1984年、兵庫県生まれの40歳。高校生のときにインターハイと国体に出場。筑波大学在学中から、特別支援教育で水泳指導のボランティアを始めます。大学院卒業後、特別支援学校の教諭を務めるかたわら、パラリンピック水泳日本代表のコーチに就任。東京とパリ大会で、日本勢のメダル獲得に貢献しました。また、長女が生まれつき「18トリソミー」という染色体の疾患があることをきっかけに、任意団体「Team18」に参加。「18トリソミー」を世間にもっと知ってもらう活動を精力的に行っています。
◾️大学まで水泳選手として活躍した岸本さん。筑波大学3年生のときに、ゼミの特別支援教育で水泳指導のボランティアを始めた。
「そこに行くまでって、自分が知っている水泳っていうのは、速さを競う水泳。勝負の世界でずっとやってきたんですけども、泳ぐことが難しかったりとか、水の中での活動という、違う形で水泳に取り組んでいる子どもたちに出会って、自分が知っている水泳以外の水泳の魅力であったりとか、楽しさであったりとか、学びであったりとか。そういったところに惹かれていったという形ですね」
「普段は車椅子に座って学習している子たちが多かったですけれども、水の中でより自由に体を動かしている様子を見て、心拍数を上げたりとか、自分がやりたい動きをやってみたりとか、水の中に潜ってみたりとか。どんどんチャレンジしている姿が多く見られて、普段の体育だったり、スポーツ活動とは違う活動が水の中でできるんだなって感じたところですね」
◾️岸本さんは2009年からパラ水泳日本代表の強化スタッフに就任した。
「当時、大学院のときに障がい児の水泳教室をしていたことをきっかけに、大学の先輩である、現在は大阪教育大学にいらっしゃる、生田先生というかたから『パラ水泳の方もやってみないか』ということで大学院のときに声をかけていただいて。最初はパラスイマーのレース分析であったりとか、泳ぎの研究のサポートをさせていただきました」
「その後、ちょうど2009年に東京都でアジアユースパラゲームズという、そこにせっかくであれば東京都の教員としても参加してみないかということでお声かけいただいて。そこから徐々にパラ水泳の育成強化活動に参加させていただく機会が増えていきました」
◾️2021年、岸本さんは1年延期で開催された東京パラリンピックの日本代表のコーチとして、チームに帯同することになった。東京パラリンピックで水泳日本代表が目標に掲げたメダル数は、金・銀・銅それぞれ4つだったが、実際は金3つ・銀7つ・銅3つだった。
「鈴木選手がそのうち5個取ってくれたりとか、木村選手、冨田選手、複数のメダルを取った選手がいずれもベテラン選手に偏っていたので、やはり課題としては、次、パリ大会に向けて、若手の台頭。若手の中で中心になって引っ張っていってくれる選手を、同時に育てていかなければいけないなっていうのは、もう数字を見てもすぐにわかるような。そういう結果ではありました」
◾️パリパラリンピックで岸本さんは、日本代表のヘッドコーチに就任。パリパラリンピックは、東京大会と違って有観客で行われ、スタンドも大いに盛り上がった。そんななか競技初日、鈴木孝幸選手が50m平泳ぎで金メダルを獲得。続く2日目にも、100m自由形で銀メダルを獲得。最終的に、出場した4種目すべてでメダルを手にした。
「泳法に変化を作った普段のトレーニングだったので、そういう変化をしっかりとレースで形にしてくれたかなと思いますね」
「彼のキャリアはある程度把握してはいましたけども、まだまだ技術的に課題も多くありましたし、技術的に伸ばせる部分も十分理解したうえで普段は指導してきましたので。そういったものを本人が真摯に取り組んで、毎日継続してトレーニングに励んでいった。その結果かなと思います」
◾️また、視覚障がい者水泳の第一人者・木村敬一選手が、3日目に男子50m自由形、9日目に男子100mバタフライで、合計2つの金メダルを獲得。2大会連続で金メダルを手にした。
「木村選手も2023年の世界選手権で敗れて、思い通りのタイム、思い通りの順位が取れない中で、パリ大会に向けて新しい泳ぎに挑戦するっていうことを、ひたすら毎日毎日取り組んできた様子を見てきましたので、それを本番の舞台で出し切る精神的な強さと、いろいろなアドバイスを元に結集したその形がレースに表れたのかなと思います」
◾️また、男子100mバタフライと、400m自由形でいずれも銅メダルを獲得した視覚障がいスイマーの富田宇宙選手、知的障がい部門の男子100m平泳ぎで銅メダルに輝いた山口尚秀選手が、東京大会に続いて2大会連続でメダルを獲得した。
「連続して取っていることが当たり前のように見えてしまいますが、やはりその難しさは当然ありますし、そこに対するプレッシャーというのも選手たちは感じることは多いと思います」
「ケアであったりとか、プレッシャー対策であったりとか、常に世界と戦おうとしているその姿勢。そういったところがパラリンピックの舞台でも結果として表れたのかなと思います」
◾️パリパラリンピックで水泳日本代表は、金3つ・銀3つ・銅6つの合わせて12個のメダルを獲得した。
「本来であればメダルを目指したかった選手、目指してた選手、いい記録で泳げば取れたんじゃないかって思える選手が、実際取れなかったのも事実として残っているので。数字以上に悔しい気持ちにチームとしてはなっているのが事実ですね」
「ロスに向けては、まずはパリ大会以上に、若手の台頭っていうのがこれから必須なので、具体的な数字というよりも、若手の育成にどんどんシフトしていかなければいけないなと思います」
◾️岸本さんは「Team18」という団体で、18トリソミーを知ってもらう活動している。
「自分の子どもたちの普段の様子を、もっといろんな人に見てもらいたいというところから、この写真展が始まったようで。私は2013年に前代表から引き継いで全国各地で写真展をやらせていただいています」
「やはり一般の方たち、なかなかそういった情報、その子どもたちの普段の様子であったりとか、家族の思いとか。そういったものを知る機会が多くないので、家族がどういった愛情を注いできたかとか、どういう時間を過ごしてきたか、というのを知っていただく機会にしています」
◾️岸本さんは今後、健常の子と障がいのある子を一緒に指導する機会を増やしていきたいと考えている。
「一緒に活動できる内容を工夫して、作っていきたいなと思います」
「プール自体は、身の安全をまず守る、ルールを守るとか、そういったことを学ぶ場所でもありますし、水の中での活動が好きな人たちが集まる場所だと思うので。そこに障がいのある、ないっていうのは関係ないのかなと思いますね」
◾️岸本さんにとって、パラ水泳の魅力とは?
「やはり工夫。特に今の仕事でいうと、速さを求める選手たちと一緒に過ごしているので。それを考える時間の有意義さであったりとか、時間の過ごし方っていうのは……なかなか面白さに気づける人がいないのかもしれないんですけど。自分はもうすでに面白いっていうことに気づいているので。面白いなって思えるような人たちを増やしていきたいですけどね」
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