竹内由恵×医療法人敬生会フジモト眼科 藤本雅彦院長
医療法人敬生会フジモト眼科 藤本雅彦院長
大阪大学眼科学教室入局後
大阪労災病院
大手前病院 東大阪市立総合病院眼科医長
フジモト眼科副院長を経て、現職に就く。
竹内: 今日は大阪から来てくださりありがとうございます。こういう活動も大事にしてらっしゃるんですか?
藤本: そうですね。やはり広報活動や病気の啓蒙も患者さんにとって大切かなと思い、よく出させて頂いております。
竹内: 素晴らしいですね。
藤本: 自分のクリニックに来て頂く患者さんだけではなく、その他の方達にも病気の事や気をつけた方がいい事を知って頂きたいと思っています。
竹内: 病院は、大阪市東住吉区にあるそうですが、開業されて何年になるんですか?
藤本: 私のクリニックは、父親が開院しまして、今年で35年目になります。
竹内: 1987年開業ですね。私が1986年生まれなので…(笑)
藤本: 一つ先輩ですね(笑)
竹内: そう考えると、長い間お父様の代から継承されてきたんですね。
藤本: 父の姿を見て育ってきました。
竹内: なぜ、眼科医になろうと思ったんですか?
藤本: 父の診察を受けていく患者様が『病気が治って本当によかった!』と父にすごく感謝をしていて、私も父のようになりたいと小さい頃思いました。
竹内: 私の母も目の病気があり、よく眼科に通っていたのですが、改めて目って大事だなと実感しました。
藤本: 情報量の80〜90%は目から入ると言われていますので、目は大切にして頂ければと思います。
竹内: そうですよね。患者さんの中には目が見えなくなってしまう恐怖と闘ってる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
藤本: 今では随分薬もできてきましたが、昔は緑内障や糖尿病で失明してしまう方もいらっしゃいました。ですが、一番大切なのは早期発見、早期治療だと思います。
竹内: その為にも、こういった場所で啓蒙しているということなんですね。
藤本: そうですね。
竹内: 元々はプロ野球選手か野球の応援団長になりたかったとか?
藤本: 生粋の大阪人ですので、阪神タイガースが好きすぎて、私の長男は大雅(たいが)という名前なんです。
竹内: プロ野球選手から、眼科医になろうと思いが変わったきっかけは何かあったんですか?
藤本: やはり、多くの患者様から信頼されていて、治療も手術もこなしている父の姿を見て、かっこいいなと思ったのがきっかけです。
竹内: いつ頃、眼科医を目指されたんですか?
藤本: 小学校高学年くらいからですね。しかし本当に決意したのは、病気で父親が亡くなった高校2年の時でした。その時、何がなんでも眼科医になろうと思いました。
竹内: お父様の死が大きな原動力になったんですね。
藤本: おっしゃる通りです。父親は仕事一筋で頑張っていましたので、恐らく自分自身の身体や健康にあまり気遣っていなかったのではないかなと思います。もっと早く発見していれば、もっと早く治療を受けていれば、長生きできたのではないかと思いました。その時、早期発見、早期治療が本当に大切だなと痛感しました。
竹内: なるほど。お父様が亡くられてから、藤本先生が眼科医になるまでの間、病院はどうしていたんですか?
藤本: ありがたいことに、知り合いのお医者さんがたくさん来て下さり、私が医者になれるまでしっかり繋いでおくからねと言ってくださいました。なんとしてでも医学部に行かねばとプレッシャーもありました(笑)
竹内: 医学部を卒業されて、すぐ病院を継がれたんですか?
藤本: 様々な所で修行させて頂いて、医者になって9年目で継ぎました。
竹内: 9年目で継ぐきっかけなどはあったんですか?
藤本: 病院の切り盛りをしていたのが母親でしたので、母親も老いてきますし、多くの先生方にも長い間助けて頂いてましたので、自分で治療ができるようになって、自信がついた時に、戻りました。
竹内: ご自身が病院を継ぐ上で、大事なポイントはありますか?
藤本: 患者様やスタッフに寄り添うということです。患者様の状態やスタッフがどのような目的で、うちで働いてくれているのか、ヒアリングして寄り添うことを心がけています。
竹内:それが企業理念なんですね。
藤本: 「患者様の不安を安心に変え、安心を希望に変え、希望を見える喜び・生きる喜びに変えます」というのが、企業理念になります。私のクリニックでは、白内障の日帰り手術を行っています。手術の後、目が見えるようになるので、どんなことがしたいか?スポーツをしたい、お孫さんと遊びたい、色んな所に行きたいなど、たくさん皆さん目標がありますので、治すだけではなくて、その次に何をしたいか、その方の人生を楽しんでもらいたいなと思い、診療をしております。
竹内: 先程おっしゃっていた、スタッフの方がハッピーでいられるのが大事というのは、どうしてですか?
藤本: 私自身、他の方から指図をされるのが嫌だったので、スタッフには、何をしたい?と聞くようにしています。例えば、趣味でマラソンや旅行がしたいというなら、そのサポートをするとかです。スタッフが働きやすい環境作りを心がけています。あるいは、スタッフが週3日しか出れないけど、その3日間はがんばります!というのであれば、それも一つの考えだなと思っています。
竹内: 個人を尊重し、今の時代に沿った働き方をしてらっしゃるんですね。自分の働いている環境に満足していないと、ベストを尽くせないですよね。
藤本: 女性が多い職場なので、その都度働き方を変えて、それに対応できるようにしていきたいと考えています。
竹内: 女性ですと、お子さんが居ながら働いてる方もいらっしゃいますよね。周りの協力がないと働けないということも。
藤本: 私も子供が2人いるので、仕事をしながら子供を育てるのは本当に大変だと思います。
竹内: これからの時代を生き抜くヒントを教えて頂けますか?
藤本: 時代は変わっていきますので、時代にのって、時代の波に流されずに仕事をしていくことが一番大切なことだと思っています。私も、患者様も、スタッフも、クリニックも、やはり変わり続ける、変化にも対応できるということが大切だと思います。
竹内: 変わるとは、具体的にどんなことですか?
藤本: 特にコロナですね。スタッフの働き方や患者様の考え方は変わったと思います。病院に行くのが怖くて1年ぶりに来たら病気が悪化している患者様もいらっしゃいますし、安心して来て頂けるクリニック作りをしていきたいと思っていますし、今後も変化し続けるクリニックにしていきたいと考えています。
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