オワコン(終わったコンテンツ)だとかオールドコンテンツとか呼ばれるラジオと活字。ラジオ界はここへ来ての大復活、新しいリスナーも増えている。
問題は活字界、出版界、書店問題である。
元々うちの家系はみんな出版社をやっていてあの時代だから景気も良かった。羽振りも良かった。私の父は明治以降の「日本の近代史」みたいな本を沢山出していて今もつづく権威ある「毎日出版文化賞」なんてのも受賞していた。私は渋谷の富ヶ谷に生まれ世田谷に移り小学校、中学校の時は常に家には家政婦さん(お手伝いさん)がふたり。五人姉妹、末っ子の私の所へは毎日、日替わりで家庭教師が三人順に来ていた。何か用事があれば社長である父の運転手がどこでも連れていってくれる。こづかいが無くなりゃ京橋の会社の金庫から・・・・・・ウソウソ。金はあったから小さい時から何もしない。全部まわりがやってくれた。早い話「シャレが好きな坊ちゃん」なのだ。悪い冗談を言っても「高田さんはどこか品がある」と言われる由縁だ。大学生の時、車の免許を取ろうとしたらおふくろが「お前はおっちょこちょいだから酒飲んだりしてすぐ事故起すよ。運転なんか人をやとえばいいんだから」すぐに結婚もしたので私はいまだに何もできない。スマホなんて面倒くさくて貧乏くさいから連絡事項は若い者まかせ。電球ひとつ替えられない。釘一本打たない。お米が炊けない。小さい頃より「ペンとマイクと箸(はし)」より重いものは持った事がない。そのくせ、こと仕事は人の十倍以上やってきた。仕事以外は何もできないし、しようともしない。仕事は好きなのだ。芸能が好きなのだ。まさに三ツ子の魂百まで。小さい頃より金をつかっていっぱい映画や芝居や寄席を見てきたことがすべて実(み)になっている。授業料をたっぷり払った上でのこの芸能IQの高さなのだ。父が出版した「国民の歴史」やら「近代日本史」なんて全何十巻もある本は今でも時々図書館などで見かける。おじさんの高田俊郎は昭和30年代40年代のインテリ映画青年達を夢中にさせた雑誌「映画評論」の発行人である。若き小林信彦やら長部日出雄(おさべひでお)らはここを舞台に健筆をふるった。長部は昔TV局などで会うと「あっ坊ちゃん」と言った。若い者に場を与え育てる家系なのだ。(今でも神保町へ行くとズラリ揃っていたりする)若い演者、作家に場を与えたがタダメシ喰って育たないと怒りにふるえた。活字が家業なのか私の息子(長男)は新聞記者になった。私の父は「社長漫遊記」のあの森繫をイメージしてもらえばほぼその通り。浅草生まれの文化人でその後赤坂に住んだ。故に私の本籍は「港区赤坂とやらのすぐ近く」である。母は父とは逆に山の手(渋谷)なのにちゃきちゃき。母の父という人が渋谷の鳶(とび)の頭(かしら)で渋谷の町を仕切っていた。(なかむらと言えば少し有名)。戦前母の若き日は「六大学」の運動部の連中のマドンナ、アイドルだったらしく「初代ミス渋谷」といわれた。私は下町と山の手がこのようにふしぎなブレンドをみせた人間なのだ。心の中は“江戸っ子”だが“東京っ子”“東京人”“のてっこ(山の手の子)”を自負する。田舎から出てきた芸能人がどうにか東京でひと山当てて図々しく世田谷とか渋谷に家を建てるのがたまらなく下品でいやだ。いま私は麹町に30年以上住む品の良さ。黒澤明監督は言った。「歴史(実績)」と品性だけは金で買えない」まさにその通り。
で 今回はラジオ以外、このブログ以外で何を見りゃいいんだという問いに活字を。
(7/31発売)
週刊ポスト内の連載「笑刊ポスト」 すでに440回もやっている。イラストの佐野文二郎がいい。一之輔そしてもう酔っている白鳥の表情が文句なし。毎回読み切りです。是非読んで下さい。
ちょっとハードな「月刊Hanada」内のちょっとやんちゃな“箸休め”と言われる「月刊Takada」。毎回4頁の物量。今月号のテーマは今でもきいている“深夜放送” このイラストも佐野君で“霜降り明星”。“昔の芸能”大好きなせいや。まったく昔を知らない粗品。これが妙に面白い。そして今週その通りと思ったのが宮藤官九郎。結局雑誌というのは連載のコラム、エッセイで読むところが大きい。私は「週刊文春」のクドカンのエッセイが読みたくて、まずひろげる。今回は私もずっとそう思っていた公演後の「楽屋あいさつ問題」である。芝居でも落語会でも「終ったら是非顔出して下さい」と言われるが、つまらなかったらどう言えばいいのか。良くても「面白かった」とひと言の感想だけである。人気の公演だったら終了後30分も40分も待たされることもある。早く一杯やりたいのに である。私は数十年前より決めている。良かったら公の場でほめる。駄目なら後日一対一で直で言う。雑誌新聞などに悪口を書く大馬鹿な芸能評論家みてえな奴が居るが書かれた方にも子供、カミさんが居るのだ。周りから「お宅のご主人つまんないって書いてあったわよ」と「芸」もわからない人から言われるのだ。たまったものじゃない。今回のクドカン、そんなモヤモヤ イライラを書いて最後に私でしめるという離れ技。最後にこう書いてある。これをお知らせしたくて。
(週刊文春8月3日号)
私の料簡を理解する立派な男になったクドカン。さぁ「季節のない街」が楽しみだ。
2023年7月31日
高田文夫
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