株式会社成進 代表取締役 中里友宣
株式会社成進は、2003年の設立
北海道登別市と宮城県仙台市を拠点に、
全国で特殊な足場工事や、高所での特殊作業、
重量物の取込み据付工事などを得意とした鳶工事を行なっている。
竹内:北海道にお住まいで、出張で名古屋に行かれてたそうですね。
中里:名古屋に行って今日東京に入りました。
竹内:全国に現場があるんですか?
中里:日本全国に仕事の依頼があれば行くんですけど、今は名古屋と仙台だったりですね。あと北海道と。
竹内:鳶工事を行っている会社ということで、鳶工事って私はあまり詳しくないですけど大工さんとはまた違うんですか?
中里:はい。鳶って一括りにすると、すごく幅広いんですよね。皆さんが分かり易いのが、ビルとかマンションとかに掛かってる足場とかも、鳶工事なんですけど、ビルを建てる時の鉄骨の骨組みを組んだりですとか、橋とか鉄塔とか、スカイツリーの建設だったりもそうです。あと我々もやってる、重たくて人の手で持てないものを、あらゆる道工具を使って運搬し、据え付けるっていう事も鳶工事の中に入ります。
竹内:例えばその大工さんの仕事はなんかこう、建物を建てるっていうことだけど、その大工さんが使っている足場を作っているのは鳶職の方。
中里:はい。そうですね。
竹内:危ない仕事が多いですよね?
中里:危険とは常に隣り合わせですよね。
竹内:ご自身も元々は一鳶職人としてやってらっしゃったんですね?
中里:はい。
竹内:この世界に入ったきっかけは?
中里:特別きっかけはないんですが、中学校を卒業して、まぁ早く働きたいっていうのがあったので、ただその当時って中学校を卒業して働くっていうのは大体この建設業っていうのが一般的だったんですね。だから特別なきっかけってなくて。
竹内:自然と?
中里:必然的にそういう世界に入りましたね。
竹内:高校生の年齢で働きだしたってことですよね、どうでしたか?社会人の中で働くっていうのは。
中里:楽しかったですよ。
竹内:そうなんですね。怖かったり、厳しそうな印象ですが。
中里:厳しいのも、勿論ありますよね。
竹内:でも楽しかった。何が楽しかった?
中里:お金をもらえることが純粋に楽しかったですね。遊んで仕事して遊んで仕事してってことですね。遊んで遊んで遊んで…仕事ちょっとしてとかね。
竹内:ご両親はどうだったんですか?頑張って働けよみたいな。自分が好きなようにお金を使っていいぞっていう感じだったんですか?
中里:うちは一人親でお金もなかったんで、まぁもちろん早く働きたいって言うのもあったんですけど。働くことに関しては、高校ぐらい行ったらって言われたんですけど、3年間行く自信がなくて途中で辞める位なら行かない方がいいだろうって説得して。それで働きました。
竹内:そこから今自分の会社を作り上げるって、凄い道のりがあったんじゃないかなと思うんですけれども。最初はその工事現場に行かれて鳶職人っていう感じではなかったんですか?
中里:いやそうですよ。鳶職人。鳶職ですね。
竹内:ちょっとちらっと小耳に挟んだんですけど、鳶の仕事って命懸けてる仕事だからこそ、わりと日当が高いっていう風に聞いたんですけどどうでしたか?
中里:それがそうでもないですよね、実際ね。はい、残念ながら。
竹内:おいくら位だったとか言えます?
中里:その当時?いやぁ、7000円とか8000円とかかな。右も左も分からない状態で入ってるんで。
竹内:そうなんですね。その鳶職人としてスタートされて、今経営者の側でやってますけど、いつ頃から経営者を目指されたんですか?
中里:中学生の頃に将来社長になろうって決めてて。
竹内:そうなんですね。
中里:業種は決まってないですよ。ただ漠然と俺は社長になろうと思ってて。
竹内:それは何かを見てこういう生活、こういう人生がいいなって思ったとか、きっかけはあるんですか?
中里:いや、お金いっぱいもらえて楽なんだろうなと思って。
竹内:お金を稼げるだろうなって言う。
中里:はい。楽して金貰えるんだなと思ったんですけど、大きな間違いでしたね。3日で気付きました。大変だなって。
竹内:何が大変?
中里:仕事を貰うのが大変でしたね、当時。
竹内:やっぱり社長が仕事を貰いに行かないといけない。
中里:勿論、そうですね。
竹内:仕事をもらいに行くのって、どこかから情報が入ってきてそこに出向くんですか?
