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2023.04.22

パラアスリートの 岩田朋之さんに聞くロービジョンフットサルの魅力

パラアスリート、ロービジョンフットサル日本代表強化指定選手の

岩田朋之さんが登場。

ロービジョンフットサルがどのような競技なのか。

岩田さんがロービジョンフットサルを始めたきっかけや競技への思い、

さらに、今年8月にイングランドでおこなわれる

「IBSAワールドゲームス2023」に向けての抱負も伺いました。

©日本ブラインドサッカー協会 

 

ロービジョンフットサルとは? → コチラ

岩田さん twitter コチラ

CA SOULA 葛飾 コチラ

 

ロービジョンフットサルとは 

2012年に病気のために視覚障害者になった。

現在、弱視の人、ロービジョンの人がプレーをする

ロービジョンフットサルの選手。

視覚障害者スポーツの中で3つに大きくクラス分けされている

「B1」は全盲。光の感覚がわかる。競技でいうと、ブラインドサッカー。

「B2」「B3」は視力、視野の障害の程度があり、

大きくその方たちをロービジョンという。

視覚障害の方の8割~9割の方がロービジョン。

その人たちがサッカーをしたいとなったときに、

サッカーボールはバウンドして見づらいので

あまりバンドしないフットサルボールに。

また、コートもスタジアムは広すぎて、

人やボールの位置を見つけるのが難しいので

フットサルコートを使用。

自分はもともとフットサルを競技としてはやっていなかった。

小学2年生から6年生まで少年サッカーをやっていた。

中学校はサッカー部がなく、少年サッカーの仲間たちと

野球をやっていた。

サッカーを観ること、応援することが20代前半は特に好きで、

日本代表戦でゴール裏で中田さんや本田選手のユニフォームを着て

大きな声でエールを送るのが生きがいだった。

 

 

ロービジョンフットサルとの出会い

2012年、7月末、急激に視力が低下。

医者に行き、精密検査をしたがなかなか原因がわからず、

血液検査して、遺伝性の病気と分かったのはその年の9月末。

自覚症状をしてから約2か月後だった。

薬や、治療方法がないので、ドラマみたいだと思った。

自分のことと思えなかった。

日本代表のサポーターの方から、

ブラインドサッカーのことを教えてもらい、

試合を観に行って帰ろうと思った時に、

「弱視クラス」というアナウンスが聞こえた。

自分と同じような人がいるのかなあと思い、観戦、

それがロービジョンフットサルとの最初の出会い。

自分もそのうちに、やってみようかと思った。

2013年に筑波技術大学に入学したことをきっかけに

本格的にプレーするようになった。

自分の見え方、視力はかわらない。

チームメートも見え方はバラバラ。

そこは変わらないが、どうやったらうまくいくか。

できることをみんなでやる。自分も努力する。

変わらないものを変えようとするのではなく。

変えられるものに対して工夫などをするということを

ロービジョンフットサルという競技を通じて教えてもらった。

 

 

自分の原動力となっている言葉

障害をもち、苦しく、落ち込んだとき、

これではいけないと思わせてくれた主治医の先生の言葉がある。

自分の病気は遺伝性のため、弟にも発症のリスクがある。

「君は交通事故になったようなものだ。急になったから。

しかし。弟は、いつでてくるかわからない、

おばけやしきにいるようなもの。、

暗闇の中で希望の光になるのは誰でもない、君だ。」

といわれ、やるしかないと思った。

そこから気持ちが変わった。

まず理学療法士の資格をとり、社会復帰することを目的に大学へ。

サッカー日本代表の試合に行き、本田選手のPKのゴールを、

ゴール裏で、間近で感じ、力強く生きていくんだとメッセージを

勝手に受け取った。いつかサッカーに恩返ししたいと思った。

2015年の世界大会に日本代表として出る機会があり。

自分もできるチャレンジをして頑張ろうと思った

この2つが今の自分の原動力になっている。

視覚障害があるから・・・という偏見はなく、

競技そのものを楽しんでみてもらい、ひとつの個性として、

選手一人一人のストーリーを知ってもらい

競技の魅力を伝え、盛り上げていきたい。

 

 

ロービジョンフットサルを通じて伝えたいこと 

弱視は外からわかりにくい障害。

本当に大切なものを目に見えない。

だからこそ、近くにいる人を大切にする。

見えないから何かを信じるしかないし、信じることが希望。

「信じることが希望そのもの」というのは本田選手の言葉で

自分が大事にしている言葉。

病気になった当時、自分は変わったと思うけど、

周囲からは変わっていないといわれた。

そんな葛藤がある中、何ができるのだろうと思ったときに

自分を信じることが一番大事だと教えてくれた言葉。

ロービジョンフットサルを通じて、

視覚障害のある子供たちにこの競技や、体を動かす楽しさ、

人とつながることを伝えたい。

子供たちにサッカーやフットサルを教えている。

「エンジョイ、チャレンジ、アレンジ」ということを

子どもたちに伝えている。

大学でアダプテッドスポーツを学んだり、

サッカーの指導者のライセンスをとったり、

FCバルセロナで障害のある子供たちに向けての指導方法を

学んだりしたことを子供たちに還元したい。

ヨーロッパではロービジョンの子供に向けてのサッカー教室を

大きなクラブチームが当たり前のようにおこなっている

そこを目標にやっていきたい。

 

 

今後の目標・夢

現在37歳。自分の全盛期はこの先。

選手として、まだまだ成長できているという自信がある。

仲間のプレーの特徴を知り、どう動くかイメージする

サッカーはイメージをもつことが大事だが、

自分たちは見えない分、非常に大事。

スペインにはロービジョンフットサルのチームが20チームもあるなど

ヨーロッパでは日常的にサッカーをする。

それがロービジョンの人というだけ。

フットボールの文化の上でみんな楽しんでいる。

日本でも当たり前、日常になっていってほしい。

ロービジョンの見えにくさをありのままの状況を

まず自分が受け入れ、仲間も状態も受け入れ、

自分たちの可能性を信じてチャレンジし続けるのが

この競技の魅力だと思う。

視覚障害の子供たちや地域や日本の人にもっと知ってもらうように

頑張りたい。

8月にイングランドで「IBSAワールドゲームス」がおこなわれる。

ぜひそこで新しい景色がみえるようにがんばりたい。

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