長友みかん農園 代表 長友亨治
1972年、宮崎県生まれ。
愛媛大学農学部、大学院を卒業した後、大手化学メーカーに就職。
支店長を経験し、その後、
父親の病気をきっかけに地元・宮崎に帰省、
両親の農業を手伝うようになり、就農。
竹内: 宮崎から飛行機ですよね。何時間ぐらいかけて?
長友:大体二時間ぐらいですね。
竹内:東京に来ることありますか?
長友:農業やり始めてからは無いですね。
竹内:なかなか手が離せないですもんね。この番組で農業をされてる方のお話を聞くのってなかなか機会がないので、聞きたい事が沢山あるんですけど。
長友:はいはい。
竹内:プロフィールを拝見すると、お父様の病気をきっかけに帰省されて、それまではサラリーマンとして働いてらっしゃったんですね。
長友:はい。化学メーカーの色んな部門があるんですけど。そこの中のアグリ事業部という部門がありまして、そこの営業マンを20年間させていただいてました。
竹内:へえ~。
長友:全国転勤をしていきながらですね、最終赴任地は札幌だったんですけど。
竹内:全然違うお仕事をされてて。いずれお父様の仕事を手伝うお気持ちはあったんですか?
長友:僕は四人兄弟の長男なんです。妹が三人いるんですけど、いずれは、僕が農業を継いでっていう思いは、小さい頃から少しはあったんですけど。ただ、やっぱりサラリーマン生活が結構長くて、それなりにやり甲斐を持ってやらせてもらってたので。僕が定年して、ちょっとゆっくりしたいなってタイミングで宮崎に帰ろうかとずっと思ってたんですよ。
竹内:それが定年してからっていう予定だったのが変わって。お幾つで帰省されたんですか?
長友:44歳のときに。
竹内:まだサラリーマンとしては脂の乗っている時期ですよね。
長友:仕事も凄く楽しくて、やり甲斐のある役職も与えていただいてたので。辞める時は
とてもとても悩みました。
竹内:何が決め手となったんですか?
長友:そうですね、一番の要因は、やはり親父が二回目の脳梗塞で倒れまして。僕は北海道にいた時に、休みを利用して宮崎に帰って農作業を手伝ってたんです。うちは、ビニールハウスが30棟あって。
竹内:おお、広い。
長友:両親が夫婦でずっとやってたんですけど、やはり体が思うように動かないわけですよ。脳梗塞を患ってしまうと。実際に父親の体の動きが緩慢になってるのを目の当たりにした時ですね。
竹内:はい。
長友:やはり30棟あるビニールハウスが、徐々に面積が減って行って。そこが雑草だらけになってしまうっていうのが、どうしても想像ができなかったんですよ。やっぱり僕が早く決心して継いだ方が。そこの土地を守るっていう意味でも。すごく大事なことじゃないかなと思って、決断して宮崎に戻りました。
竹内:お父さまは何とおっしゃっていたんですか?
長友:両親とも大反対です。
竹内:なぜ?
長友:農業って収入が安定しているわけではないですし、僕らも小さい頃から父親の農作業の大変さっていうのはやっぱり分かっていたので。だからそれとサラリーマンの安定した収入との違いっていうのを、両親もそれなりに分かってたんじゃないかなと思うんですよね。だから、そんな苦労してまで、宮崎に帰って来る必要はないと、本当に大反対。
竹内:そうですか。
長友:だから僕は、戻るよなんてことは言わなかったんですよ。いきなり戻って。
竹内:え~、凄い。それは凄いですね。
長友:もう勢いというか。何で戻ってきたっていうところから。
竹内:ビックリですよね。
長友:近所の人たちも、そういう噂で持ちきりになっちゃって。大変でしたね、三年ぐらいは。
竹内:戻ってきても、それまでサラリーマンされてたら、どうやって農業を営んでいくか、という知識はあまりないですよね?どうしたらいいか。
長友:何となくこういう風にやったらいいんじゃないかなっていう思いは、ずっとあって。やはりこの『せとか』っていうみかんのポテンシャルを僕はすごく感じてて。多分、この『せとか』じゃなかったら、僕は継がなかったんじゃないかなっていうぐらいの可能性のあるミカンだと僕は思ってたので。
竹内:『せとか』って凄く注目されているみかんですが、当時はそこまでではなかったんですか?
