高田文夫のおもひでコロコロ

2025.01.20

第120回『昭和100年』

揺れるフジTV。今のところ揺れないニッポン放送である。

昨年 惜しまれつつも亡くなってしまった山藤章二先生。山藤画伯。
公私共にお世話になりっぱなしだった連中が せめて陽気にしのぼうと一夜集まることになりました。
山藤チームでは いつも番頭役だった寄席文字の橘右橘(うきつ)が音頭をとって2月25日です。
私が山藤氏企画プロデュースで丸10年「立川藤志楼」の ひとり会をやっていた新宿 紀伊国屋ホールです。
山藤氏のアイデアで いつも小遊三&米助は「漫才」やら「太神楽」やら色々やって楽しませてくれました。
松尾貴史が「朝までなめてれば」と ひとりで10人くらいの人格と声帯の模写をやりバカうけ。
大島渚やら田原総一郎やら みごとでした。
これをフジTVの横澤氏が見に来ていてTVにかけ一気に人気者に。ブレイク。
若き日の談春は出てくれたり楽屋を様々手伝ってくれたり。
なにしろ山藤氏は談志と仲が良かった。談志が最も信頼している文化人だった。

前売りはイープラスで1月22日から。

 

私は渋谷で生まれ世田谷で育った超一流の東京人なのですが。紀伊国屋やら末広亭のある新宿とも様々縁がありました。
西新宿にも数年間 住んだことがあります。
ゴールデン街、花園、高野、中村屋、新宿コマ劇場・・・・そこに すごい本が出ました。
「新宿をつくった男」(フリート横田)
「戦後闇市の王」「東京のアルカポネ」「街の商工大臣」尾津組の尾津善之助の圧巻ノンフィクション。
昭和と新宿の裏面史である。
「尾津組」のすごさは噂にはきいていたが、なんせ私は渋谷なので「安藤組」そして「花形敬」である。

八千草薫から渥美清、八代亜紀、ケーシー高峰、ポール牧ほか沢山のスターの最後である。
著者の小泉信一も昨年この本の編集途中がんで亡くなった。
私より ひとまわり程下なのに(63)。
偉くはならず常に現場の朝日の人だった。全国紙で唯一の「大衆文化担当」記者。
この人のコラム、エッセイが読みたくて朝日新聞を読んでいた。
大衆芸能の見方は相当レベルが高かった。
大衆文化を語れる人がこうやってそっと居なくなっていく。

 

出版界も「昭和100年」で少しは活気づいている。
文芸春秋もフジTV、中居クンばかりでなく「昭和100年の100人」シリーズを出して張り切る(文春ムック)。
「リーダー篇」「スタア篇」「文化人篇」の三部作。

相当コアな話だがプロレス専門の「KAMINOGE」までが よく分らないが昭和100年。
この中で玉袋筋太郎がかけめぐる青春マキ上田と「変態座談会」をやっているのだが、これがよませる。
「極悪女王」のダンプ松本、クラッシュギャルズの前のビューティーペア残酷物語である。
ジャッキー佐藤、マキ上田の前がマッハ文朱である。
すぐにリングを離れたマッハ(もともと歌手志望)たしかお姉さんと参宮橋でスナックをやっていた。
私の西新宿時代、近いのでよく飲みに行った。

 

いつも読んでる「昭和40年男」
昭和100年記念特集VOL.2「どっこい生きている昭和 建物編」
建物編という しばりが渋い。
まだまだ本屋をのぞくと あらゆる昭和篇と蔦屋十三郎が山ほど置かれています。

「江戸のメディア王」蔦重。
「令和のオールドメディア王」私がうな重です。よろしく。

「ラジオビバリー昼ズ」も実は皆元気です。
オールドメディアをくれぐれもよろしく。

 

 

1月20日

 

 

高田文夫

 

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。