古美術永澤 presents ミッツ・ザ・コレクション

2021.12.30

2021年12月30日放送『紅白伝説スペシャル』

音楽への造詣が深いミッツ・マングローブが、毎週様々なテーマと共に70年代・80年代・90年代の音楽をミッツ・マングローブ自身の解釈でお届けしていく番組『ミッツ・ザ・コレクション』。

今回は1時間拡大バージョン!

年内最後の放送ということで、「紅白伝説スペシャル」と題し、

NHK「紅白歌合戦」数々の名場面・珍場面のステージを、ミッツさんの思い出と共に振り返っていきました。

 

まず最初の対戦・白組は、吉川晃司さんの「にくまれそうなNEWフェイス」、

そして続けて紅組は、河合奈保子さんの「デビュー〜Fly Me To Love」。

どちらも1985年に歌唱し、吉川さんは初出場。

しかし、初出場ながらとんでもない事件が起こります。

吉川さん歌唱の後、すぐ紅組の河合奈保子さんが登場するはずだったのですが、なんと吉川さんがステージ上でギターを燃やすという暴挙に。

結果、河合奈保子さんの歌い出しが間に合わず始まってしまいました。

その事件を忠実に再現した、ミッツさんのスペシャルMIXで2曲続けてお聴きいただきました。

 

続けて2回目の対戦・白組は、西城秀樹さんで「ヤングマン(Y.M.C.A.」。

1979年に初出場し、その後94年・95年にもこの曲を歌唱しました。

今回ミッツさんが「ヤングマン」を入れたかったワケというのは、

1979年初出場の際の、白組司会の山川静夫さんによる曲紹介が大好きすぎて、「是非再現させて欲しい」と今回対戦の一曲に入りました。

ライブバージョンの軽快なイントロにのせて、

「全国のお茶の間の皆さん、どうぞお立ちあがりください。秀樹とともに踊るのです。Y.M.C.A.〜!」という、山川静夫さんの名調子が大好きだったと語るミッツさんでした。

続けて紅組は、岩崎宏美さんの「シンデレラ・ハネムーン」。1978年歌唱。

この時のなにがすごいのかと言いますと、とにかくBPMが早い!!

紅白名物ともいえる「高速演奏の洗礼」を宏美さんもたっぷりと受け、

曲が進むにつれどんどん早くなっていく演奏にも、一歩も引かず食らいついていく宏美さんの姿が印象に残っていると、ミッツさんは語りました。 

 

そして、3回目の対戦・白組は、少年隊の「仮面舞踏会」。

1986年に初出場し、その際の白組司会・加山雄三さんによる「少年隊、仮面ライダー!」という曲紹介は、紅白の中でも有名な名場面ですよね。

しかし、その時にもまた別の事件が。

1番の歌唱が終わったところで、衣装の早替え演出があったのですが、東山さんだけ衣装の早替えが早すぎてしまい、

あの完璧主義の東山さんですから、歌唱後の舞台袖で泣いちゃったというエピソードが・・・。

今でこそ微笑ましい話ですが、当時の悔しさが感じられますね。

そして、続いての紅組は、宮沢りえさんの「GAME」。

1990年の出来事ですが、紅組司会・三田佳子さんとの歴史的やりとりが。

この際、宮沢りえさんはNHKホールでの歌唱ではなく、「都内某所」という情報しか解禁されていませんでした。

中継で「都内某所」にいる宮沢りえさんとつなぐも、声しか聞こえず、どこにいるかもよくわからないまま曲が始まるという名シーン。

しかもマイクを持たずに歌唱をするという、当時人気絶頂だった宮沢りえさんにしかできないようなことでした。

 

続いて4回目の対戦は、白組・美川憲一さん「さそり座の女」。

1973年に初披露し、その後6回に渡り「さそり座の女」が披露されました。

「紅白において美川さんは絶対必要」とミッツさんは語り、今回はNew Attack Versionでお届けしました。

続けて紅組は、佐良直美さんで「いいじゃないの幸せならば」。

佐良直美さんといえば、70年代紅白を彩った紅組の司会を務められていました。

特にミッツさんが印象に残っていると語ったのが、

1977年に披露した、「紅組なのにエルヴィス・プレスリーのメドレーを歌う」という出来事が強烈だったと話されていました。

今回は、1969年に披露された「いいじゃないの幸せならば」をお届け。

 

