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2024.10.11

小島奈津子さんに聞く、アナウンサーという仕事の魅力

フリーアナウンサーの小島奈津子さんが登場。

フジテレビアナウンサー時代に学んだ極意、失敗談はもちろん

フリー転身決断のエピソード、

さらに2003年から担当している

ニッポン放送「小島奈津子のおかえりなさい」の舞台裏についても

伺いました。

インスタグラム コチラ

 

アナウンサーをめざしたきっかけ

高校生のとき、まだあまり女性がニュースを読む時代、

田丸美寿々さんが、ニュース読まれている姿が格好よく、

私もそんな感じでニュース読んでみたいと思った。

実際に学生時代、就職を考える時に、

人にものを伝える仕事がしたいと漠然と思い、

新聞記者や文字よりは喋る方かなと思い、

安易に、アナウンサーの就職試験を受けた。

自分でダメだと思っていたが、運よく受かり、フジテレビに入社。

当時は、何千という人が試験を受けに来ていたので

受かったことは未だに自分でも謎だが、

一生の運をそこで使ったという感じ。

その年、アナウンサーは、3人採用され、

自分のほか、女性は西山喜久恵アナウンサー。

男性は福原アナウンサーが採用された。

ニュースを読みたいと思ってフジテレビに入ったが、

会社員なので、最初はバラエティだったりした。

しかし、いろんなことをフジテレビでやらせてもらったと思う。

 

 

小島奈津子さんとラジオ

ニッポン放送『小島奈津子のおかえりなさい』は、

この10月から22年目を迎えた。

月曜日はフリートーク。

フリートークを5分というと、日々ネタを探してなくてはいけない。

どういうことを話したらいいかと、いつも何かネタ探しをしている。

ラジオを始める時に、

「どんな小さなことでも、リスナーの方は聞いてくれる

テレビとは違う。だから、道端でこんな花見つけましたとか、

そういうことでも、何でも喋れるようになれるのが

ラジオのプロだよ。」と先輩に言われた。

なので“どんな小さいことでも”と、いつも心に留めている。

フジテレビ時代に、報道からバラエティまで様々な番組を担当したが、

フジテレビの教育法としてかもしれないが、失敗を楽しめと言われた。

『めざましテレビ』という情報番組の5分間の中継で、

思いがけないハプニングというのが必ずあるが

なんでも慌てないで、失敗も楽しい方に転換していくよう言われた。

いつもゴールキーパーのような気分でいる。

どんなボールが飛んできても、取れなくても、それはそうなんだろうし、

意外なところでボールをうまくキャッチできたなという時もある。

 

 

フリーアナウンサーへの転身

結婚をした翌年の2002年にフジテレビを退社。

自分は、その当時、朝、『めざましテレビ』を担当していたので、

朝3時ぐらいに起きて、局に入っていた。

夫がフジテレビのディレクターだったので、大体帰りは夜遅い。

そうすると、私が出る頃に主人が帰ってくるという生活になり、

それは結婚したのに本末転倒だと思い、

一旦リセットして、会社員という形は卒業し、フリーになった。

一旦、自分の生活整えようと思ったので、全部の仕事を辞めようと思ったが、

当時の局長が、「結婚したからってやめると言うのは

今の時代、古い。結婚したってやったっていいじゃない。

週1回だったらやれるでしょ」と言ってくださったので

日曜の夜に森本毅郎さんと一緒にやっていた情報番組を

続けさせてもらった。

当時、結婚したら全部線を引いて・・と思っていたが

そのように考えてくださる上司がいたことが衝撃的だった、。

それが細々と仕事してる今に繋がってるのかなと思う、

タモリさんや明石家さんまさん、ビートたけしさんなど、

素晴らしい方々と組んで仕事をしたが、

そばにいられたことは、本当に幸せなことだったし、

邪魔にならないように、でもきちんと自分の仕切りもしなきゃいけない

間が抜けてもいけないし、かぶってもいけない、

ちょっとかぶりながら、言葉を挟んでいくというような

間合いみたいなものは共演の中で学んだと思う。

 

 

50代からの生き方

40代は、子育て。家庭のために生きたので、

50代は自分のために生きたい。

一緒に頑張ってきたママ友たちが、

一斉に子供から手が離れたということで、親は親で、

何か月かに1回、自分が高められるようなことしよう

ということで活動をしている。

落語を聞きに行ったり、ミュージカルを観たり、

今度は宝塚に行ってみたい、などどんどん広がっている。

大人たちが今まで興味があっても時間の制約があって

なかなかできなかったようなことをしようと思っている。

仕事に関しては、この仕事をいつまで続けられるんだろうと

いつも思っている。

いつかは途切れるんだろうなと思いつつも、

自分がこの時に全力投球して、「なんかいい」と思ってもらえて、

長く続けられるのであれば

本当にありがたいと思い、いつも全力投球している。

皆さんに対しても、スタッフの皆さんに対しても、

自分のためにも全力をだし、手抜いたりしない

というのをモットーとしてやっている。

 

 

アナウンサーという仕事の魅力とこれから

アナウンサーという職業の魅力は、

いろいろな方とお会いしたり、

自分と違う世界の方にインタビューできたり、

旅番組だったら、自分で描写しながら、

自分ができないような旅をさせてもらったりできること。

ラジオもそう。お会いできないようなリスナーの皆さんと

たくさんと繋がれている。

これからチャレンジしてみたいこととしては

もう1回原点に戻りたいというのがある。

ナレーションなど、声だけという表現はほんとうに難しい、

ラジオは、自分の感情を出すこともできるが、

ナレーションは、その画に対して自分の声をのせて、

でも、こういうことなんだという気持ちものせていくっていう、

本当に奥が深い仕事だと思う。

自分の仕事は、声を出して人に伝えたい

というところから始まってるので、

原点に戻り、ナレーションというものを磨いてみたい、

 

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