スポーツ伝説

2022.12.03

2022年11月28日~12月2日の放送内容

【プロ野球 野村克也選手】

 同じシーズンに首位打者・ホームラン王・打点王の、打撃3タイトル全てを獲得する「三冠王」。日本のプロ野球では、戦前に巨人の中島治康選手が初めて達成しましたが、戦後の2リーグ制になってからは達成者がなかなか現れませんでした。そんな中、1962年から3年連続でホームランと打点の二冠王に輝き、パ・リーグ最強打者と呼ばれたのが、南海ホークスの野村選手です。しかし3年連続二冠王を達成した1964年の打率は、3割を大きく割った2割6分2厘。鶴岡一人監督は、野村選手に当てつけるかのように、62年・63年の2年連続首位打者に輝いた外国人・ブルーム選手を近鉄から獲得。年が明けて65年の開幕戦、野村選手は二冠王になったにもかかわらず、四番の座をブルーム選手に奪われるという屈辱を味わいました。
 野村選手の打率が上がらなかった一つの理由は、相手バッテリーのインコース攻め。65年の春季キャンプで、野村選手は思いきってライバルのブルーム選手に教えを請いました。そしてブルーム選手がくれたヒントに従い、内角打ちを意識したフォームに改造。これが効いて打率が大幅にアップします。シーズン終盤、野村選手は打撃3部門でトップに立ち、三冠王誕生かと注目される中、猛然と追い上げてきたのが阪急ブレーブスのスペンサー選手です。ところが10月5日、スペンサー選手は交通事故に巻き込まれ入院。残り試合の出場は絶望となり、野村選手は打率3割2分、ホームラン42本、110打点で、史上2人目、戦後初の三冠王に輝いたのです。

  
  
【プロ野球 王貞治選手】

 南海ホークス・野村克也選手が戦後初めて三冠王を達成した1965年。実は、セ・リーグでも三冠王に近付いた選手がいました。読売ジャイアンツ・王選手です。王選手はこの年、ホームラン42本、104打点を記録し二冠王に輝きましたが、打率は中日・江藤慎一選手に次ぐ2位に終わり、惜しくもセ・パ同時三冠王とはなりませんでした。続く66年・67年も、王選手はホームランと打点の二冠王になりましたが、いずれも首位打者を逃します。ならば打率を上げようと、68年から3年連続で首位打者に輝き、ホームランとの二冠王となりますが、今度は打点王を逃しました。このとき3年連続で打点王になり、王選手の三冠王を阻んだのが、チームメイトの“ミスタージャイアンツ”長嶋茂雄選手です。長嶋選手・王選手が互いに刺激し合い、毎年しのぎを削った結果、ジャイアンツは65年から74年まで「9年連続日本一」という偉業を成し遂げたのです。
 73年、王選手は33歳を迎え、選手としてピークを迎える一方で、37歳になった長嶋選手は衰えが隠せなくなりました。9連覇も危うい状況の中、チームのために打ち続けた王選手。打率3割5分5厘、ホームラン51本、114打点と、3部門とも2位に大差を付ける圧倒的な成績で、ついに悲願の三冠王に輝いたのです。チームもこの年、逆転でリーグ優勝を飾りV9を達成しました。王選手は翌年も打率3割3分2厘、ホームラン49本、107打点で、史上初となる2年連続三冠王に輝いています。

   
 
【プロ野球 落合博満選手】

 “ミスター三冠王”落合選手は東洋大学を中退後、社会人野球の東芝府中に入部するという変わった経歴で、1978年のドラフト3位でロッテオリオンズに入団します。プロ入りですでに25歳と、当時では遅いスタートになりました。しかし才能が花開くのは早く、プロ3年目の81年に首位打者を獲得。翌82年、打率3割2分5厘、ホームラン32本、99打点で、プロ野球史上4人目の三冠王に。28歳での三冠達成は、今年、村上宗隆選手に破られるまでの史上最年少記録でしたが、ホームランが30本台で、打点も100を超えていないことから「史上最低の三冠王」とまで揶揄する声もありました。84年、阪急ブレーブスのブーマー選手に三冠をすべて奪われた落合選手は、無冠となった屈辱のシーズンを終えると、オフに信子夫人と入籍。ローンを組んで豪邸を建て、自分を追い込んだ上で「三冠王宣言」をしてみせたのです。
 85年、信子夫人のおかげで体がひと回り大きくなり、パワーも身につけた落合選手。この年、ホームランは前半戦を終えて、西武・秋山幸二選手に3本差をつけられていましたが、後半戦に入るとホームランを連発しあっと言う間に抜き去りました。打点は8月半ば、前年三冠王のブーマー選手に抜かれましたが、9月にまた抜き返し突き放します。残る打率は6月、近鉄・デービス選手に最大1分2厘差をつけられましたが、8月に入ってからの固め打ちで一気に逆転。デービス選手は抜き返しましたが、落合選手が再び抜いて引き離しました。3部門とも違うライバルと激闘を演じ、打率3割6分7厘、ホームラン52本、146打点と圧倒的な成績で、2度目の三冠王に輝いた落合選手。翌86年も打率3割6分、ホームラン50本、116打点で2年連続3度目の三冠王を獲得しました。

