高田文夫のおもひでコロコロ

2024.01.08

第81回『漫才協会 THE MOVIE』

年が明けたと思ったら いきなり暗く重いニュースがたて続けに―――。
こんな年明けは歴史上無かっただろう。亡くなられた方々には ただただお悔やみを申し上げるのみ。

せめて我々は周りを朗らかにするだけ。

まずはニッポン放送70周年の記念タイムテーブル(早い話ラジオ欄の金のかかったヤツとでも――)1月から3月号、大事な1年 表紙は勿論私で「ラジオビバリー昼ズ」35周年。
私75歳、ニッポン放送70歳、ビバリー35歳 一番の年上が私なのだ。どこの現場へ行っても私が最年長者(オードリーでも最年長リトルトゥースといわれる)である。

私の手書きで いい事も書いてある。
「人気とは高さではなく長さだ」
まったくだ。ガタガタ言う若い奴が居たら出てこい。今から35年ズ―――っとしゃべってみろ。そのくせ何も残ってないんだぞ。どうだ参ったろ。これが江戸文化だアハハ。

このタイムテーブル欲しい人が居たら多分ニッポン放送へ来れば入口でもらえるんじゃないかな。

 

さぁそして塙(ナイツ)監督第1回作品がいよいよ公開です。
3月1日から全国ロードショー。近い所では「角川シネマ有楽町」で見られます。ビックカメラの上です。
私がウラから得た情報によりますと映画というのは初日から三日間の客の入りで どの位の期間上映するか決まるそう。三日間全然入らなかったら すぐ打ち切りなんて事も・・・。
どうかウソでも早めに見に来て下さい。笑いと涙と芸と貧乏のドキュメンタリーです。

監督が塙でナレーションが なんと小泉今日子。もうこれだけでお釣りがくるでしょ。そしてナイツ土屋。
左上のタイトル「漫才協会THE MOVIE 舞台上の懲りない面々」
この子供みたいなタイトル文字は なんと私です。
チラシにある私の肩書きは<題字・お目付役>(漫才協会外部理事)とある。
球児好児、おぼんこぼんは勿論のこと ロケット団、U字工事、錦鯉から あらゆる東洋館に生きる人々の そのヒューマンな姿。他にも私が明治座で公演した模様も入って爆笑問題、サンドウィッチマンも友情(なんてないと思うが)出演です。押しよせる関西の波に立ちむかう東京芸人の意地と情なさがジワリしみます。

寄席文字(江戸文字)の名人であり彼が青学の学生時代から知っている古きくされ縁、橘右橘(たちばなうきつ)(中村)からみごとな漫才協会の招木(まねき)が届けられる。
歌舞伎の看板などで立派な「中村勘三郎」とか「市川団十郎」などの文字看板はみた事はあるでしょう。

客を「招く」ところから<まねき>と呼ばれる縁起ものである。近頃はよく落語家の真打昇進のパーティーで渡されることも多くなった。

会長と理事が一体どこに この立派な文字を飾りつけるか。

ちなみに先日知ったことだが――――
この<寄席文字>の創始者である橘右近に入門し弟子第一号だった左近師が12月に亡くなっていた(89)。
新宿末広亭の看板の書を長きにわたって書き「笑点」カレンダーの文字などでもおなじみ。
噺家の系図の研究家としても超一流。私もよく古い噺家のことなどを教わった。若き日 私は酔うと「石ノ森章太郎と山藤章二と左近師の区別がつかない」といって業界内ではバカうけした。

 

これに足すなら篠山紀信である。
私の数少ない日芸の誇れる先輩。何回か写真を撮ってもらったし、よく喋った。新宿のお寺さんの息子で私をつかまえると「高田クンよりアタシの方が落語の修業してんだから」とよく言った。
「なんたってアタシは名人・黒門町(桂文楽)の家に行儀見習いで中学の時あずけられたんだから」「えっ―――!天下の黒門町の家に!?」「そうだよ。お茶入れたり廊下そうじしたり大変だったんだから」私だから気を許してこんな話もしてくれたのだろう。合掌。
たしか『ブルータス』の「人間関係シリーズ」で私と杏子(バービーボーイズ)とで撮ってもらった。

 

〈特別おまけ〉

コアすぎる演芸情報誌「東京かわら版」の1月号。
4コマ漫画・バトルロイヤル風間の「バカなことはヨセ!」
各会長を集めたのだろう。似てるのも居れば誰だか分からないのも居る。
相変わらずヘタウマ――ヘタヘタだ。アハハ。
〈落語協会会長〉市馬やら〈落語芸術協会会長〉昇太ら。
左上の〈漫才協会会長〉塙なんか誰だか分からない。
〈立川流〉やら〈講談協会〉もいる。
そこへ私が現れて「誰がトップか決めるぞ!」というマンガ。

4コマ目は悪意のかたまり。林真理子オチはまずいだろ。
私だってポスト林真理子の目はあるんだから。

理事長への道を歩もうとしているクドカン(宮藤官九郎)なぞ  正月の武道館の清水ミチコを見に行って私の隣がズラリ「夢グループ」軍団とあのデーブイデー社長だったもので勝手に勘違いして「高田センセーが夢グループ入りした」と言いふらしている。
何でオレが狩人と歌うんだ!?

 

1月8日

 

高田文夫

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。