道の駅プレゼンツ 大石久和のラジオ国土学入門

2021.02.08

第60回のテーマは「道路除雪と事前通行規制」

番組アシスタントの新保友映です!

今年、高速道路がストップするなど、日本海側は、例年にない大雪ですが、大石さんが国土交通省時代、雪対策や道路防災の責任者でもあったことから、きょうは「道路除雪と事前通行規制」についてのお話です。

新保 日本海側は大変な大雪のようですね。

「場所によっては平年の6倍の雪が降って、通行止めや大渋滞などの問題が発生しました。雪との戦いは、国土の真ん中を脊梁山脈が通っている限り、日本海側の方々には避けて通れない問題です。昔のように冬ごもりしていたらいい時代とは違って、今は冬にも活発に産業活動や商業活動を続けていかなければならない時代。物流のほとんどを自動車が担っていますから、これをどうやって確保するのかが大きなテーマです」(大石)

新保 除雪にかかるお金は、毎年大変な額のようですね。

「道路の除雪(作業)は、道路の建設、修繕、維持の中で、維持に入ります。地方公共団体が行う除雪に国が補助を出すことは考えられない話でしたが、昭和31年に田中角栄氏や、小沢一郎さんのお父さんの小沢佐重喜氏など、みんなで議員立法を作って国会を通しているんです。今でも地方自治体への除雪の補助は、この法律に基づいて行われています」(大石)

新保 大石さんは雪対策の責任者だったことがあるとか?

「私が雪対策の責任者だった頃は、小雪年が続いていました。除雪作業を行う建設会社の方々は、大雪になればなったで除雪作業に追われ、逆に少雪だと仕事がなくなってしまいます。ずっと待機してもらっているのに、それに対して十分な支払いができないといった問題を抱えているのです。これに対しては、除雪作業の契約の仕方や利益が出ないことがないようにするなど、柔軟な考え方を入れていく必要があります」(大石)

新保 「事前通行規制」というのは?

「昭和43年に発生した飛騨川バス転落事故(国道41号)をきっかけとして、大雨の時には、道路の事前通行規制を行うという概念が導入されました。私が道路防災対策の責任者だった時に、「連続雨量200ミリになると通行止めにする」事象は、年に何度生じるのか、それは10年に一度なのか、20年に一度なのか、といったことを議論したことがあります。「ある区間がどの程度の確率で通行不能となるのか」は、まさにその道路のサービス水準そのもので、道路の計画論といって過言ではないと主張したんです。が、当時、道路防災(道路管理)が道路計画論だと賛同する者はほとんどいませんでしたし、残念ながらそれは今も変わりません。このような議論が進んで、国民の皆さん方に、なるほど国が管理しているということはこういうことなんだ、県が管理しているということはこういうことなんだ、といったことが分かっていただけるようになれば、道路に対する理解も深まるのではないかと思うんです」(大石)

この後も、大石さんが、道路管理の難しさについて、お話しします。上記の「聴き逃しサービス」をクリックして、ぜひ、お聞きください!

*大石久和のひとくちコラム*

「幕末の日本は桃源郷だった」という話をしたい。イザベラ・バードをご存知だろうか。世界中を旅したイギリスの女性旅行家で、1878年、明治に入ってすぐ、日本に来て、東北を旅行している。通訳を兼ねたお供を一人連れ、完全に無防備で、とことことことこ北日本を旅したが、彼女が危険な目にあった事は一度もないと言っている。彼女が一番褒めたのは、日本人が手入れをし尽くした田畑の風景だ。日本語に翻訳された旅行記『日本奥地紀行』の中で、米沢盆地を褒めている箇所がある。

米沢平野は、南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客が多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。鋤で耕したと言うより鉛筆で書いたように美しい。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカディア、桃源郷である。

また、歴史家の渡辺京二氏は、著書『逝きし世の面影』において、幕末の時代に日本を訪れた外国人によるさまざまな手記、記録を丹念に読み解いて、当時の日本人の姿を鮮やかに描き出している。文明度からすれば、当時の日本は西欧諸国より数段遅れていたが、そこに暮らしている日本人が貧しくとも卑屈にならず凜としている、幸福で満足した生活を送っていること、そうした日本人の美点の数々が驚きとともに記録されている。初代駐日イギリス大使オールコックは、小田原から箱根に至る道路を「比類のない美しさ」と表現し、初代駐日アメリカ合衆国総領事タウンゼント・ハリスもまた「私はいままで、このような立派な稲、このような良質な米を見たことがない」と日本の水田の見事さを褒めている。彼らが桃源郷だと言った日本の風景はいまどうなっているか。休耕田だらけ、山の手入れもせず荒れ放題。我々は少なくとも親の代から引き継いだこの国土を、より立派なものにして次の世代に引き継いでいく責務がある。なのに財政再建至上主義や、わが国の経済が成長しないからという理由で荒廃させている。これでは将来世代に顔向けできない。こんなに褒められた国が、こんなに短期間に崩れ去っていることに私は恐ろしさを感じる。後世の世代から、あの平成・令和の時代の日本人は何だったんだと言われないかと心配でならない。

