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2023.01.13

武者小路千家第15代家元後嗣、茶人の千宗屋さんが語る「茶道の世界」

武者小路千家第15代家元後嗣、茶人の千宗屋さんが登場。

茶事や茶会、公演や執筆活動、さらにSNSを通じて、

茶道文化を発信されている千宗屋さんに、

「茶道の世界」について伺いました。

Instagram コチラ

 

千宗屋さんの著書:『千宗屋の和菓子十二か月』(文化出版局)

番組内で紹介 濤々(とうとう)↓

 

茶の湯の歴史

有楽町は、実は茶の湯と関係のある場所。

織田信長の弟、織田有楽斎長益の屋敷あった場所で、

「有楽」の字をとって「有楽町」。

有楽の屋敷の茶室のあったエリアが数寄屋橋。

有楽は千利休の弟子でもあり、非常に親交が深かった人物。

茶人として名を残しており、ここでお茶会を開き、

様々な人を招き、もてなしていた。

昨年は千利休生誕500年。

茶の湯自体の歴史はそれより古く、お茶そのものは平安時代から伝わり、

茶の湯、茶道という抹茶を使った茶会の形ができてくるのは

千利休が生まれるおよそ100年前といわれている。

千利休の孫に4人の息子がおり、

長男は家を離れ、次男も一度家を出、三男が千家を継ぎ、

3代目は四男を連れ、千家の裏に屋敷を立て隠居。

その裏の屋敷を四男が継ぎ、裏側の千家ということで裏千家、

もともとの千家は表側の千家ということでは表千家とよばれるようになった。

後に次男がお茶の世界にもどり、

京都の武者小路通りにある2代目の別宅を相続し、

新たにお茶の家として居を構え、武者小路千家と呼ばれるようになった

「後嗣」は跡継ぎの意味。

父が14代目の家元。その跡を継ぐ者ということで「家元後嗣」。

茶の道に進むことは、親から強制されることはなかった。

ごく自然にそこに馴染んでいった。

 

 

茶の湯の作法

表千家、裏千家、武者小路千家の作法は、基本的な形は変わらないが、

袱紗を裁く形や茶巾を畳み方などいくつか違いがある。

映画「利休にたずねよ」で千利休役を務めた市川海老蔵さん(現:市川団十郎)が

利休のことを勉強したいと訪ねてきた。

利休役のため、武者小路千家の作法だけではなく、

三千家のどこでもない、3つの要素があるような形を考えた。

完全な創作だが、演じるのが利休で、3つの区別のない時代なので、

どこにもはまらない形でよかった。。

千利休は秀吉や信長らの武将とお茶を通して交流をおこなった。

お茶は身分制度から離れられる場所。

当時は身分が厳しい時代、身分が違う人同士は言葉を交わすこともできなかった。

しかし、茶室の中だけは、身分の上下も、高さもなく、

同じ畳の上、狭いところで膝を突き合わせる。ここだけは無礼講だった。

お茶を介しての交流だけは、唯一、

直接自分の意見を伝えることが許された場所だった。

今はお茶というと作法が厳しいというイメージが先行しているが

当時は逆、むしろ、お茶の世界の方がゆるかったのだと思う。

お茶を確固として文化として作り上げたのが利休。

時代の変化に対応して柔軟に形を変え、今日まで続いている。

たとえば、明治以降は椅子・テーブルが生活スタイルの主体になり、

外国の方を万博でお迎えするために

椅子・テーブルの形の立礼というものも生まれている。

 

 