中里:当時、今の専務やってる人間と2人で立ち上げたんですけど、その時それまではずっと職人として働いてたじゃないですか。その時の伝手で、お世話になった人達とか知り合いに仕事ないですかって挨拶して仕事をもらってました。
竹内:それで増やしていったんですね。その中で心掛けていたことって、立ち上げ当初何かありますか?
中里:当初、二人でやってる時はもうただ我武者羅にやってただけですね。
竹内:二人で立ち上げられて、二人だけじゃできないじゃないですか。仕事はどういう形でやってたんですか?
中里:あの当時、我々は、お手伝いに行く側の人間で、それから少しずつ自分たちで仕事を請け負って貰えるようになって、あと二人じゃできないんで、仲間に助けてもらって、手伝ってもらってという感じでしたね。
竹内:専務として残っていらっしゃるっていうのも長い付き合いですよね。
中里:実はその彼は、中学校の2つ目の先輩なんですよ。だから付き合いは本当にすごく長いですよね。
竹内:事業所が北海道と仙台に2ヶ所にあるんですね。これは北海道に元々住んでらっしゃるから北海道ですもんね。仙台はどうしてあるんですか?
中里:2011年の震災後からですね。
竹内:震災を受けて何か思うところがあったんですね。
中里:2011年の頃ってすごく仕事が少なかったんですよ。この時震災が起きてパニックですよね皆さんね、やっぱりね。その中で声がかかって、地震で損壊した家屋の解体をしないといけないってなって。みんな大変な思いしてるんだからってことで。
竹内:そうなんですね。それで倒壊した家屋を建て直したりとか?どういう仕事がありましたか?
中里:まず解体ですね。
竹内:それがきっかけでそこに拠点を置いているんですか?
中里:そうですね。仙台にはその当時、北海道からだけじゃなく日本全国多くの会社が来たんですけど、残ってる会社ってやっぱり少ないんですよね。うちは幸い出会いもよく、家屋の解体関係が収束してからもお付き合いしてくれる会社さんがあって。
竹内:今は新しく建物を建てたり、仙台ではそういう需要もまだ高いですか?
中里:今は建てたりっていうのはもうだいぶ落ち着いてきてますよね、仙台市内は。あとは岩手寄り、福島寄りの方がやっぱりまだ津波の影響が。そういう感じの工事はまだあるみたいですけど。
竹内:私が行ったのは3~4年前ですけれども、未だに震災の跡は色濃く残っていましたね。
中里:私が行った時は本当にすごかった。車とかその辺にひっくり返ってたりとか、なんでここに車あるの?っていう所に車あったりとか。
竹内:直後の話しですよね。そういうところで働くとまた違う考えが生まれそうですね。本当にまさに助けを必要としているところで、鳶工事っていうのが必要とされているっていうのを感じられたんじゃないですか?
中里:はい、そうですね。
竹内:経営方針って何かありますか?
中里:よくお客様第一主義ってそう言ってる所とかあるんですよね。勿論そうだと思うんですけど、うちは「社員・お客様第一主義」って考えていて、お客さんが喜んでくれないと社員も喜べないし、社員が喜びの中で仕事をしてないとお客さんにもその喜びって伝わらないと思うんで。
竹内:やっぱりスタッフが一番大事だなっていう風に感じられたんですね。
中里:そうですね。人が大事ですね、やっぱり。
竹内:それは強く感じた事とかってあるんですか?経営者として。
中里:やっぱり自分ってそんな大した人間じゃないんですよ。大した人間じゃなくて、よく一人で何でもできる社長さんっていらっしゃると思うんですけども、私全然反対で、一人じゃ何もできなくて。一人で100点じゃなくていいから、社員みんなと合わせて100点ならいいなって思ってるんで。
竹内:ずっと一緒に歩いてこられた人達がとても大事ですよね。
中里:はい。
竹内:今後の目標、夢とかありますか?
中里:夢というか、当初から社員も、自分も含めて老後のゆとりある生活っていうのを本気で考えていて。我々の業界って60歳70歳でも働いてる方とかがいるんですね。
そういう人達も本当に素晴らしいと思うんですけど、ただ、働きたいのと働かざるを得ない人達もまたいて。私はうちの社員に将来、孫を抱っこする時に綺麗な格好で孫と接してほしいなって思うんですよ。決して一生懸命頑張ってる人達が悪い訳じゃないですよ。
そこは勘違いしないでもらいたいんですけど。うちの社員には、寒い中鼻水垂らして働く、暑い中汗水垂らして働く老後じゃなく、老後はゆっくりと孫と過ごしてもらいたいなっていうのがあるんで、今死ぬ気で頑張れと。今頑張ろうぜって言って頑張ってます。
竹内:その代わり老後は保証するよっていうところを。
中里:できるように頑張ります!
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