高田文夫のおもひでコロコロ

2023.09.21

第72回『好楽 INしのぶ亭』

『好楽喜寿記念落語会』IN上野池之端しのぶ亭(9月14日)。
好楽師匠と私とのトークがあると聞きつけ定員40名のところ問い合わせ200件。
一之輔、竹丸も出演して楽しい一夜。
前日、うちのFAXがカタカタとなって
「好楽です。明日の打ち上げは むかいのうなぎ屋です。よろしく」
それだけ。肝心の番組表(出番順)も なにも書いていない。
好楽自前の寄席、人柄だけの「席亭」なのだ(2階に自分は住んでいる)。
40名を腹いっぱい笑わせて5歩でたどりつくうなぎ屋へ向かうと表には私の出待ちが60名。
嬉しいのは内3名が この「ブログ」を読んでいるとのこと。やってて良かった。

好楽が最初の師匠(林家正蔵。のちの彦六)の所へ入って修行中、大学生の私は仲間とよく九蔵(前座名)の実家へ飲みに行き、酔いつぶれよく泊まったもんだ。
そんな古い仲間なのだ。
年令は私より2才上の77だから多分タモリ、美川憲一と同じだろう。
下の写真は寄席から5歩、むかいのうなぎ屋にて。

只今「笑点」で逆ブレイクしている好楽ゴキゲンである。右は珍しく江戸落語の四派が集まり密談しているところ。
左より桂竹丸(落語芸術協会)私(立川流)好楽(圓楽党)春風亭一之輔(落語協会)。

下はその日 好楽師から渡された本。
「いまだから語りたい昭和の落語家 楽屋話」(河出書房新社)
表紙を開いたら ていねいにサインまでしてあった。

正蔵師。「笑点」司会だった円楽。「楽太郎」だった円楽の想い出話など とても楽しい夜となった。
私も「しのぶ亭」よりは少し大きい自前の寄席でも持ちたいなと思った次第。
好きな芸人だけ呼んで、時々私も出ていって喋る。なかなかいいネ。
若い時分あれだけ世話したんだからタケちゃん建ててくれねぇかな。ン?「首」か。

 

ライブツアー2023「サンドウィッチマン」も行きました。

池袋サンシャイン劇場(東京篇)も終り これから全国をまわる。「人力車」のコントが妙におかしかった。
まだ回る。名古屋、大阪、福島、札幌、仙台など。
「なに言ってるか分からない」愛菜ちゃんばっかりじゃなく福クンも何とかしてやれ。
中尾彬の家にもらわれて行きそうだぞ。池波志乃は完全に養子にする目をしている。

右は新宿K´s  cinemaで見たドキュメント映画「DAIJOBU」(大丈夫)。
無実の罪で22年間を獄中で生きぬいた親分は禅の精神に憧れ老師に師事。
そう あの「ヤクザと憲法」の あの親分である。メチャクチャ格好良い方なのだ。
「老師」と「ヤクザ」の生死を巡る7年間の記録。あの親分(今はカタギ)に会ってみたい。

 

これからテアトル新宿へ見に行くのは「福田村事件」。
関東大震災から100年。この映画である。デマ、流言飛語。
出ている連中もいい。東出昌大、ピエール瀧、水道橋博士。留めに柄本明である。

ガラッと変わって右側は松本明子が音頭を取ってやっている「不作と言われたお神セブン再集結」
松田聖子、中森明菜、小泉今日子らの陰にかくれた83年デビュー組。誰ひとり曲を知らない。歌えない。
森尾由美、大沢逸美、桑田靖子らが集ります。人助けだと思って行ってあげて下さい。

9月29日(金)夜7時
   30日(土)昼12時 夜5時
銀座博品館劇場

 

9月17日(日)有楽町マリオンの朝日ホールにて「談春・三三(さんざ)の俺たちの圓朝を聴け!」
あの長い長い、「徹子の部屋」よりも長い圓朝・作の怪談「牡丹灯籠」を ふたりでリレーで演じて全国をまわっている。御苦労様。
江戸から明治にかけての名人・圓朝は「落語の神様」と呼ばれる程 沢山の名作落語を残してくれた。
しかし考えてみりゃ立川談春と柳家三三は親せき筋に当るんだ。
人間国宝 柳家小さん。その弟子に談志(その弟子が談春)と小三治(その弟子が三三)
 達者なはずだ。
小さんと小三治は人間国宝になったが  ン? 談志は? 「無冠の帝王」これが一番似合う。
私も持っている賞は「みうらじゅん賞」だけ。

こういうブログの原稿のようなお金にならないものを書く時は バックにいつも薄くCDでJAZZを流しておく。
今は またおさらいのように1から有名なものを聴き直している。
「演歌」「歌謡曲」「落語」は すべて頭と心に入っちゃっているからネ。

「敬老の日」も誰からも敬まわれる事もなく過ぎて、我ら団塊世代(1947‐49)は無駄に人数だけは多いジェネレーション。後期高令者である。
どこの家でもそうだが この年令 皆家ではうすくJAZZが流れている。
「新宿騒乱」であり「学生運動」であり「DIG」であり「クレイジーキャッツ」と「大島渚」のあの時代なのである。
18才から通ってどこも顔なじみだった新宿ゴールデン街も、外国人と吉本だらけになっちまった。
知ってる名物ママはみんな死んじゃった。

 

森鴎外の長女が作家の森茉莉(中野翠のようなコアなファンが居る)。
茉莉さんの孫の所へうちのカミさんの妹が嫁いでいるので、言わせてもらえば遠くはなるが私は森鴎外の親せきである。成城にある義妹の家へみんなで集まっては一杯やるのが楽しみ。
いつもうすくJAZZが流れている。
私より2才下の山田氏(妹の旦那)はドキュメンタリーの監督をやっている。まったくカタギが居ない。その息子はデザイナー。
私の本名「文雄」も父と戦後文壇の首領 丹羽文雄が銀座の「ル・パン」で飲んでいる時 私が生まれたので その場のカウンターで「文雄」と名付けられた。
丹羽先生はポピュラーで世俗なところでは渋谷道玄坂にあった「恋文横丁」(パンパンなどの為に英語の代筆屋)を舞台にした「恋文」なんて作品もある。

それでは せめて顔と名前だけでも覚えて下さい。JAZZ入問篇です。こんな曲をかけながらものを書いている。

<追記>
私の愛読雑誌「昭和40年男」 
なんと今号はナイスな企画で「相棒物語」(愛すべきバディたち)。表紙は「トミーとマツ」である。
私個人の「相棒物語」となるとやはり直木賞作家でもあった景山民夫だろう。ニッポン放送で「民夫クンと文夫クン」という悪評高い番組もやっていた。景山民夫 享年50。早過ぎた。

 

2023年9月22日

 

高田文夫

 

 

 

 

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。