スポーツ伝説

2022.12.16

2022年12月12日~16日の放送内容

【フィギュア 羽生結弦選手】

 今年2月の北京冬季オリンピック、男子フィギュアスケート・フリー。羽生選手はこの大舞台で、当時公式戦ではまだ誰も成功していなかった4回転半ジャンプに挑みました。惜しくも着氷はできませんでしたが、世界で初めて公式戦で「4回転半を飛んだ」と認定され、歴史の扉を開けた羽生選手。7月に競技会からの引退と、プロスケーターへの転向を宣言します。
 11月4日、横浜でプロスケーターとして初めてアイスショーに臨んだ羽生さん。タイトルは「プロローグ」。ステージ構成を含め、羽生さん自らが総合プロデュースを手がけました。競技会を思わせる明るい照明の演出で登場すると、まずは2018年の平昌オリンピックで66年ぶりの連覇を達成したフリープログラム「SEIMEI」を披露。2つの4回転、3つの3回転半ジャンプを鮮やかに決め、現役時代と変わらないパフォーマンスを見せました。現役時代のプログラムを中心に、アンコールでは14年のソチオリンピックで初めて金メダルを獲得した時のショートプログラム「パリの散歩道」を演じ、観客の喝采を浴びた羽生さん。原点をたどるショーは、歩んだオリンピックロードのプロローグで締めくくられました。

  
【サッカー  中村俊輔選手】

 サッカーJ2の横浜FCで44歳までプレーした元日本代表・中村選手は少年時代、三ツ沢で日産 対 読売の試合を観戦。木村和司選手や、三浦和良選手ら名選手たちのプレーを見て、「自分もここでやりたい」と夢を抱きました。1997年、その三ツ沢球技場をホームにする横浜マリノスでプロデビュー。2019年に同じく三ツ沢をホームにする横浜FCに移籍すると、その年の10月、約20mの豪快なミドルシュートを三ツ沢のゴールネットに突き刺します。この移籍初ゴールが中村選手にとって、現役最後のゴールとなりました。
 今年は右足首の手術を行うなど、長らくピッチを離れていた中村選手。それでも、日々の練習で若手にアドバイスを送るなど、チームを陰で支え続けます。10月16日、中村選手は約5ヵ月ぶりにピッチに復帰。ホーム・三ツ沢でサポーターと共にJ1昇格を祝った2日後、現役引退を表明しました。中村選手はJリーグだけでなく、イタリア・スコットランド・スペインと、ヨーロッパでも活躍。日本代表ではエース番号の10番を背負い、ワールドカップにも2大会に出場しました。その最大の武器になったのが、代名詞である「フリーキック」です。 06年、スコットランドのセルティック時代、ヨーロッパNo.1クラブを決めるチャンピオンズリーグに出場した中村選手は、日本人初得点を決めました。 芸術的なフリーキックで決めたそのゴールは、世界中のサッカーファンを唸らせ、一目置かれる存在となったのです。

  
     
【スピードスケート 小平奈緒選手】

 1986年、長野県で生まれ、3歳でスケートを始めた小平選手。中学卒業時にはスケート強豪校からスカウトを受けましたが、それを断ってスケート部のない高校に進学。仲間と立ち上げた同好会の一員として活動し、インターハイで500mと1000mの2冠を達成しました。大学も、スポーツ推薦のない地元の国立大学・信州大学へ進学を希望します。理由は、長野オリンピックで清水宏保選手を金メダルに導いた結城匡啓コーチの指導を受けるためでした。卒業後も結城コーチの指導を受けるため、地元の企業に内定をもらいましたが、リーマンショックの影響で内定は突然取り消しに。そんな小平選手を救ってくれたのが、地元・長野県の相澤病院でした。
 地元のサポートと結城コーチの指導で、小平選手は2010年のバンクーバー大会から4大会連続でオリンピックに出場。18年の平昌大会では、女子500mで金メダル、1000mで銀メダルの快挙を成し遂げました。小平選手にとって4度目のオリンピックとなった北京大会は、直前に右足首を痛めた影響で実力を発揮できず、今年4月に引退を表明します。そして現役最後のレースに決めたのが、10月に地元・長野で行われる全日本距離別選手権・女子500mでした。最後のレースでも、モットーにしている「氷との対話」を忘れなかった小平選手は、最初のコーナーからスムーズに加速し、37秒49でゴール。2位に大きな差を付け、8年連続13度目の優勝で有終の美を飾りました。

