株式会社Central Dogma 代表取締役 川原拓人
1996年生まれ。
2018年4月、大手化学メーカーに就職され、その年の7月に退職。
その後、株式会社Central Dogmaを立ち上げ
ファイナンシャルプランニング事業、金融教育事業を行われている。
竹内:お若いですよね。今おいくつですか?
川原:25になります。
竹内:えー!若いですね。背も高くいらっしゃって。
川原:181cmあるので。
竹内:凄いかっこいいバッグも持って、おしゃれですね。
川原:ありがとうございます。自慢のバッグですね。チャラいとしか言われないんですけどね。
竹内:そこは気をつけないといけないですね。4月に就職されて、その年の7月にわずか3ヶ月で退職されてらっしゃるんですが、早いですね。
川原: そうですね。割と早めに見切りをつけたキッカケが、当時、彼女に子供がいて、子育てをしていたんですけど、子供にお金をかけてあげたいと思って。
竹内:子育てしてたんですか?
川原:そうです。彼女に子供が居たんですけど、いわゆる連れ子の状態で、その子に対して育てていこうっていう決心がついたので、そこでお金をかけていきたいという思いと、当時の会社に対して、自分の未来が見えなかったという2点から、東京に出ようと思ったのが、会社を辞めたキッカケですね。
竹内:最近の人はすぐ辞めるというのを聞いた事があるんですけど、正に!と思ってしまって。それってどうしてだと思いますか?
川原:最近の人が辞めやすい傾向でいうと、終身雇用が終わってしまった事の危機感とか、給料が上がっていないというところに関しての危機感というのは感じていて。
竹内:今までの人って、それでも我慢して辞めないじゃないですか。安定した収入があるから辞めないとか。それをそんなに早く見切りをつけられたのはどうしてですか?
川原:恐らく僕の同級生で辞めてるのって僕だけなんですよね。僕の場合は子供の頃から疑問を持ったら、自分の中で納得できるまで、先に進めないタイプだったんです。その会社に居る意味を感じなかったら飛び出しちゃうと。自分のいる意味というのを探して歩いて来た結果、今に辿り着いたみたいな形な気がします。他の人が辞めてる理由に関してはよくわからないですけど。
竹内:確かに、辞めてもいい、今なんて自由に色々自分のやりたいことをやれるもんなって啓発される機会も以前より多いのかなって思ったんですけど。
川原: 確かにそれもありそうですよね。ただすごく思うのが、マーケットのサイズを全く考えてないまま飛び出す人が多いなと思っていて。それこそYouTubeは、芸能人の方達が参入してきてすごく難しくなってきてるのが現状なのに、そこに今から飛び込むってどういう気持ちなんだろうみたいなのは、すごく思う事はありますけどね。
竹内:YouTubeに芸能人は、確かに最近増えていますよね。それってマーケット的にはあんまり良くないですか?私もなんか、どうかな〜と思ったりしたんですけど。
川原:竹内さんの場合、既に今もう知名度があるじゃないですか。知名度がある状態で参入するのと、全く知名度が無い人が参入するのってまずハードルが違うんですよね。
竹内:じゃあ、今からYouTuberになるのはどうなのかな、ということですね。
川原:難しいんじゃないかなとは思いますけど。あと収益率も下がってるんで、YouTubeで食べていくっていうのは難しい。ただ、これから宣伝媒体としては使われていくので、うちもYouTubeは検討しています。
竹内:株式会社Central Dogma、こちらの社名はどういう意味なんですか?
川原:僕がそもそも生物とか化学の学校出身なんですけど、生物工学とかの話で、Central Dogmaとは、DNAからタンパク質を作るまでの一連の機構のことなんです。弊社(DNA)の持つ金融知識でまずは従業員(mRNA)を教育し、顧客(タンパク質)に提供し続けることが弊社のあるべき姿であると定義。例えば、僕だったり、会社自体がDNAで、メッセンジャーRNAが従業員で、タンパク質をお客様というように定義しているんですけど、自分が持っている知識や会社が持っているノウハウを従業員にまず伝えていく。でこの従業員をハブとして、お客様にどんどん伝えていって、金融リテラシーを高めていこうという意味を込めて、Central Dogmaにしてます。
竹内:化学メーカーに勤めてらしただけあって、理系から来た感じですよね。高専卒なんですね?高専で5年間ですか?
