道の駅プレゼンツ 大石久和のラジオ国土学入門

  • TOP
  • ブログ一覧
  • 第23回のテーマは「ドイツ・アウトバーン見聞録」
2020.04.06

第23回のテーマは「ドイツ・アウトバーン見聞録」

番組アシスタントの新保友映です!

今回は、大石さんが、ドイツのアウトバーンを走ったときの、驚きの体験を伺います。

新保 ドイツのアウトバーンを走ったのは、いつ頃のお話なんですか?

「1991年、ベルリンの壁崩壊から2年後のことでした。旧東ドイツ側の道路を見てみようと思い、フォルクス・ワーゲンに乗ってアウトバーンを走っていましたら、腰を抜かすほど驚いたことがありました。旧東ドイツ側のアウトバーンはほとんどがコンクリート舗装でひび割れだらけ。そのひび割れにアスファルトを注入して補修をしていたんです。ほとんどのアウトバーンはそのような状態で整備されていないことがわかりました。東西ドイツが統一されて、道路脇に設置された非常電話だけがピカピカに光っていたのが印象的でした」(大石)

新保 アウトバーンを走っていた車はいかがでしたか?

「トラバント(旧東ドイツ製の小型乗用車)が印象に残っています。この車を手に入れるには10年待ちと言われた大衆車ですが、走ると真っ白な煙がモクモク出る。大きなドイツ人が小さなトラバントに乗って煙を上げながら走る横を、ワーゲンでスイスイ抜いていく。このとき体制の違いは大きな違いを生んでしまうんだなとつくづく思いました。いま日本が旧東ドイツ路線を進んでいないか、私は心配で仕方がありません」(大石)

新保 旧西ドイツのアウトバーンについては?

「別の機会に西ドイツのアウトバーンも走りましたが、そこでも驚いたことがありました。1つの川を渡るのに上り二車線用と下り二車線用の2本の橋がかかっているところで、片側の橋では補修工事が行われ、もう一方の橋を上り下りの車線で使っている現場を通りました。このようなケースでは、日本の場合は二車線分しか幅員が確保できないので、一車線を上り、もう一車線を下りにして、1つの橋を利用するのですが、ドイツでは片側二車線の橋を、なんと上下四車線で使っていたんです。「そんなことができるのか!」と腰を抜かすほど驚きましたね。つまりドイツでは、路側帯と中央分離帯に余裕があり、非常に広いので、それをフルに使って、片側二車線の橋梁を上下四車線にして使うことができるんです。日本でそのようにできる橋は1つもありません」(大石)

新保 他にも驚いた体験はありましたか?

「アウトバーンの管理者に直接、話を聞いたことがあります。「事故多発地点に速度制限の表示をすべきではないか」と。すると「それは我々の問題ではない、政治の問題だ」と言うんです。考えてみますと、東京と横浜の間を何時間で結ぶのがいいのか、東京と大阪は何時間の物流時間で結ばれていなければならないのか、それは政治の問題かもしれません。我が国の国土をどのように有効利用するか、という視点で速度があるならば、これは政治の問題というのも、うなずける話なんですね」(大石)

新保 大石さんが「腰を抜かした!」という「ドイツ・アウトバーン見聞録」…、まだまだ続きます。詳しくは、上記の「聴き逃しサービス」をクリックして、ぜひ、番組をお聞きください!

*コラム「古代の道『官道』ロマン」*

大和朝廷(王権)時代の「官道(かんどう)」が、現在畑になっている所から発掘されている。「官道」とは、中央と地方諸国を結ぶ「(五畿)七道」(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)のことで、この道が実に大規模で直線性に優れた道であったことがわかったのは、ここ30年ほどのことだ。歴史とは時代が新しくなるほど進歩していくと思いがちだ。しかし、30年ほど前から、いろんな開発に伴って発掘をしてみると、歴史学の常識を覆す多くのものが見つかっている。東山道では、なんと幅13mの道が現れた。江戸時代の東海道の幅は5mほどしかない。佐賀県の西海道では17㎞の直線区間があった。今日の高速道路でも17㎞の直線が続くことはない。この山だらけの日本で17㎞の直線区間を造ることは大工事だったことだろう。さらに、この官道があった場所と、現在の高速道路のルートがかなりダブっていることもわかってきた。昔も今も、国土の地形的制約条件が厳しい日本では、幹線道路を造ることの出来る場所は限定される。古代の人々は、なぜ、このように立派な道路を造ったのか? 古代の道『官道』に思いを馳せてみるのも楽しい。

最新番組ブログ
パーソナリティ
  • 大石久和(おおいし ひさかず )
    大石久和(おおいし ひさかず )
    大石久和(おおいし ひさかず )

    大石久和(おおいし ひさかず )

    1945年岡山県生まれ。京都大学大学院工学研究科修士課程修了後、70年に建設省(現国土交通省)に入省。道路局長などを歴任、道の駅の制度化などに尽力し、2004 年退官。その後、全日本建設技術協会会長、土木学会会長、日本道路協会会長等を歴任。また早稲田大学大学院(客員教授)、東京大学大学院(特任教授)、京都大学大学院(特命教授)としても教鞭を振う。専攻は国土学。 国土に働きかけるインフラ整備とその恩恵の体系、社会資本整備の哲学である「国土学」を提唱。著書に「『危機感のない日本』の危機」(海竜社)、「国土と日本人 災害大国の生き方」(中公新書)、「国土が日本人の謎を解く」(産経新聞出版)、「国土学 国民国家の現象学」(北樹出版)、「国土学事始め」(毎日新聞社刊)などがある。趣味は家庭菜園。

アシスタント
  • 新保 友映(しんぼ ともえ)
    新保 友映(しんぼ ともえ)
    新保 友映(しんぼ ともえ)

    新保 友映(しんぼ ともえ)

    1980年山口県生まれ。青山学院大学法学部卒業後、2003年ニッポン放送にアナウンサーとして入社。プロ野球情報番組などを務め、野球の取材や知識が深い。女性アナウンサーでは35年ぶりとなる「オールナイトニッポン」のパーソナリティをはじめ、音楽番組「三宅裕司サンデーハッピーパラダイス」、バラエティ番組「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」など数々のレギュラー番組に出演し、萩本欽一さんや志村けんさんの番組アシスタントも務める。また報道番組「高嶋ひでたけのあさラジ!」では、ニュースや芸能情報も担当。2018年ニッポン放送退社。現在は、スポーツイベント、トークショーの司会、各種表彰式・授賞式、記者会見、試写会等の司会も務める他、ベースボール専門サイトFull-countでプロ野球のコラムも執筆している。