竹内由恵のT-Times

2024.05.16

5月5日(日)地上波放送 槇眼科医院 院長 槇千里

槇眼科医院 院長 槇千里

川崎医科大学を卒業後、お茶の水・井上眼科病院に勤務。
その後、埼玉医療センター眼科、
西葛西・井上眼科病院を経て、
2015年、医療法人孝友会の理事長を継承。
現在は、福岡県久留米市にある槇眼科医院で院長を務めている。


竹内:今は福岡に住んでいらっしゃって、東京にも結構いらっしゃるっていうことなんですね。

槇:はい。東京と福岡の往復生活ですね、ずっと。

竹内:福岡では槇眼科医院があって、東京ではどのようなお仕事をされているんですか?

槇:非常勤という形態をとって、クリニックさんでお仕事をさせていただいております。

竹内:槇眼科医院なんですけれども。いつ頃開業されたんですか?かなり歴史のある眼科ですよね。

槇:そうですね、もう120年近くになると思いますが。明治37年ですね。曾祖父の槇 清太郎が開業いたしまして。

竹内:すっごい歴史。

槇:私で4代目です。

竹内:4代目なんですね。病院を継ぐっていうお話は結構聞きますけれども、なかなか4代っていうのは珍しいですよね。みんな眼科になるっていう志がよく続きましたね。

槇:私はですね、元々外科出身なんです。なので、全身管理をちょっとやりたかったっていうのがありまして。ちょっと違う方向に行っての眼科への決断だったんですが。

竹内:それはどうしてですか?最初は全身医療を診たいっていうことで、なぜ眼科に変わろうと?

槇:地元で外科をやっている時は、周りの先生たちはみんな槇眼科の娘として見るんですよ。そうしますとね、外科をやっていてもやりづらいっていうのは結構ありました。プレッシャーはあるんです。「親父が泣いているんじゃないか」とか。

竹内:ああそういう感じで。

槇:そういう圧力もありました。その中で全身管理をやろうって志したので、とりあえずやれるだけやろうと。眼科の道っていうのはあまり考えていなかったんです。

竹内:そうなんですね。いつ頃変えたんですか?

槇:父が最終的に亡くなったのは、3回目の肺がんの発症で倒れた時なんですけども。2回目の肺がんの発症、再発の時に、私は外科の時だったんですが、体力の限界を感じ始めていたんです。寝ずに心臓マッサージとかしますよね。そのあと当直で、立て続けに3つぐらいお腹のオペが入っていましたね。3例目に助手でついていた時に、目は開いているんですけども、ちょっとクラッとして、そういう時期を迎えて、ふと眼科も目指してみようかなって感じていた時に、たまたま2回目の父の肺がんの再発がありまして。たまたまが重なったんですよね。

竹内:外科としてお仕事をしていて眼科に移るのって、もう1回勉強し直さないといけないこともあるんですか?

槇:外科でやっていたことと眼科っていうのは全く違いましてね。全身疾患から目に来ることもありますが、やっぱり目の臓器として学ぶことは多々ありまして、また別として扱わなきゃいけないですし。かなりいろんな機械を扱わなきゃいけないですから。

竹内:お仕事で最もこだわっていることは何ですか?

槇:地域の方々に良い目の健康と、それによって豊かな生活をサポートさせていただきたいと、地域に根差した医療提供を行っていきたいと日々思っております。また、誠実で質の高い、温かいホスピタリーをご提供できるように考えております。

竹内:槇眼科医院は、当時からの建物を受け継いでいらっしゃるんですか?

槇:そうですね。実は初代が作っていた槇眼科は、写真で見ていただくと、今の倍以上はあったんですね。病床も多くて。

竹内:はい。

槇:ですが、第2次世界大戦を迎えて、もう焼け野原になって更地になって。それで祖父は陸軍の方に招集されて、1回シベリアにも抑留されているんです。5年くらいかな。帰って来なかったんですよね。でも槇家は、もう亡くなった、おじいちゃん死んじゃったって思っていた時期があって。

竹内:ええ。

槇:それで、土地を売ったりしてどうにかしのいでいたみたいなんですが、祖父は最後、シベリアから日本に行く最後の船にピョンと乗って、見事に帰ってきたという歴史があったみたいです。それでたまたま帰ってきた時に、父がまだ小さい頃ですね、5歳かな。その時に、髭がボーボーのおじいちゃんが立っている、って。自分の父の顔を知らないわけですね。

竹内:ああ。

槇:そうです。うちの祖父は代々木練兵所ってところに収集されて、そこから満州に行くわけです。満州に行って、一応病院長をやっていたみたいですけども。それで、傷の手当てを。

竹内:そういう役割を与えられてということですね。

槇:そうですね。その時に父が生まれて、電報を打って「どうしても息子に会いたい」と。自分はもう死ぬかもしれないから会わせてくれ、と。まだ0歳で乳飲み子だった、生まれたばかりの父を抱えて、祖母は祖父に会いに行ったらしいですね。

竹内:すごく時代を感じる、やっぱり歴史のあるお家だなって。「槇家」というすごいお家だなぁって。地域の方も、槇家はこういう風にあるっていうのはご存知なんですね。

槇:はい。患者様からも、明治時代に槇眼科が存在していたっていうのを「明治時代の地図だよ」って巻き物に綺麗に仕上げてくださって、プレゼントしてくださる方とかいらっしゃって。「あるある!確かにある!」みたいな(笑)。

竹内:最後に、これからの夢、目標を教えてください。

槇:夢というか、ご縁を大事にしてきて、今心丸く、志強くて、「心志」っていう言葉を大事に、日々、継続しながら前向きに歩いている途中なんですが、そこに夢があって希望が生まれてくるのかなって思っているところなので、これといった、こうだっていうのは言い切れないんですが、何か創造性が出てくるのかなと思っている途中です。

竹内:すごくわかります。

槇:ありがとうございます。

竹内:今日はほんとにいろんなお話を、槇家の歴史を幅広く伺いました。

槇:聞いていただいてありがとうございました。

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