 

【テニス ロジャー・フェデラー選手】

 数々の偉大な功績を残し、41歳で現役を引退したテニス界の帝王、スイスのフェデラー選手。4大大会=グランドスラムの優勝回数は、歴代3位の20勝。4つの大会をすべて制する「キャリア・グランドスラム」を達成し、世界ランキング1位の連続記録は歴代最長の237週を数えるなど、数々の伝説を残してきました。中でもフェデラー選手が無類の強さを発揮したのが、芝のコートで行われるウィンブルドンです。2003年に初めて優勝し、初のグランドスラム制覇を果たすと、そこから5連覇を達成。“芝の帝王”と呼ばれました。その後も、ウィンブルドンを象徴するセンターコートで何度も勝利を重ねたフェデラー選手。17年大会では、初戦から決勝まで1セットも失わず、全試合ストレート勝ち。圧倒的な強さで、歴代最多・8度目の優勝を果たします。35歳でのウィンブルドン制覇は史上最年長。まさに記録ずくめの優勝で“芝の帝王”健在をアピールしました。
 今年はケガの影響で、22大会連続出場してきたこの大会を欠場しましたが、「センターコート100周年」のセレモニーに出席。歴代の優勝者が登場する中で、ひときわ大きな歓声で迎えられたのが、フェデラー選手でした。今年9月15日、引退を表明したフェデラー選手。現役最後の試合として選んだのは、トップ選手だけが出場できる団体戦「レーバーカップ」のダブルスでした。ペアを組んだ相手は、長年にわたり数々の名勝負を繰り広げたスペインの英雄、ラファエル・ナダル選手です。二人は公式戦で40回対戦し、対戦成績はナダル選手の24勝16敗。06年から08年の3年間、全仏オープンとウィンブルドンの決勝戦は全てこの二人の対決でした。そんな最強のライバルと、現役最後の試合で夢のペアを結成したフェデラー選手。試合には敗れましたが、最後はナダル選手と共に涙を流し、一つの時代に幕が下ろされました。
 
  

【MLB アルバート・プホルス選手】

 メジャーリーグ伝説のバッター、プホルス選手は2001年、21歳の時にセントルイス・カージナルスでメジャーデビュー。打率3割2分9厘、ホームラン37本、130打点の好成績を挙げ、新人王に輝きます。しかもこの年から10年連続で、打率3割、ホームラン30本、100打点をクリア。打撃3部門すべてにおいて、これだけ長く一流の成績を残した選手は過去に例がなく、メジャー初の快挙でした。11年、打率は1厘、打点は1届かず、記録は10年連続でストップしましたが、ホームラン30本は12年まで12年連続で継続。この12年の間に、ホームラン王2回、首位打者と打点王に1回ずつ輝き“2000年代最高のバッター”と呼ばれました。チャンスにめっぽう強いのもプホルス選手の特徴です。06年には4割近い得点圏打率をマーク。デビューしてからの12年間で満塁アーチを12本も記録し、MVPを3度も受賞しています。
 プホルス選手はエンゼルスからロサンゼルス・ドジャースを経て今年3月、古巣のカージナルスに11年ぶりに復帰。今シーズン限りでの現役引退を表明し、ラストイヤーに挑みました。シーズン序盤は不振が続きましたが、後半は本来の調子を取り戻し、8月にホームラン8本と好調を維持したまま9月23日、ドジャース戦の3回に20号ホームランを放つと、次の打席でも2打席連続の一発。全米を沸かせたこのホームランは、史上4人目となる通算700号アーチでした。プホルス選手は最終的に、今シーズン24ホーマーを記録。デビューした年と、引退した年の両方でホームラン20本以上を放ったのは、史上2人目の快挙です。
  

来週のスポーツ伝説は……

12/19(月) プロ野球 比嘉幹貴投手
12/20(火) プロ野球 阿部翔太投手 
12/21(水) プロ野球 宇田川優希投手
12/22(木) プロ野球 山﨑颯一郎投手
12/23(金) プロ野球 ジェイコブ・ワゲスパック投手

お楽しみに!!

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    パーソナリティ
    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

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