茶は文化

「茶は飲み物ではなく文化。」

茶の湯の一番大事なことは、おいしいお茶を点てて差し上げること。

「おいしいお茶」とは単に味のことではない。

茶の湯で昔から大事にされてきたのは、

亭主がどのような趣向で、いつのタイミングで、誰を迎え、

どのような場で、どのような道具を使って茶会を開くか。

シチュエーションやお茶にまつわる周辺のことをすべて整え、

特別な場・空間、時間をつくり、非日常を演出したところに

客を迎え、亭主が一人で心を尽くしてもてなす。

ただドリンクを飲むということではない。

最終的に、いかに心と心が通い合う場を作るか。

2008年文化庁派遣でニューヨークに滞在。

現代美術作家の杉本博司氏と交流があり、

彼のニューヨークのスタジオに杉本さんが設計、自分が監修の茶室を作った。

杉本氏はここを自分自身のアート作品をプレゼンテーションをする場としても

活用するということで、単にお茶が飲み物を供するだけでなく、

アートを体験できることを裏付ける場にもなっている。

利休の弟子が残した記録によると、

「利休は山を谷、西を東と茶湯の法度を自在に破る」

しかし凡人はまねしてはいけないと書かれている。

利休は古典をよく勉強した上で、時代の要請に応じて

自由に改めていって、独自のお茶の道を完成されたと思う。

そして、精神性を大事にした。

それがよく表す言葉が「一期一会」。利休が目指した境地。

「わび」というのは「お詫び」のこと。

自分ができる精一杯を尽くして相手をもてなし、

でも、これだけのことしかできません、ごめんなさい

というお詫びの気持ちをそこに込めることが謙虚さに結びつく。

決して乏しいことを演出するのではない。

豊臣秀吉の黄金の茶室は、天皇を迎えるための茶室で、

天下人である秀吉が心をつくした最高のもてなしをした形であり、

秀吉にとっての「わび」だと思う。

 

 

『千宗屋の和菓子十二か月』

文化出版局から『千宗屋の和菓子十二か月』を出版。

季節ごとの和菓子54個を美しい写真とともに紹介。

どのようなお菓子なのか、どのような行事にちなんでいるのか、

どのようなお茶会で使ったか、お菓子に関する個人的な思い出など

背景が垣間見える解説をつけている。

もともと雑誌「ミセス」で連載していたもの。

本にすることで、バラバラだったものがまとまった形でみることができ、

1年を通じてのお菓子の変遷がみえてくる。

また、それぞれのお菓子にふさわしい器をあわせているので、

器との出会いも楽しんでいただきたい。

自分は、お茶で大事なことは道具と道具の取り合わせと言っている。

まさにそのお茶の醍醐味である「取り合わせ」を体感してほしい。

この本に載っている武者小路千家の好み(先代家元好み)のお菓子が「濤々」。

せんべいの中に餡が入っていて、餡に大徳寺納豆が練り込んであるお菓子。

代々お出入りのお店、京華堂利保さんで作られていたお菓子。

お店を閉じられたが、家元から預かっている「濤々」は消してはいけないと、

お付き合いのあった鍵善良房さんに引き継いでもらえないかとお願いされた。

お菓子の銘柄がお店からお店に引き継がれることはめったにない。

休刊と共に連載が途絶え、今回単行本化で復活したという

この本の成り立ちと「濤々」の成り立ちがオーバーラップした。

その象徴の意味で「濤々」を最後に載せた。

 

 

これからの夢・目標

ベネチアで杉本博司氏が作品として発表した

水の上につくられた茶室、「聞鳥庵(モンドリアン)」。

茶室の機能の監修を自分がおこなった。

ベネチアやベルサイユ宮殿を経て、

今は香川県の直島のホテルの前の池に浮かんでいる。

これはガラスで外が見える茶室。

ガラス1枚でも囲われている意識があることで、

中でお茶を点てていると外がきにならない。ふと顔を上げると景色が見える。

外を中から観察しているように感じる茶室。

お茶は美味しいお茶をいただき、心を通わせ、

美しいものをみる。その喜びは万国共通。

そこまで洗練された食文化はお茶が究極だと思う。

500年前の利休の器を使ってお茶を点てると歴史と自分が一体化する。

身分や年齢だけでなく国籍も超えていくことができ、

茶室の中であらゆる人が対等に、

美しいものやおいしいものを通じて心を通わせる。

自分も海外にいくと、現地の器を使ってお茶をすることを意識している。

そこに現地の方を招くと、とても共感してくれる。そこから会話もはずんでいく。

少子高齢化もあり、お茶は高齢者のお茶の先生が多く、

お茶の世界もどちらかと言えば減少傾向。

若い人は、畳の空間、和のモノが生活からなくなってきている

しかし、お茶の中にはそれがタイムカプセルのように凝縮され、保存されている。

お茶の文化を学ぶことで日本人としての文化や考え方

アイデンティティを取り戻していくことができる。

「日本人はどういう民族ですか?」と海外の方から聞かれたとき、

「日本にはお茶があります」と世界に向けて胸を張って言えるように

なっていけばいいと思っている。

竹製の茶筅があればお茶を点てられる。抹茶は究極のインスタント飲料。

粉を入れてお湯を言えて混ぜるだけ。

しかし、それでいて、一番フォーマルでエレガントな印象がある。

朝、円を描くように茶筅をふれば気持ちが静まり一日が気持ちよく迎えられる。

一日の終わりにもやっていただくといいリセットになると思う。

そのようなところからお茶に親しんでもらえれば嬉しい。

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