妙乗院 住職 酒井圓弘
1963年、愛知県蒲郡市生まれ。
マグロ漁船の乗組員や食品の営業を経験した後、
1990年、天台宗の総本山比叡山延暦寺に入山。
1992年、妙乗院に入り、翌年、佛教大学卒業。
2005年、第25代住職に就任。
竹内:聞きたいこと気になることがいっぱいあるんですが、妙乗院はどんなお寺なんですか?
酒井:平安末期に創建されているので、もう千年以上の歴史があるんですけども、ただ途中で火災にあって焼けているので、真ん中辺の住職の歴代が分からなくて、江戸に入ってからの25代ということなんですけども。
竹内:なるほど。住職って世襲制が多い印象なんですけれども、酒井さんはそういうことで継いだわけではない?
酒井:そうですね、私は水産高校を出まして、そのおかげでマグロ漁船とか乗っていたんですけれども、その後、サラリーマンをやってまして。営業させていただいたんですけども、やっぱり上には上がいっぱいいてですね、挫折してしまったんですね。
竹内:はい。
酒井:また転職して挫折して転職して挫折して、それが4~5回繰り返されたんですね。ドンドンですね、氷の滑り台落ちてるような感じですね。つかまっても落ちて行っちゃう。あがいても落ちていっちゃうんですね。これはどん底に行きそうだなと思って、ちょっと周りを見渡したんですけども、親戚にですね、母方の実家がお寺だったんです。
竹内:へぇ。
酒井:祖父ですね。祖父から「お坊さんにならないか」っていうのは、何年か前から言われてたんですけども、あんまり気にしてなかったんです。
竹内:そうなんですね。
酒井:一回頼ってみようかなと思って、そこで出家しました。
竹内:おじい様の縁があって。
酒井:出家ですね。師匠がいないと仏門に入れないんですね。私の祖父が師匠になって出家したという形ですね。
竹内:酒井さんがこう25代住職に就任できたのはどういういきさつがあったんですか?
酒井:負けん気強くてですね、出家した時にやっぱりお寺の息子さんたちと比べて、だいぶ出遅れてるんで、相当お経を読んだりとか暗記したりとかしてたんですね。
竹内:やっぱりお経をたくさん覚えている方の方が評価されるんですか?
酒井:そうですね。お経を読んでると他の動きができるんで。お経を読みながらだと、集中し過ぎちゃうんで周りが見えなくなるんですね。暗記していると周りも見れますし。
竹内:あ~分かります。
酒井:私が学んだことは、暗記するとですね、下から声が出てくるんですね。やっぱり考えながら話してると、頭の上の方で話している。お経の場合、低温でお経を読みますんで、やっぱり暗記した方がいい声が出やすいです。
竹内:そういう努力が認められて、元々の住職の方がいいぞっていう感じで住職になったんですか?
酒井:そうですね。
竹内:何人ぐらいの中から選ばれたんですか?
酒井:一人ですけどね、別に競争があってなった訳じゃないんです。十年ぐらい妙乗院で修行させてもらって、住職にさせていただいたんですけれども。まだその頃は、住職になるのが目的だったんですね。なったとたん、燃え尽き症候群じゃないですけど、ほわ~んとなってしまって。やっぱりこれじゃいけないなと。せっかく、一般からお坊さんになって。ちょっと切り替えることをしなきゃいけないなと思って、新しい道標を見つけたりしてたんですね。
竹内:どういう道標ですか?
酒井:日本でも、妙乗院というお寺を活性化していこうと、イノベーションしていこうと思って、今の形になりましたけども。みんながたくさん、年代関係なく来てもらえるようなお寺にはさせていただいたんですね。
竹内:すごく色々な工夫をされているなと思って。例えば滝があるとか。
酒井:最初に作りましたね、12年前ですね。住職になった時に滝場を作ったってことですね。
竹内:そういうお寺って他にあるんですか?
酒井:無いでしょうね。勇気がいりましたもんね。やっぱりお金もかかりますし、田舎ですからね、周りもキョトンとしてましたけど。
竹内:滝行をされる方も多いんですか?
酒井:そうですね。毎月一回やっているんですけども。一般の方に対してはですね。大体50人ぐらい来てますね。それも殆ど一見さんたちが多いですね。
竹内:一般の方意外だと?
酒井:企業研修とか社員教育とか、そういうのが多いですね。
竹内:これからの酒井さんの夢、目標は?
酒井:妙乗院が安定して来たので、コンフォートゾーン、居心地の良い場所になりつつあるんですね、だからある程度思うようになってしまうんですよ。私も59歳になりましたから、いいんですけども、自分がせっかくお坊さんになったからやっぱりアウェーで行きたいなと思って。それと、今まで結構お年寄りをケアしたことがお寺、年寄りがお参りする人が多いかったんで、若い方たちに色んなことを、今まで学んだことを一緒に学んでいきたいなと思って、アメリカも含めましてですね、恵まれない子どもたちのためにも、何かこうしていきたいなと思ってます。
竹内:はぁ。それはどんな?
酒井:児童相談所を作ったりとか、そういうことも活動としてはやっていきたい。両方ですね、ストレスケアをしながら、私の最終的なゴール地点でもありますけども。まあできなくてもいいなと思ってます。あまりそこに行き詰めるとですね、その為だったら何をやってもいいっていう事になってしまうんで、そっちの方向に向かって行けたらいいなと思ってます。
竹内:そっちの方向に向かっていく、過程を大事にするんですね。確かに、目標を達成できないと落ち込んだりしますもんね。
酒井:そうですね、視野も狭くなってしまうので、あまりそこに固執しないように。でも方向性としてはそっちの方に向かって行く。
竹内:私自身、これから生きていく上でのヒントをもらった気がします。ありがとうございました。
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