オフィスタナカ株式会社 代表取締役 田中恵藏
1958年生まれ、神奈川県出身。
大学卒業後、臨床検査会社を経て、
簿記、経理の専門学校の講師を20年務めた。
その後、オフィスタナカ株式会社を設立、
俳優の演技指導・簿記指導のサービスを提供。
竹内:経歴でお聞きしたいことが沢山あるんですが。
田中:臨床検査会社っていうのは、お医者さん相手の営業なんですよね。ルート営業をしてるので17時位に終わるんで、夜、専門学校に行き始めたら、意外とそちらの方がヒットしちゃって、そのまま専門学校の講師になって。
竹内:臨床検査会社で働いてる時に、夜も講師としてお仕事されていたんですね。簿記とか経理は元々出来たんですか?
田中:そうですね。ちょっと興味があったんですけど、深くやるようになったのは、夜間専門学校に通い始めてからですね。
竹内:最初は生徒として行ってて、そのまま先生になったんですね。凄い。何で、簿記や経理を学ぼうと思ったんですか?
田中:やはりお医者さん相手の精神的なプレッシャーが大きくてですね、そこまで気が強い方じゃないので、対抗できなくて、当時は何か武器を付けようというところで、簿記経理を。数字が元々好きだったんだよね。そちらの方で頑張りました。
竹内:そうなんですね。簿記とか経理とかって、お医者様相手に何か役に立つんですか?
田中:部署的には、当時営業だったので、お医者様には直接は、関係はなかったですけどね。
竹内:実際にやっていた仕事に役立てるためになんですね。
田中:そうですね。それから転職をするんですけれども、そこでは総務経理の会社に行ったので、役立ったんですけれども。
竹内:なるほど。じゃあそこから今度は講師をやって、20年、結構長いですよね。
田中:そうですね。その世界には20年ぐらい。
竹内:夜間ってどう言う方がいらっしゃるんですか?
田中:やっぱり社会人の方もおりますし、若い18歳〜20歳くらいの二年制のコースの方達もいましたし。特に若い人達とかはクラブなんか作ってね、ソフトボールクラブだとかそういったので、結構楽しんでましたけどね。
竹内:皆さんどう言う雰囲気なんですか?
田中:熱心ですね。やっぱり資格を取ってなんぼの世界だったんで、検定試験ですとかそういったので資格を取ってもらってって言う感じですね。
竹内:でも二十年も務められたという事は、凄くやり甲斐があったというか、楽しかったんですか?
田中:楽しかったですね。やっぱりみんな実力をつけて合格していってくれて、そのまま就職してくれて、羽ばたいて行ってくれて、自己実現してる所がやっぱり魅力的でしたね。
竹内:そして20年勤め上げられた後、今から2年前なんですよね?オフィスタナカ株式会社を設立。お幾つの時に立ち上げられたんですか?
田中:60の時ですね。会社員だと定年になると60とかあるいは65で終わりですよね。まあ若い時僕劇団にいたんで、その頃はやっぱりちょっと1年とか1年半で挫折しちゃったんですよ。一旦諦めちゃってたんですが、自分が今これから何をやりたいかなと思った時に、俳優やりたいなと思ってたんで。そこで思いを復活させて。
竹内:それはいつから思ってたんですか?
田中:それは55歳位の頃からかな。その頃から、フリーで色んなオーディションだとか受けながら活動してて。
竹内:実際に応募されて、オーディションに行って。
田中:そうですね。で、その中のオーディションの中の一つの映画だったんですけれども、映画の役は取れなかったんですけども、縁があってそこの監督さんが「うちの事務所来ない?」という声を掛けてくださって、それで所属できたんですね。
竹内:独立するちょっと前に事務所に入って…?
田中:そうですね。それで、まあ最近で言うと『半沢直樹』ですとか…。
竹内:あ、『半沢直樹』に出てたんですか?スゴイ!
田中:はい、ずっと出てました。会議室要因です。役員役でちょっと出ておりまして大体、半沢直樹さんの隣で「はーい」とか手を上げてね、決議してました。
竹内:そうなんですね。凄い良いドラマに出られてたんですね。どうでしたか?本当に全く違うお仕事をされていて、俳優業を始めて、ドラマに出るのは。
田中:やっぱり新鮮で、覚える事もたくさんあって、色んな人から話を聞けて、すごい勉強になりましたね。
竹内:今は、俳優の演技指導のサービスをされている。
田中:そうですね。まあ付け焼刃かもしれないですけれども、覚えたてのことを人に伝えることによって、より自分を理解できるような感じになってるんですね。
竹内:演技指導っていうのは、例えばどう言う指導を…?
田中:やはり表現力なので、台本を読んで内容を理解して、それを演じてもらうって言うやり方ですよね。だから正解はないだろうけれども、理想に近付けられるような形で、こうした方がいいんじゃないって提案しながら、マンツーマンでやってます。
竹内:何時間ぐらいですか?
田中:大体一時間ぐらいですね一人。
竹内:どう言う方がいらっしゃるんですか?
田中:20代30代の若手ですね。
竹内:教える事が好きなんですね。今後はどうして行きたいって言う夢はあるんですか?
田中:まあ、俳優を死ぬまでやりたいですかね。サラリーマンとかね、会社役員だと定年があるじゃないですか。俳優は無い。まあ死ぬまで出来るなと思ってるので。
竹内:俳優業を、死ぬまでやりたいって思うのは、やっぱり魅力があるんですね?
田中:魅力がありますね。正解がないって言うか100満点がないじゃないですか、結局。自分がどこまでやるか研究もできるし、まあ楽しみでもあるし、前回の失敗を次回成功に持っていけるとかね。色々自分を実現させて行くには良い事だと思いますんで。
竹内:最後に、座右の銘とかもしあったら。
田中:やっぱり夢を諦めないって言う事ですね。今コロナ禍で、大変な時期で。やろうと思う事を諦めちゃってる人達が多いと思うんですよ。ですけど、その中でも諦めずに、形はちょっと変わるかもしれないけれども、一歩一歩、何か努力してれば、きっと夢に繋がって行くんじゃないかなと思って、それが座右の銘って言う事で夢を諦めないって言う事をいつも言ってますね。
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