、不動産会社や清掃会社を経て、
2020年、現在の株式会社Life assistを設立。
竹内:凄くオシャレですね、アロハシャツっていうのかな。茶色のアロハシャツでパイナップルがたくさん描かれていて、胸元にサングラスも。
中澤:夏はいつもこんな感じで、ラフな感じ。
竹内:興味深いプロフィールなんですけれども、もともとは、東京消防庁の公務員として働いてらっしゃったんですね?
中澤:そうですね、私は港区の高輪で、実際に消防士としてポンプ車に乗って活動していました。
竹内:大変そうですよね。
中澤:そうですね、訓練もあったり、火災現場とかは、人がどちらかというと離れていくところに向かっていく仕事ではあるので。夏はもちろん暑いですし、火災現場も暑いですし、そういった体力面含めて大変な部分はありましたね。
竹内:安定はしてるわけじゃないですか。それを辞めて離れるっていうのはかなり大きな決断だったのではないですか?
中澤:そうですね。私はほぼ悩み無く、ただ、その当時、今の妻と結婚して四年ぐらいだったので、私が辞めるってことに対してはもちろん反対の面もあったんですけど。間違いなく反対されると思ってたので、僕は辞めてから言いました。
竹内:え~、恐ろしい。
中澤:今月で辞めるんですっていう話をして。強制的に自分を追い込んだじゃないですけど、安定が逆に僕を駄目にしていくような気がして、そのままズルズルと進んでいってしまうような気がしたので。
竹内:それで、ご自身としては、思い切って新しい仕事を始めてみようと?
中澤:そうですね。営業をしたくて、人と話す営業のノウハウっていうのは、多分今後自分が生活していく中でどこでも多要になってくるキャリアだと思うので。営業を学びたいっていうところで。営業職としてずっと就職活動をさせていただいて、それがたまたま不動産会社だったと。消防庁を辞めて一ヶ月経たないくらいに再就職難ですね。
竹内:それは奥様もちょっと安心ですね。
中澤:そうそうですね。
竹内:そこの営業職はどの位やられていたんですか?
中澤:そこは1ヶ月もいなかったです。そのぐらいで辞めてしまった。理由は、面接のときに僕は、実際に人と会ってその人のニーズに合ったご提案をしてって、そういう営業をしたいんですっていう話をして。それができますよと言われて、その日のうちに採用されたので、そのスピード感で僕も入ったんですが、蓋を開けてみたらほぼ電話営業で。辞めました。で、そこを辞めようとしたときに、その後に入ると清掃会社の方が共通の知り合いにいて面白そうだよって話を聞いて、そこに、土日だけのバイト感覚で行かせていただいて、それが結局今の会社の業務内容に近いところになってくるんですけど。
竹内:なるほど。株式会社Life assistでは、どんな内容のお仕事をされてるんですか?
中澤:分かりやすく言うと遺品整理だったりとか生前整理、あと、一般的に言うとゴミ屋敷だったりとか、の一時的に大量のゴミが出てしまうところのお片付けのお手伝いを私たちの方でさせていただくのが、今の会社としてのメイン事業になっています。
竹内:もともとこういうお仕事を、清掃会社勤務された時に、こういうやり方があるんだっていうのを学ばれたってことですか?
中澤:そうですね。やり方ももちろんそうですし、そういう世界があるんだっていうところを初めて目の当たりにして、自分自身もまさか自分の人生でいわゆるご不用品と触れるとは全く思ってなかったので。
竹内:はい。
中澤:ただ、最初はアルバイトで実際に現場に出させていただいて、やっぱり色んなお客様がいらっしゃって、ご理由は凄くたくさんあるんですね。本当に忙しくてあの捨てる時間もないとか、エッセンシャルワーカーで、勤務時間が変則的なので、例えば、朝帰って来るとごみの収集の時間に間に合わないとか。昼夜逆転している方々もやっぱりいらっしゃるので、そうなってくると中々難しかったりするので。そういった現場を実際に見させていただいて、自分たちの中で何か新しいサービスとしてできるんじゃないかっていうことで、この業界で起業もいいのかなっていう感じです。
竹内:アルバイトとして働いている中で、勝機を見出したというか。
中澤:そうですね。需要はあるなって。あと、単純に思ったのはお任せできる業者が無いんですね。信頼して。ネットで検索してもらうと分かるんですけど、とんでもない数の業者様がいらっしゃるんですよ。同業他社さん。
竹内:そうですよね。クリーニング会社さんは本当にたくさんあるイメージですよね。
中澤:そうですね。コロナ禍で更に増えてるっていう事もあるんですけど、その中でお客様自身が安心してお願いできる業者を探すのって多分大変だと思うんです。
竹内:自分のプライバシーが漏れてしまう心配も。
中澤:そうですね。お家に上がる仕事なので。例えば、女性の一人暮らしのお客様だったら、全く知らない、見ず知らずの男性が家に入ってくるっていうのは、仕事を依頼しているとはいえ、かなり怖いとは思うんですよね。なのでそういった意味では、現場に出る女性スタッフの需要が増えるっていうのももちろんありますし。そういったところで私たちとしては、消費者の方々が安心してご依頼できる会社、ブランドを私たちの手で作っていけるかなと個人的には思っています。
竹内:最後に、これから実現したい夢・目標を教えてください。
中澤:今はご不用品の回収とかそういった形で清掃業をメインでやらせていただいてるんですけど、それ以外にも軽貨物事業ですね。社会的なニーズも含めて需要があるっていうところでやらせていただいています。
竹内:はい。
中澤:あと、今後の展開としては飲食店だったりとか、アパレルですね。
竹内:へえ!
中澤:あとは日本酒が好きなので、日本酒を一から作りたいなと。私たちのコンセプトでもあるんですけど、あなたの暮らしをちょっと豊かにっていうワードで歌わせては頂いているんですけど、皆さんの生活に寄り添ってですね、少しでも私たちと関わったことによって時間とか気持ちとか、少しでもどこかしら豊かになってくれればいいなとは思います。
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