高田文夫のおもひでコロコロ

2024.05.23

第93回『丸ごと一冊』

ジャーーン!

とんでもない本ができました。
濃厚すぎる一冊です。
まさにノーコウ民族。
「ラジオビバリー昼ズ」35周年記念として一心不乱に創ったのがこの本。
私の75年がすべて詰まっております。
330ページ、オールカラーという大英断です。
子供時代のお坊ちゃま写真から大学時代の青春写真 そして働く写真までマニアでなくとも日本の大衆芸能史を研究する上で可成り貴重な資料集でもあります。

6月6日発売。一家に三冊は必ず非常時にそなえて必要な本です。

『月刊Takada 芸能笑学部 丸ごと一冊高田文夫』(飛鳥新社)

表紙は「元祖二刀流」。
「ペン」と「マイク」で生きてきました。
一時期は「ペン」と「マイク」と「扇子」の三刀流時代もありました。
「書いて良し」「喋って良し」で「芸も良し」。
戦後の「TV・ラジオ史」を語るにこれだけの才人は居なかったと私ならば断言できます。

表紙に刷られている<三大対談>というのも凄すぎます。
宮藤官九郎、太田光ときて高田文太。
カッコ(長男)とあります。
編集者達から「家族の姿も見たいなぁ」といわれうちのカミさんピシャリ。「死んでも嫌。世間に顔さらして生きていくのは貴方だけ。どうしてもと言うなら長男出しましょ」
という訳で<高田家の人質>としての参加です。

血沸き肉躍る この一冊。
空前絶後、言語道断、神社仏閣、横断歩道なこの一冊。
これがそこそこ売れないと作家生命も断たれ6月28日の大イベントIN東京国際フォーラムホールAも雲行きがあやしくなってくるのです。本を買って読んだら是非感想など「ビバリー」の方にメール下さい。手応えがないと淋しいものなのです。勿論フォーラムでも大販売です。買い足してもいいんです。

 

さぁ次は、それ程大切でもないお知らせです。
『ザ・東京漫才 第6弾』
7月は「ピン芸人大集合!」で揃えに揃えました。

7月3日(東洋館)前売は6月7日です。

出演  高田文夫・ナイツ
    ねづっち はなわ
    たにし  中津川弦
    (ゲスト)タブレット純

 

 

ほほえましくも嬉しいニュースが中村獅童から。
六月大歌舞伎で長男の陽喜、次男の夏幹が初舞台だそうです。
これはめでたい。
手ぬぐいも送ってくれた。よその子でも成長は嬉しいものだ。

 

今回最も嬉しく且つ又ふびんなお知らせ。
私が常日頃から<人生のバイブル>として読んでいる『芸人人語』(太田光)の第三弾がまとまり、この度予想に反して出版されました。おめでとう。

 

成瀬さそっても無理だから、太田クンと私とで新刊を並べて<全国サイン会トークSHOW>でもして日銭を集めようか。出版という名の営業だ。

『芸人人語』~旧統一教会・ジャニーズ・ピカソ芸 大ひんしゅく編~(朝日新聞出版)

あの 日私と対談した時「さっきまで新刊で朝日へ打ち合せに行ってて、今『月刊Hanada』で対談って・・・・・・・1日の内でマスコミの中でも一番左寄りと一番右寄りをかけもちしてるの私だけでしょ。」 高田談「そう、そのバランスが爆問の魅力なんだよ」

 

 

<追伸>

びっくりした。ショック。
22日(水)にいきなり中尾彬氏の訃報。
「ねじねじ 中尾彬急死」の文字。

 

不思議なこともあるもので前日21日(火)、いつも楽しみに見ているBS「ウォーキングひむ太郎」(バナナマン日村)。この日は「銀座篇」。東京の色んな所を歩くから大好きな番組。
日村の東京愛が素晴らしい。
泰明小学校あたり。近くには談志師匠と仲のいいマスターがやってる小さな地下のBAR『美弥』。
もうマスターも師匠も店もなくなってしまったが会のあとなど いつも談志師匠とつれだって打ちあげで呑んだ。師匠はいつもハイボール。あとは睡眠薬。煙草はいつもひとから「一本」ともらった。私からハイライトを一本ぬくと きつくむせていた。
このせまい路地を日村とカメラが行く。「ここの中華屋さん 談志師匠お気に入りらしいですね」 そう、いつもここから出前。肴にギョーザと焼きそばを頼んだ。
日本そばの老舗「泰明庵」も映り込む。
そして日村「ここのイタリアン、いつも中尾彬さんと志乃さんがくるらしいですよ」など話していると店の人が出てきた。

日村「あのォ、ここは中尾さんが?」
店の人「よく来てたけどネーーそう。最近は全然来ないね」

ドキッ。この時私も翌日死去を知らされるとは ちっとも思っていなかった。
TVを見ながら「最近そう言えば中尾さんとお会いしてないなァ」とボンヤリ思っていた。

それが翌日。
『ゴゴスマ』の生放送の中で古舘伊知郎さんが「私も隅っこの方に御一緒させてもらいましたけど・・・・・談志師匠が居て、中尾彬さんが居て、いつも高田文夫さんが居て——、こう見てると何かいいんですよ。お互いしゃべりあってて、「江戸っ子ってのはそんな言い方しないよ」なんて江戸のウンチクをしゃべりあってる。こう見てると三人のそこだけに江戸の風が吹いているようで・・・・・良かったなぁ」としみじみ。

『美弥』、ある時はここにビートたけしが、またある時には太田光が毒蝮三太夫が志の輔が談春が志らくがミッキーカーチスが居た。

談志から「江戸」を「芸」を中尾氏から「俳優論」を「絵画論」を色々ときかせて頂いた。
芸道の先輩達には頭が下がることばかりだ。

 

いつもの言い方で「アキラさん、ゆっくりお休み下さい」
低い声できこえてくる。
「そうするよ。フミオさん」

 

 

5月24日

 

 

高田文夫

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    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。