1991年生まれ、三重県出身の34歳。2017年、事故で右足のヒザ上から切断。入院中、義足陸上クラブの練習会に参加したことをきっかけに、パラ陸上の世界へ。短距離と走り幅跳びをメインに活動し、2022年には400mで世界新記録を樹立しました。2023年から競技転向を決意。本格的にパラトライアスロンに取り組み、2024年には世界選手権に初出場。腕や足に障がいがあるクラスの中で、一番、障がいが重い、PTS2クラスで4位に入賞。再来年のロス・パラリンピック出場を目指しています。
◾️事故で右足を切断した保田選手。保田選手はリハビリを兼ねて、地元・三重の義足陸上クラブ「大和鉄脚走行会」に入会、競技用の義足で走り始めた保田選手。本格的に選手として取り組もうと思ったきっかけは?
「きっかけとしては、同じチームの仲間が今度その陸上の大会に出るというので『私も一緒に出てみようかな』というような、軽いノリで出るような感じでした」
「結果は、100メートルで27秒ぐらい最初はかかってたので、まあ全く……。やっぱそのレースに出るっていう、非日常的なワクワク感だったり、風を切って走る楽しさっていうのが、すごく病み付きになりました」
◾️2022年、保田選手はWPA公認大会の「NAGASEカップ」に出場。400mで世界新記録を樹立した。
「パラリンピックの種目ではないので。世界で一番速かったっていうのは、自分にとってすごく自信になりましたし、そのNAGASEカップという大会が、賞金があってですね、世界記録を出した選手に20万円を贈呈するというような、ちょっとそういった特典がありまして。なんか賞金がかかっていると、観客の方もすごく注目してくれて。もう応援がすごいんですね」
「こんなに会場に盛り上がってもらえるっていうのは、競技者として嬉しいものなんだなっていうのを実感できて。もっともっとこう、自分のパフォーマンスで皆さんに楽しんでもらいたいなという風に考えるようになったのが、1つ『競技者として上に行きたい』って思うようになったきっかけだったかなという風に思います」
◾️保田選手が、パラリンピックをはっきりと意識するようになったのは?
「その以前からも頭の中にはあったんですけれども、私の義足のフィッティングというのが、かなり他の選手に比べると、切った足の長さ『断端』って言うんですけれども、その長さが少し短くて。走ってる途中に義足が脱げてしまったりですとか、合わなくて痛みが出てしまったりっていうので、トラブルというのが絶えなくて……」
「自分にはパラリンピックって少し遠い目標なのかなという風に感じていたところで、NAGASEカップという大会があって。どんな競技でも挑戦できるということで。だったら自分の力試しではないですけど、パラリンピックにつながらなくても、自分への挑戦ということで『400メートル、走ってみよう』ということで挑戦したっていうような経緯があります」
◾️競技生活と会社の仕事を両立させて「二刀流」でがんばってきた保田選手。去年の6月から、現在勤務する「SCSK株式会社」に転職。競技に専念する形に切り換えた。
「パラトライアスロンという競技に変更したのを機にですね、ナショナルのチームの活動というのがかなり本格的になってきて、トライアスロンというのが国際大会でポイントを取るというのが必要になる競技ですので、海外遠征がどうしても発生するというところであったり、3種目は競技があるので、練習時間がすごく長いというようなところもあって、集中できる環境に行きたいというところで転職を決意しました」
「トライアスロンに関しては、元々2023年のかなり前から存在は知っていて……踏み出せずにいたんですけれども、義足の陸上界のレジェンドである山本篤選手という選手がいて、私は『なんかガッツがあるから、絶対トライアスロン向いてるよ』という風に言ってくださったことがあって」
「ちょっと自分の力をそこで試してみてもいいのかなっていう風に考えて、転向しようかなっていう風に考えていたときに、NAGASEカップの400メートルの記録もあって。自分でやっぱり中長距離、長い距離の方が実は向いているかもしれないなということをその時に確信して、パラリンピックというのを目指すために決めました」
◾️パラトライアスロンに転向した保田選手。初めて出場した国際大会は、2024年6月、フィリピンで行われた、アジア選手権だった。
「アジア選手権に関しては3名中の2位ということで。同じ日本選手で3大会連続かな、パラリンピックに出られている秦由加子選手という選手がいらっしゃるんですけど。その方が1位で私が2位というような結果でした」
◾️パラトライアスロンも、障がいの程度に応じたクラス分けがある。
「やっぱり日本の中で、大腿義足の女性でトライアスロンをしているっていうのが、秦さんと私しかいないので、現状。やっぱりそこの情報共有であったりとか、お互い一緒に練習をして切磋琢磨したりっていうところは、すごい交流は深めています」
◾️2024年10月、保田選手はスペインで行われたワールドトライアスロン・パラ世界選手権に初出場。PTS2クラスで、メダルにあと一歩の4位になった。
「立位で競技をするクラスは4つあって、私のPTS2クラスが1番重いクラスです」
「PTS2の中でも、私と同じ膝上の片足の切断の人がいたり、両足は残っているけれども両足に麻痺があるというような選手がいたり。障害の種類が結構バラバラにあるんですけれども、今でいくと、体もすごく大きくて強い選手っていうのが。アメリカ選手は多いです」
◾️再来年のロスに向け、保田選手に抱負を聞いてみた。
「初めてのパラリンピック挑戦ということで、初挑戦での金メダル獲得というのを目指したいなという風に思っています。トライアスロンではまだオリもパラもメダルを、金メダルというのがないので、私がその第1号になって、トライアスロン界に新しい風を吹かせられたらいいかなという風に思っているので、そこに向けてしっかり頑張っていきたいなという風に思います」
◾️保田選手は普段から義足であることを隠さずに生活している。
「今は義足をむき出しにして歩いているんですけど、義足をむき出しにするようになったその気持ちの変化っていうのが、やっぱり競技を始めてからだったかなという風に思っていて。別に義足って何かこう、害があるものではないし、むしろ私の生活を支えてくれる相棒のようなものだと思っているので。見せて恥ずかしいものではないなという風に思っているので。今は本当にありのままにさらけ出しているかなという風に考えています」
「意外と隠してようが見せてようがあまり周りは気にしないのかなと。社会に受け入れられている存在なんじゃないかなという風に私は個人的には感じています。特に子供はすごく敏感で、目線も下の方ですごく目に入るので、じっとこう見てそれなに?っていう風に質問してくれたりとか。実際、渡すと『うわあ、すごいね』って言って触ってくれたりとか、ということがあるので」
「子どもたちにこそ、そういうものを見てもらって『そういうものが当たり前なんだよ』という意識を持って、そういう大人が増えてくれれば、義足の概念っていうのも社会的にももっといい風に変わっていくんじゃないかなと感じています」
◾️ 保田選手にとって、パラスポーツの魅力とは?
「パラ陸上から入って、パラトライアスロン2種目をやってきて、パラスポーツの魅力っていうのが『挑戦の連続』っていうのにあるかなという風に思っています。きつい場面だったり、思うようにいかない瞬間っていうのがあるんですけど、その壁を乗り越えるために、選手それぞれが工夫だったり努力を重ねて成長していくというところ」
「そしてもう1つが、そこでゴールした瞬間に、同じようにこう苦楽を共にした仲間が必ずいて、そこの喜びっていうのを共に分かち合えるっていうところが。速さだったり強さを競う競技以上に感動があって、人生そのものを豊かにしてくれる、かけがえのない体験になっているんではないかなという風に思っています」

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