長友:全然ですね。『せとか』って品種すら知らない状態でしたね。
竹内:みかんの大トロっていう『せとか』。今日は、持ってきていただいてるという。私の目の前に黒い箱があって、『setoka queen orang』って書いてあります。宮崎から持ってきていただいて、本当にありがとうございます。嬉しいです。食べたことなかったので。ちょっと開けてみますね。嘘でしょ!何ですか!拳よりも大きい!
長友:そうですね。
竹内:こんなみかん見たことない!スゴイ!
長友:(笑)
竹内:『せとか』は、みんなこれくらいのサイズってわけじゃないですよね?
長友:そうですね、大小さまざまあるんですけど、それぐらいの大きさのものが『せとか』て、僕らは評価するものですね。
竹内:試食させていただいてもいいですか。うわ!楽しみ!
長友:表面の皮が薄いので、ナイフでこう切っていただいて食べていただくのが一番美味しい食べ方なんです。
竹内:断面が美しい!溢れ出るみかんエキス。
長友:そうですね。
竹内:本当にいい香りがするんですよ。すごく上品な、クリーンな香りが。
長友:中々、そんなにいい香りがするみかん、中々無いと思うんですよ。
竹内:では、ちょっと頂きます。いま、ゴクンてよだれを飲む音がした(笑)
長友::お口に合うかな。
竹内:う~ん、口の中に滝のようにみかんが広がる。ジュースを飲んでいるかのようなエキスの量ですね。
長友:ホントお腹いっぱいになりますよね。
竹内:めちゃくちゃ美味しいです!食べたことがないみかんですね。見た目が大きいと、むしろちょっと味が落ちてたり、パサっとした部分が入ってたりするんですけど、一切無いですね。全てがみずみずしくて、これは有名になるのが分かります。
長友:ありがとうございます。
竹内:これは有名になる前から、長友さんはポテンシャルが凄いと思っていらっしゃっ
たんですね。
長友:はい、だから親父がみかんを作り始めるって言ったときに、今更みかんって思ったんですよ。でも、出来たものを送ってくれて、その時に衝撃を受けまして。みかんにこんな味があるのかって思ったんですよ。常識では無い、果汁感と甘さとコクだったんで。これは無くしちゃいけないなと。
竹内:だからこそ、自分だったら更に広められるっていう思いもあったんですね。
長友:もう広めないといけないなという風に思いましたね。
竹内:どうされたんですか?継ぐのは。
長友:親父と一緒に2年位農業をやって、栽培のノウハウとか。で、こういう風に販売をした方がいいんじゃないかっていう、なんとなくの僕のイメージをドンドン付けていって。やっぱりダイレクトにお客さんにお届けしたいっていう思いが強くなって。ビニールハウスの前に、小さいテントで直売場を始めたんです。
竹内:へぇ~。
長友:それが徐々に口コミで広まっていきまして、今や直売場だけで全部捌けてしまいます。
竹内:え~、凄い。ネットでも販売してますか?
長友:ふるさと納税の返礼品とかですね。宮崎市に採用していただいて。
竹内:私、次回のふるさと納税これにこれにします。これはもうめちゃくちゃ喜ばれる(笑)
長友:ありがとうございます。
竹内:単刀直入に、儲かってるんですか?(笑)
長友:親父がやってた頃の7倍ぐらいになってます。
竹内:え~!お父様心配されていたけど、きっと良かったなって思ってそうですね。
長友:褒めてはくれないですけどね。まあ、調子に乗るのよみたいな感じで。
竹内:今後の夢は?
長友:財務基盤をしっかりして、株式会社にしたいと思ってます。やっぱり雇用を増やしていきたいって思うんです。かつもう一個あるのは、障害者の方を雇用していきたいなとずっと思ってまして。
竹内:どうしてそのように思われたんですか?
長友:妻が障害者施設で働いていることもあったんですけど、いろんな障害者の方の話を聞くと、やはり社会とのかかわりって、中々持ち辛い。障害の度合いにもよりますが、例えば、農園に来て収穫を手伝ってもらうとか。そういったダイレクトにしていただくことができる人って極稀で、やっぱり外にも出られないとか、そういった方たちとの繋がりを何かできないかなって。それで今年は、エコバックを作りました。農園の直売で販売をしてるんですけど、全盲で知的障害のある方が描いてくれたんです。
竹内:凄くかわいらしいですね。
長友:農業を通して関わっていきたいなという思っています。上手い循環になるといいなと凄く思います。
竹内:いいですねそれは。『せとか』を通して幸せを広げる。素敵だと思います!
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