高田文夫のおもひでコロコロ

2023.12.25

第80回『歳末風景』

暮である。ジタバタ、ドタバタ。
そんな中、ふとむなしくなる時がある。
山ほど仕事を残している中でも こうして書いているけど 一体何人の人が読んでいるのだろう。
手応えゼロ。120人くらいは読んでいるのか。ニッポン放送の人々にきいても答はひとつ「わからない」。
雑誌なら「これは40万部です」とか「この雑誌はマニア用なので内緒ですが3万部なんです」と教えてもらっている。
愚痴っても仕方がない。10人でも20人でも待っている人が居るなら ノーギャラの無ホーシュー、ダータ―でも書くしかない。
漫才協会の外部理事ったってビタ一文もらってないし、持ち出しだし。下手すりゃナイツの土屋なぞ「少しは金を出せ」とまで言う。塙炎上。

正月が来るとかで少しは正月気分を。
報告遅れましたが 羽子板市に飾られた私の羽子板。
【きじや水門商店】

 

2024年の年賀状。

 

報告遅れたものばかり。
12月8日 東洋館(夜)で開催された「ザ・東京漫才」(緊急幹部会)。
私の惚れ惚れする適格なつっこみワードに会場大爆笑。

右からMCを進めるナイツ土屋。ひと言で東洋館をゆれさせる私。
二人まとめてロケット団(三浦は副会長)。
二人まとめて宮田陽・昇(陽も副会長)。
二人まとめてU字工事(ジャケット無は書記)。
左が塙会長。

右の集合写真。漫才協会入りを熱望してやって来た二人(松本&松村)も写真に収まる。

 

その間に「雀々の会」に出て今年も客前でイチャイチャする“チュウチュウマウス会”をやったり、亀戸まで行って「ロケット団の会」に乱入して死ぬほど「日大漫談」「ジャニーズ噺」をしてうけまくったりと忙しい。
可愛い子分だった「森田芳光監督』の13回忌(江戸川橋の寺)へ行けば その晩「下剋上」最終回・決勝戦の鈴木亮平やら「どうする家康」最終回の北川景子らに。
芝居とはなにかをキッチリ教える。

夜は品川まで行って東MAXの劇団ファイアーヒップス。

原稿書いてデーブ・スペクターやら夏木ゆたかとバトルをやって忘年会もあれこれ。そうこうしている内に寺尾(60)が亡くなった。
若き日いつも小痴楽(今の小痴楽の父)と私と寺尾とで銀座へよく飲みにいった。寺尾ひとりが もてていた。当時あれほどもてた私も寺尾が居るとホステス達から見向きもされない。
いい男だった。

いい男といえば伊集院静も亡くなった。
「雀々の会」の仲入りに ゆみこ(談志 娘)やってきて「高田さん、ママからことずて。今年も1年お世話になりましたと。13回忌もありがとうと。それから いつもパパに定期的にちゃんとお線香を贈ってきてくれるのは伊集院さんと高田さんだけ。ホラッ伊集院さん亡くなっちゃったから あとは高田さんだけ。お願い。お線香送ってきてね、これからも――だって」
どんなことずてなんだ!

下は12月19日 神田神保町へ移転した「ゆにおん食堂」にて「さんぽ会」の忘年会。ゲストの野末陳平さんに会いたいというのでサプライズで桂雀々を仕込んでおく。

後ろの席の右側四人が著名人。左の五人は無名人。市井の人々。後ろの一番右が野末陳平(年が明けて92才)。メガネで誰か分からないが雀々。東京の知性と呼ばれる私。そして大河バカ(松村)。

 

報告遅れついでに「週刊プレイボーイ」2024年1月8日号にて6ページに渡って「爆笑問題With高田文夫のゆく年くる年2023」をやっていました。

 

自分の連載では「月刊Hanada」2月号にて「月刊TAKADA」で名前にまつわるあれこれを4ページに渡って書いております。その時のイラストを見て欲しくて――。

業界最強の名前と私が名付けた

「毒蝮三太夫」(命名・立川談志)

「玉袋筋太郎」(命名・ビートたけし)

このツートップに3位が

「なべやかん」(命名・高田文夫)である。夜学をねらったので「夜間」と「ヤカン」が みごとに掛かっているのだ。

 

「週刊ポスト」の方でも ずっと毎週ゝコツコツと書いております。横山剣の連載も面白く絶好調「イーネッ」であります。

 

びっくりするような本が立て続けに出た。

著者の神保は まだ20代後半。筑摩書房。大衆芸能だけ50年以上も たずさわってきたのに75才の今の私が知らないことばかり。みごと!江戸だ明治大正からツービートを経て爆問ナイツまで。「漫才」の通史を書いたのは史上初。

 

東京だけを書きつらねたのがすごい。何でこんなに昔のことを知っているのか?

写真・善本喜一郎。この写真集がしびれる。帯に私の名もあって中でも解説を書いてますが東京好きの東京人には心そこしびれる一冊(河出書房)。

1984(白黒)の写真。同じポジションから撮った2023年、今の姿・形。

そう ここ1年2年は新宿も渋谷も吉祥寺もコロナで街に人が居なかったのである。感涙。40年前と今。そこに白黒とカラーの自分が居る。悪さをしては飲み走りまわった町がそこにある。そこには仲間のなつかしい匂いもする。

 

12月25日

 

 

高田文夫

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。