川原: そうです。
竹内:会社を立ち上げるまでにはどんな経緯が?
川原:色々紆余曲折あったんですよ。会社立ち上げる前にLINEさんとか、Googleさん、 Facebookさん、Amazonさん、全部受けたんですけど、全て書類選考で落ちたんですよね。なので、自分ならどうやって上がれるかなって考えた時に、東京では肩書きもスキルも人脈も実績も何もない状態だったので、まず肩書きを付けようと思って、めちゃくちゃ小さいITの会社に行って、自分には営業が出来るのを見出して、執行役員まで上がることができました。その後、不動産会社で1年間取締役をして、更に飛躍したいと思ってCentral Dogmaを立ち上げました。
竹内:すごいですね。どんどん上に上がっていきますね。
川原:そうですね。今のところ予想通りの人生を歩んでいるという感じです。
竹内:今、お話されたことが全て2、3年くらいのスパンで行われた事ですよね?短期間でよくそこまで結果が残せましたね。
川原:そうですね。昔からずる賢いところがあったんですよ。高専卒って基本会社一つしか受けないので、面接や履歴書の書き方がわからない中、20社受けると決めて東京に来ました。当時、誰も信じていなかったので、ネットカフェで、自力で履歴書を書いたこともありました。10社中、8社受かって、あえて社長しかいない小さな規模のエンジニアの会社を選びました。技術は得意ですけど営業が得意ではない会社で、Twitterで社長さんに会いに行って営業をしていました。
竹内:えー、そんなことできたんですね。今のお仕事の話なんですけど、事業内容は、ファイナンシャルプランニング事業、金融教育事業ということですが、どんなことをされているんですか?
川原:うちは、独立系のファイナンシャルプランニングの会社で、保険も不動産もなんの商品もうちの会社自体はなにも持っていないんですよ。その中でも、保険・不動産・金融・教育資金・年金問題、複数のことに対してお客様に提案していくのが、ファイナンシャルプランニング業。金融教育業に関しては、高校の家庭科の授業で金融教育が入ったり、社会人のリカレント教育で、よく取り上げられているのですが、本質的な金融教育ができていないと思っています。僕の中での金融教育というのは、労働収入を上げるために経済のことや金融の根本的な部分を本人たちが知っている状態を、学生時代のうちに作った上で就職活動を行う事だと思っています。学校の先生って全く社会に出たことがない人の方が、割合が多い状態で進路相談をしているので、学校教育に関しては無料でもいいので入っていきたいと思っています。
竹内:それは、どういうことをするんですか?
川原:特別講義や外部講師というのがあると思うんですけど、そういうものにもっと出たいなと思っています。
竹内:今は実際にそういうことはされてるんですか?
川原:母校でしかやっていなくて、これから公演を増やしていこうと思っています。
竹内:従業員の方は何名いらっしゃるんですか?
川原:業務委託を含めて15人くらいです。
竹内:実際に、会社を立ち上げられてみていかがですか?
川原:僕の中では、もっとも自分に合ってる働き方だなと思います。
竹内:教育の方にも広げていきたいとおっしゃっていましたが、最終的な目標はなんですか?
川原: 元々、子育てのためにお金を稼ごうと思ったのがきっかけだったので、次に出会って結婚するなと思った子に対して、経済的にも時間的にも精神的にも、2度と不安にさせないような経済力を持ちたいと思っています。
竹内:意外な目標ですね。最終的には家族のために働きたいんですね。
川原:根幹が変わっていないんですよね。元々は家族のために働きたいんですよね。お金の面で家族に対して大切にしていくっていうことを実現できてない日本人がすごく多いと感じているので、それを伝えていきたいと考えています。
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