そして5回目の対戦・白組は、沢田研二さんの「AMAPOLA」。

ジュリーは1972年に初出場し、そこから長きにわたり18回もの出場で紅白を彩りました。

今回お届けした「AMAPOLA」は、1984年に歌唱した楽曲で、

舞踏会風の階段セットと噴水をバックに、ピンクのサテンスーツで歌うジュリー。

間奏でピストル音が鳴ると、胸から血飛沫が飛び出し、顔面に大量の血を浴びながらエンディングという、

耽美ながらも衝撃的なステージを披露しました。

続けて紅組は、ちあきなおみさんで「夜へ急ぐ人」。

1977年に披露された楽曲で、

ミッツさん曰く、「後世に語り継がれる伝説の歌唱」と称し、

当時、披露後にも白組司会の山川静夫さんが「なんとも気持ちの悪い歌ですね」と、間髪入れずに発言したことも合わせて名場面でした。

 

そして、とうとう最終対決。白組は、小林旭さんで「熱き心に」。

1986年・94年に披露された「熱き心に」。

1994年に披露された際の、白組司会・古舘伊知郎さんの曲紹介を再現したい、とミッツさん。

「人生は、経験を重ねるワインの如く、味わい深く熟成していきます。

しかし、人はその反面、若き日の情熱をどこかに置き忘れてしまうのです。

そんな熱き心を、大晦日に渡り鳥が運んでくれました。」

という、古舘節がしっかり効いた曲紹介を、イントロにのせてミッツさんが語りました。

そして、最後の紅組は、和田アキ子さんで「あの鐘を鳴らすのはあなた」。

実はリリース時の1972年には、ベトナム戦争の「反戦歌」と見做され、歌唱することができなかったという逸話が。

しかし、1991年に初披露後、90年代・20年代の紅白を象徴する楽曲に浸透していきました。

ですが、1991年の初披露時にはアッコさんは肋骨が折れている状態で、それでもコルセットをして真っ白なドレスで歌い上げるという、紅白史に残る名シーン。

今回は、1991年のNew Versionでお届けしました。

 

懐かしいと思われた方も、初めて知った方もいるかと思いますが、皆さんが想像する「紅白名シーン」はなんだったでしょうか。

今日の感想や、番組に関するご意見・ご要望などありましたら、

mco@1242.com までお寄せください。

お葉書は、

〒100ー8439 ニッポン放送「ミッツ・ザ ・コレクション」まで。

次回の放送は、2022年1月4日(火)21:00〜です。

どんなテーマでどんなセレクト楽曲が繰り出されるのか、お楽しみに!

来年も「ミッツ・ザ・コレクション」をよろしくお願いします。

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パーソナリティ
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    ドラァグ・クィーン・歌手・タレント。総じて「女装家」。
    1975年 4月10日 神奈川県横浜市生まれ
    10代中盤ををロンドンで過ごす。 慶應義塾大学法学部を卒業後、 英国ウエス卜ミンスター大学に入学。商業音楽全般を学ぶ。帰国後2000年ドラァグ・クイーンとして東京でデビュー。以降、各地のクラブを中心に様々な活動やイベントの主催をする傍ら、05年に星屑スキャットを結成。07年スナック「来夢来人」にて丸の内初の女装ママに。
    09年頃からテレビでも活躍。
    2011年「若いってすばらしい」で歌手デビュー。2012年3人組コーラスグループ“星屑スキャット”のメンバーとして「マグネット・ジョーに気をつけろ」で日本コロムビアよりメジャーデビュー。2018年星屑スキャット1stアルバム「化粧室」をリリース。野外フェスティバルへの出演含め精力的に活動中。
    2019年星屑スキャット初の全国ツアー「あ々喉仏」開催。
    2021年4月中野サンプラザを含む星屑スキャット全国ツアー「色、色々」開催。