ここ2日間くらい鼻風邪みたいで鼻水ばかり垂れてくる。鼻ばかりかんでいるので しまいには脳味噌まで出てきそうだ。
そんな訳で少々ボンヤリ最近のことを想い起こすと1月9日には「山田雅人かたりの世界 芸能生活40周年」(サザンシアター)をプロデュース。大盛況の内に終り、ホッ。
左は永六輔を肴に盛りあがる松村、山田、高田。
右はロビーで爆笑をとっていた爆笑問題太田光より届けられた3人それぞれへのお花。山田あての札に「ホンマミーア」とあるのは きっと大阪の番組なのだろう。
私の札には なんと「祝 夢グループ外部理事就任」とある。これじゃ私は「漫才協会」から「日大」から「夢グループ」まで職業が「外部理事」になってしまう。「夢グループ」入りはクドカンが流したガセネタ。
下の写真はニッポン放送入口の所に飾られた3枚の巨大ポスター。右が私。通りすぎるOL達が不思議そうに見て行く。
右下にはイマジンスタジオの案内板。実は これジョン・レノンのサインである。「このネーミングを使わせてくれ」と私も何度もジョンとヨーコの所へ通ったものだ。
「月刊Hanada」の担当編集者の川島クンが編集長の花田紀凱(かずよし)を連れて来る。
なんたって この方は伝説の編集長。元祖の元祖「文春砲」。現在81才 バリバリの現役編集長。
雑誌を作るのが何より大好きなジャーナリスティックな爺ちゃん。会うと そのパワーにいつもこっちが6才も下なのにやられてしまう。
最近のマスコミ界の話など。
「松本人志 文春砲はどこまで行くのか」など。いつも刺激的な人物である。
「月刊Hanada」私もこの中で「月刊Takada」を連載中ですのでよろしく。
私と花田氏、何を話したかはヒミツ。
マスコミ業界の連中と連日会う。
14日は 編集者で放送作家で舞台演出家の高平哲郎の77才「喜寿の会」が銀座ライオンの6Fクラシックホールで。10分前には着いたが もうほとんど席は埋まっていて案内された席へ行くと喰始(たべはじめ WAHAHA本舗主宰)と三宅恵介(フジテレビ 欽ドン、ひょうきん族等のD)、気心の知れた連中の席でゆったり。
「なんだよ 立食じゃないんだ?」に三宅が「来る連中みんな15分以上立ってられないからって」「椅子があって良かったよ」と喰。まわり見ても各局のディレクターら。なつかしい顔。横のテーブルのぞくと竹下景子、加藤登紀子、市村正親、山下洋輔、南伸坊ら。
すでに酔払っている高平。「軽井沢から今日出てきたの?」「そうだよ。早くに出てさ 昼間PARCOで志の輔みて 途中でぬけてここへ来たんだから」
そこへ次々と我々のテーブルに人が。
「青島幸男の娘です」(知ってるっちゅーの)
「赤塚不二夫の娘です」
「小さんの息子です。落語協会100周年記念行事が3月にあるんですけど まだまとまりがなくて」
「正蔵の息子です」「たま平だろ、知ってるよ。100周年父ちゃんの仕事手伝ってやれよ」「これがなかなか」「アッ、お婆ちゃんに年賀状ありがとうと伝えといて」
私は この年になっても海老名香葉子と文通しているのだ。(いつの時代の人だと思われるだろう)
ベロべロでマイクを持った高平、次々と壇上へあげて一方的に紹介していく。誰もマイクは持てない。
「え~~、次は同業者。編集者時代に私が憧れた喰始れーす。奇才。隣の高田文夫は同じ業界に入って唯2人だけこの人にはかなわないと思った同業者。その天才ふたりが文夫氏とパジャマ党の詩村。もう頭の中味が違うんだよね。結局一生テレビの世界じゃ抜けなかったネヒック」
写真撮ろうと高平と喰と高田。
私が「あれ今日、景山民夫は?あいつも入れば昔さわがれたように四天王になったのにな」と。やっぱり生きてなくちゃ駄目だな。
下は中村勘三郎十三回忌追善で配られたDVD「中村屋の歩み」。
いやぁ格好いいねぇ。
下は「男 出川哲朗 還暦祭り in横浜アリーナ」大盛りあがり大成功。グッズもガチで売れたらしくニッポン放送も「やばいよ やばいよ」状態。私がもらった哲ちゃんTシャツ。
そうだ、月刊の「文藝春秋」で面白いことをやっていた。2月号で五木寛之が立案した「昭和万葉集」大アンケート。
識者34人が選ぶ「私の昭和歌謡ベスト3」
この日本の識者34人の中になんと「ビバリー」の中から2人も選ばれているのです。
後世に残したい「昭和の3曲」といえば もうこれで決まりでしょう。
ミッちゃんは この3曲だそうです。
他にもみうらじゅん氏が奥村チヨ「恋の奴隷」を挙げていました。
今年に入ってから毎日のように訃報が届くが、まさかあいつまで―――と思う近しい人間まで。
16日に届いたのが高橋春男。
40代50代の頃よくつるみ よく飲み バカを言いあった人気漫画家。
ある日からパタッと消息を絶ち何本もあった連載も勝手にやめた。
私の雑誌連載では いつもユーモラスなイラストを描いてくれた。
下のような書籍もある。
「楽屋の王様」(講談社・1992年)
帯に「天才高田と名人高橋の猛毒コンビ」とある。
右の絵は何故かある日「これ描いたから」と渡された一枚。
私の成長ぶりだそうな。
少年から青年へ。
山藤章二宗匠の句会「駄句駄句会」のメンバーでもあり 会ではホンモノのヨタローぶりが大人気であった。
はるお、会いに行かなくてごめんな。
1月19日
高田文夫
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