高田文夫のおもひでコロコロ

2022.12.26

第52回『良かったネ M-1』

年の瀬なので なんだかバタバタ。さよなら蛾次郎である。

右の写真は我が「いち・にの・さんぽ会」の忘年会並びに もうすぐ閉店する「ゆにおん食堂」おさらばの会。落語会もやっていたこの店、中国人達にビルごと買われちゃってトホホの店閉い。前列左より松村邦洋、私、そして年が明ければ91歳という野末陳平、右が店主の段ちゃん。後(うしろ)は通りすがりの人々。

それにしても12月18日は歴史的にも凄い1日になった。W杯の決勝、「鎌倉殿の13人」最終回、そしてM-1の決勝。こんなことになるとは露知らず前日の17日は国立演芸場の「雀々の会」にゲスト出演。楽屋では乱暴者、談志の娘ゆみこ が来ていて私と雀さんをつかまえて喋る喋る。あげくの果てに名刺を出して「銀座にまた店出したから来てよ」だと。傍若無人ぶりに拍車がかかっていた。悪徳ママである。「のん君(談志夫人)は元気?」と聞けば「ゆうべも4軒はしごしてた」だと。

スポーツの「Number」がなんと特集「M-1グランプリ」。かつてスポーツ以外特集したことがあるのは将棋の藤井聡太ぐらい。サブタイトルに「スポーツとしての4分間の競技漫才」とある。漫才は いつの日からかスポーツになったらしい。のんびり聞く漫才もいいけどな。結果は御存知の通り爆笑問題の事務所タイタンの「ウエストランド」めでたし。日本中がモヤモヤしていた色んなコンプラな気分を吹き飛ばしてくれた。風穴を開けた井口、小さいけど おみごと。私が「談志、たけし、太田と流れる辛口にして愛嬌の系譜。東京の芸の正しき継承者」と言ったらネットとかでも話題になったらしい。本番まで誰もマークしていなかったウエストランド。我が「ラジオビバリー昼ズ」だけが何週間も前から押えてあってチャンピオンになった翌日 堂々の生出演は快挙。「敗戦の弁を語ってもらってM-1の愚痴を言ってもらいましょう」のP石田デンキの腹づもりが真逆の結果にアハハ。これもツキの有る無しだ。私もウエストランドも爆笑も何だかんだ言ってモッているということだ。それにしても審査員の志らく、ナイツ塙がウエストランドを強く押してくれて良かった。腹の中は本当は「さや香」だったかもしれないが・・・。で   「ヨネダ2000」ってのは なんなんだ?ペッタンコペッタンコって。間も良くか、悪くか「SWITCH」の1月号が「特集 110年目のお笑い 前編」吉本の大特集で表紙が珍しや あの明石家さんまである。

力の入った編集。次はダウンタウンである。2号にわたるのが凄い。

右は23日に久々に見に行ってきた「イッセー尾形 一人芝居」このイラストも全部イッセーが描いた。有楽町朝日ホール。ロビーには絵やらお面やらイッセー作品がズラリ。70だっていうのにアーティストなのだ。1月9日新年1発目吉例ゲストでオリジナル脚本を持って「ビバリー」にやってくる。私は さし入れと共にそっとメモを書いて朝日ホールへ。「イッセー尾形さま。正月での共演 今からとても楽しみに    していません」と。

>>>いま出ている「週刊文春エンタ」(漫画特集号)にて6頁にわたり私と太田光のラジオの無駄話。この2人のトークで漏れたものやら新しいネタなど加筆して本体の「週刊文春」新年号(1月5日、12日号)にて私が「ラジオと私」のようなテーマで語っております。永六輔、前田武彦、大橋巨泉らがフリートークするラジオ関東(今のラジオ日本)の「昨日のつづき」やら永六輔の「パックインミュージック」荒木一郎の番組(ニッポン放送)など・・・ほとんど意味不明でしょ。いかに実は私が古い世代か分るでしょ?そのくせ この感性。やっぱり私の才能しかないな。死んじゃった水木一郎も あき竹城も同世代だ。「アド街ック」(新宿三丁目特集)を見ていたら御当地ゲストに玉袋筋太郎が出ていて嬉しかったのだが そこにVで出てきた知る人ぞ知る“新宿タイガー”(新聞を配っていた)が私と同じ74歳と知り意味もなく何だか嬉しかった。まだ自転車に乗っていたタイガー。あい変らず出てくるのは「伊勢丹」「紀伊国屋書店」「どん底」「末広亭」「高野」「池林房」・・・50年前 20代の頃の私の動きと ほとんど変っていない。私も若き日死ぬほど新宿に入りびたっていた。(西口のションベン横丁とゴールデン街をホームにして)。もっと若い頃の想い出を    

私が10代の頃。昭和33年、クラスの皆なに私が考えた「胸毛三人男」を発表したらバカうけだった。それを名イラストの佐野クン(私の連載「週刊ポスト」「月刊HANADA」で毎回みごとなイラストを入れてくれる)が夢のようなメンコにしてくれた。長嶋茂雄がデビューして林家三平が真打に昇進した年の話である。それにしても由利徹の表情が最高だな。由利徹の「オシャマンベ」をパクってアレンジを加え 酒の席でたけしと私で誕生したのが「コマネチ」である。

右は「ビバリー」の中のニュースの時間「報道の畑中さん」と呼びかけると出てくる名物ラジオ記者の本である。石原慎太郎とのやりとり おみごと。こんな本まで書きおろせるのだから私の周りは皆な優秀だなァ。ちなみに畑中さんは私以上の“沢田研二フェチ”で あらゆるライブは必ず行っていて そっと私に「今回は・・・」と短く内容を説明してくれる。「土を喰らう」前に“ジュリーを喰らって”いた。畑中さんには言ってないが・・・昨日 暮のあいさつのお礼に沢田宅よりハガキが届いた。これは田中裕子さんの字であるアハハ うらやましいだろ!

そんなこんなで今年も終りかな。各自それぞれ勝手に いい年を迎えちゃって下さい。来年こそは戦争のない年になりますように。そして知ってる人が死なないように・・・。年が明けたら皆様が「エッ」とびっくりするような嬉しいお知らせもいくつか。ドキドキワクワクして待ってて下さい。

 

竜ちゃんも楽ちゃんも賢太も居なくなった年の瀬・・・

2022年12月26日

高田文夫

 

 

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。