*駅長さん登場!*

熊本県八代市の「道の駅 坂本・広域交流センターさかもと館」道野真人 駅長

九州自動車道・八代インターチェンジから、車でおよそ20分、日本三大急流の球磨川沿いの国道219号に道の駅がありましたが、去年7月4日の豪雨水害で、敷地内の全ての施設が被災してしまいました。現在、どのような営業をされているのか、これから、どのように復旧していくのか、駅長の道野さんにうかがいました。

Q.去年の7月4日、どんな状況だったのでしょうか?

「道の駅坂本へ行けたのは被災して三日後でした。その時は言葉を失いました。館内にあった商品、冷凍冷蔵ショーケース、自販機も含めてあらゆるものが流されて、その代わりに大量の泥、土砂、流木が入っていました。新型コロナウイルスの影響で県外のボランティアさんが集められず、私個人のつながりでボランティアを募って、片付けを少しずつ進めていきました」

Q.現在、道の駅はどのようになっていますか?

「現在も、停電、断水状態が続いています。道の駅の機能として緊急車両が止まる場所が必要だったので、駐車場スペースの泥出しを優先し、確保しました。さらに、仮設トイレを設置し、自動販売機の要望があったので電線を引っ張って、自販機4台が稼働している状況です」

Q.他の場所で仮営業をされているそうですね!

「同じ会社で運営する温泉施設『球麗温(クレオン)』の一部スペースを借りて 、昨年9月1日から仮営業をしています。ただし国道219号線が、いまだに通行止めとなっていて、私達のこの温泉施設に来るまでには、山道を越えなければならず、なかなか難しい状況が続いています」

Q.道の駅の本格的な再建は?

「球磨川にかかっていた橋がすべて流されて、大型車両が入れず、復旧のスピードが上がっていません。国道、鉄道がことごとく寸断され、生活インフラの復旧が1日も早く待たれます。当駅は、坂本町と協力しながら、復旧復興に頑張っていきたいと思っています」

道の駅 坂本・広域交流センターさかもと館
所在地:熊本県八代市坂本町荒瀬1239−1
電話:0965-45-2141
営業時間・休業日等の詳しい情報はホームページでご確認ください。
道の駅 坂本・広域交流センターさかもと館 ホームページ

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パーソナリティ
  • 大石久和(おおいし ひさかず )
    大石久和(おおいし ひさかず )
    大石久和(おおいし ひさかず )

    大石久和(おおいし ひさかず )

    1945年岡山県生まれ。京都大学大学院工学研究科修士課程修了後、70年に建設省(現国土交通省)に入省。道路局長などを歴任、道の駅の制度化などに尽力し、2004 年退官。その後、全日本建設技術協会会長、土木学会会長、日本道路協会会長等を歴任。また早稲田大学大学院(客員教授)、東京大学大学院(特任教授)、京都大学大学院(特命教授)としても教鞭を振う。専攻は国土学。 国土に働きかけるインフラ整備とその恩恵の体系、社会資本整備の哲学である「国土学」を提唱。著書に「『危機感のない日本』の危機」(海竜社)、「国土と日本人 災害大国の生き方」(中公新書)、「国土が日本人の謎を解く」(産経新聞出版)、「国土学 国民国家の現象学」(北樹出版)、「国土学事始め」(毎日新聞社刊)などがある。趣味は家庭菜園。

アシスタント
  • 新保 友映(しんぼ ともえ)
    新保 友映(しんぼ ともえ)
    新保 友映(しんぼ ともえ)

    新保 友映(しんぼ ともえ)

    1980年山口県生まれ。青山学院大学法学部卒業後、2003年ニッポン放送にアナウンサーとして入社。プロ野球情報番組などを務め、野球の取材や知識が深い。女性アナウンサーでは35年ぶりとなる「オールナイトニッポン」のパーソナリティをはじめ、音楽番組「三宅裕司サンデーハッピーパラダイス」、バラエティ番組「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」など数々のレギュラー番組に出演し、萩本欽一さんや志村けんさんの番組アシスタントも務める。また報道番組「高嶋ひでたけのあさラジ!」では、ニュースや芸能情報も担当。2018年ニッポン放送退社。現在は、スポーツイベント、トークショーの司会、各種表彰式・授賞式、記者会見、試写会等の司会も務める他、ベースボール専門サイトFull-countでプロ野球のコラムも執筆している。