株式会社玉寿司・代表取締役社長の中野里陽平さんが登場。
現在、首都圏を中心に30店舗以上を展開する
創業100周年を迎えた「玉寿司」の歴史や
四代目の中野里さんがおこなっている新たな取り組みについても伺いました。
※ 下にスクロールしていただくと放送内容をご覧いただけます。
HPは コチラ
(各店舗の営業時間をご確認ください。)
創業100周年を迎えた「玉寿司」
「玉寿司」は1924年創業。
100周年を機に、本店の2階の宴会場だったところを、大改装し、
「本店上ル」という店を1年前にオープン。
この場所は、1945年の東京大空襲で1回焼けている。
その再建をしたのが、当時39歳だった私の祖母。
父の死後、女手1つで店を再建した。
彼女のその気丈な思いを形にしていきたいということで、
こういった店を作った。
その当時は立派な木もなく、廃材を集めて店を作ったので、
もともとあった2階の宴会場をうまく活かし、
古いものうまく残しながら作った。
使用している木も古木をつき合わせたようなものだったり、
照明も、裸電球もあったりと、
当時の再建した雰囲気をどこかで残したいという思いがあった。
自分は4人兄弟の末っ子。姉が2人、兄が1人いる。
32歳の時に社長になった。
幼稚園の頃から、自分が継ぐと勝手に言っていた。
ずっと言い続けていたことで、だんだんと周りも
「こいつかなあ」と自然とそういう風になっていった。
兄弟からも、なぜ弟が継ぐのかと言われることは一切なかった。
宿命的なものは感じている。
アメリカ留学~社長就任
家業が食べ物の商売なので、大学時代にいろいろなところで
アルバイトをしたが、結果、すっかり飲食店が嫌いになり、
一生の仕事にするのが嫌だと思ってしまった。
そんなとき、アメリカにレストランビジネスという、
日本には当時なかった学問があると知った。
自分の感覚を変えるため、日本を出てこれを学んでみようと思い、
大嫌いだった英語を勉強し直し、アメリカへ留学。
2年半ほどのアメリカでの生活はものすごく役に立った。
お店づくりに大きなプラスを得た教授の言葉がある。
「かっこいい店は、よくステンレスとか使って。クール。
しかし、そういう店は短命。
長く愛される店は、自然のマテリアルを上手に使った店。」というもの。
確かに、そのような店に入った方が、温かみや、
何度も行きたくなるような感覚があると思った。
27歳の時に、プロジェクトリーダーとして店を任された時、
この教えを生かし、木も使ったりしたが、やはり格好つけたいと
かっこいい店の要素を入れた。
築地で創作寿司と伝統寿司の融合した寿司ダイニング。
マスコミの取材も100件以上あり、業績も上がっていったが
やはり長生きしなかった。数年たつとお客様が減ってきた。
そこで、リーマンショックの時に、もう1回原点に立ち戻ろうと、
築地玉寿司に変え、本来の和風の、落ち着く
オーソドックさのあるものに変えた。すると、業績は安定した。
人材育成~「玉寿司大学の設立」
4代目社長に就任し、大切にしていることの1つが「人材教育」。
8年前に「玉寿司大学」というものを開講。
これは、今までの、見て覚えろ、背中を見て勝手に盗めではなく。
調理技術力、接客力、人間力という3つの柱をたてて
カリキュラムを作り、論理立てて丁寧に教えていくというもの。
120日のプログラム。
そこでは一人前にはなれないが、半人前になれる。
つまり、職人として一番大事な魚の仕込みがきちっとできるようになる、
そのあとにお店に配属され、4つの試験があり、それを全部合格すると、
一人前の板前であるという免許証もらえる、
企業は人なりということで、毎週1回、朝礼をオンラインでおこなっている。
全店を繋げ、各店の情報を聞き、それを共有する。
店であった感動の話、ちょっと嬉しかったこと。
自分が仕事上大事にしてることや、お客様に喜ばれている
ちょっとした気遣いなど、小さなノウハウを、各店が共有する。
業界全体でいうと今、人手不足、人材不足という大変な状況であるが、
「玉寿司」は定着率が非常に良く、人手不足に困っていないという状態。
ありがたいと思う、。
先代からの学んだこと
3代目が渋谷の東急プラザに店を出した時、
そこは女性のお客様が多く。時価では流行らない。
「そこで、お寿司とお椀と、茶碗蒸しをつけて 〇〇円」というお決まりを作り、
気軽に来れる値段設定したところ、大変喜ばれ、繁盛した。
3代目はいつでもお客様だったら、どういう店だったら入りたいか、
入りやすいかという観点から逆算して店作りをしていた。
その姿勢は非常に自分にとって学びになった、
1番ヒットしたのは昭和46年にオープンした銀座の4丁目の店。
若い人たちが安心して来られる店を作りたいという思いから
お寿司を全部1貫40円にしようと考えた。
当然それだとお客さん大喜び。うちは利益出ない。
そこで売ったのが1本100円の三角形の手巻き。
これで店も利益出て、お客様も面白いと喜んでくれた。
手巻き寿司は玉寿司が発祥。
4代目社長の自分が今、おこなっているのが、
インバウンドの方に人気の「寿司握り体験」。
寿司屋ができる異文化体験として提供。現在4店舗で実施。
自分の仕事への原動力は、
玉寿司は絶対にこれからもこの世の中で輝いていたい、生かしたい
という思いと、もう1つは父が言ってくれた
「寿司は永遠なりだよ」という言葉、
「50年経っても100年経っても心から握ったお寿司は愛されるよ
だから安心しろ。ただし、玉寿司が永遠かどうかはお前次第だ」
と言われた。これが今でも希望の軸。
社長として社員の皆に伝えていること
2025年、表参道ヒルズに新たなお店が生まれる。
何度でも通いたくなるような、あたたかいお店をつくりたいと思っている。
よく社員に言うのは、
「我々は海の幸をほんとに美味しくするために存在する。
我々の技術があるから、おいしい刺身になり、
美味しい寿司になる。これはすごい技術である」ということ。
包丁1本で海の幸をこんなにシンプルに美味しくする食文化は、
世界を見てもない。誇りを持って頑張れ。
ということを社員にずっと言っている。
また、今まで積み重ねてきたことを大事にしようと思っている。
日本人が普通に、おもてなしの心を大事にしようといってきたことを。
ほんとに実践していこう。マニュアルではなく、その心が大事だと言い続けている。
自分は行動の選択というのを1番大事にしている。
仕事をしていて気分が乗ってる時も乗ってない時もある。
気分で行動を選択したら絶対にぶれてしまう。
気分が上がってようと下がってようと、
とるべき行動はいつも前向きにと思っている。
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