 

【プロ野球 ランディ・バース 選手】

 阪神タイガース史上、最強の外国人と呼ばれるバース選手。しかし来日1年目の1983年には、オープン戦でデッドボールを受けて骨折。シーズン序盤は代打での起用が続いたこともあって、外国人選手では球団ワーストとなる「15打席連続ノーヒット」の記録を作ってしまいます。そんなバース選手を救ったのが、並木輝男打撃コーチでした。甲子園球場で毎日、左右に打ち分ける広角打法の反復練習に二人三脚で取り組みます。すると6月頃から成績も向上。この年、35本のホームランを放ち、契約延長にこぎつけたのです。翌年は打率も3割台に乗せるなど安定感が増し、来日3年目の85年、ついにその才能が開花。打率3割5分、ホームラン54本、134打点という圧巻の成績で、セ・リーグ三冠王を達成します。バース選手の活躍もあって、阪神は21年ぶりのリーグ優勝を果たしました。バース選手は、日本シリーズでも3試合連続アーチを放つ離れ業を見せ、球団初の日本一に貢献。セ・リーグと、日本シリーズ両方でMVPに輝きました。
 翌86年は相手バッテリーに警戒され、前年と比べてフォアボールと敬遠が大幅に増えたバース選手。この年はストライクゾーンが拡大され、ピッチャーが有利になると予想されていましたが、バース選手には関係ありません。長打を警戒してアウトコースに投げてくる相手投手の球を、磨き続けた広角打法でレフト方向へ打ち返しました。また甲子園特有のライトからレフトに吹きつける浜風に乗せて、左方向へ運ぶホームランが増加。シーズン47本、109打点で、2年連続ホームラン王・打点王に輝きます。シーズン打率3割8分9厘は、今も破られていないプロ野球歴代最高打率です。

 

【プロ野球 松中信彦選手】

 福岡ダイエーホークス・松中選手が三冠王を達成したのは2004年、30歳の時でした。前年のオフ、球団との年俸交渉がまとまらず、キャンプは自費で参加。それだけに、このシーズンは文句のない成績を挙げようと心に誓っていたのです。さらにホークスの顔であり、兄のように慕っていた主砲・小久保裕紀選手が巨人へ電撃移籍。松中選手はホークスの新たな四番として、チームを支えることになりました。その期待に応えるべく、松中選手は大好きなお酒を断ち、新たにトレーナーを雇って肉体改造に着手します。すると開幕から好調を維持し、5月には打率3割7分7厘、ホームラン8本、22打点で月間MVPを受賞。7月にはパ・リーグ記録に並ぶ6試合連続ホームランを放つなど、四番にふさわしい結果を残しました。
 シーズン後半になると、夏場には疲れからか一時調子も成績も落としてしまいます。そんな悩める主砲を救ったのは、三冠王の経験を持つ王貞治監督でした。監督から叱咤激励された松中選手はシーズン最後までバットを振り続け、打率3割5分8厘、ホームラン44本、120打点でシーズンを終了。実に18年ぶり、平成では唯一となる三冠王に輝きました。打撃3部門以外でも、得点・安打数・塁打数・長打率・出塁率でリーグ1位の成績をマークし、シーズンMVPも受賞したのです。

 

来週のスポーツ伝説は……

12/5(月) 車いすテニス 国枝慎吾選手
12/6(火) レスリング 須﨑優衣選手 
12/7(水) 車いすバスケ U23日本代表
12/8(木) プロ野球 杉谷拳士選手
12/9(金) プロ野球 川島慶三選手

お楽しみに!!

    パーソナリティ
    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

    • 過去の番組ホームページはこちら