高田文夫のおもひでコロコロ

2022.12.09

第51回『昨今大衆芸能事情』

家に、も一度 モドリッチ!ブラボー。1ミリだろ?どうだ このにわかぶり。それにしても日本は素晴らしかった。さあここからは私のアディショナルタイムです。ン?ほとんど言ってる事が分らない?

先日行われた市馬の弟子の市弥改め柳亭小燕枝の会。

右の写真は楽屋一同に囲んでもらって天にも昇る心持ちの新真打ち。これだけ売れてる人に囲まれれば少しは売れっ子のエキスも注入されるだろう。芸人も作家も「売れればこんなにいい商売はない。売れなきゃこんなにつまらない商売もない」名人桂文楽の言葉である。をひき、集める商売なのだ。人に愛されて なんぼの人生。写真左より 昇太・文珍・市馬・小燕枝・喬太郎・私・(前の小燕枝)さん遊 である。

作・演出 松尾スズキの「ツダマンの世界」(シアターコクーン)主演は・・・えーッと誰だっけ?12月18日まで。このあと京都へ行く模様。そう間宮祥太朗、吉田羊。江口のりこも出ていた。あれ?主人公の しょうもない小説家を演っていたのは・・・アッ阿部サダヲだ。よござんした。御苦労様。

渋谷のユーロライブでは東MAXが はなわ、高橋健介らと「みんなのコント」。4回公演。普段東MAXはTVやラジオでは動きを見せないが舞台ともなると不思議な動きをして爆笑。喜劇人の血がそうさせるのだろう。DNAが東八郎で動きの師匠が萩本欽一で喋りが私からと東京喜劇最強の血が流れている。来年は各ネタ相方を変えて「コント10連発」など みせて欲しいものだ。当人はつっこみ(萩本欽一)のつもりだろうが実はあいつは坂上二郎なのだ。何かに巻き込まれては とんでもない目に会ってゆく    これが面白いのだ。団体芸としての「熱海五郎一座」座長としての「ファイアーヒップス」そして個を押し出して行く「コント芸」を見せていって欲しい。

それにしても渋谷の「コクーン」とか「ユーロ(芝居や試写)」へ行ったあとの ひとりの楽しみは東急本店7階にある充実した書店「ジュンク堂」へ寄ることだったのに来年早々無くなってしまうとか。ショックである。ある雑誌では”みうらじゅん”と”宮藤官九郎”で「じゅんくどう」という連載対談までやっているが・・・。コクーンも無くなっちゃうんでしょ。中村勘三郎(勘九郎)の「コクーン歌舞伎」は衝撃でした。そうそう、ホテル街という艶っぽい所にあるユーロスペース。窓をあけると隣が私の子分森田芳光監督の生まれ育った実家である待合。今はもう無い。芸者に育てられたと自慢していた。子守歌が三味線とはオツな野郎だ。

一番右が「雀々独演会」すでに暮の江戸の風物詩ともなった私との じゃれあうトーク「チュウチュウマウス会」今年もあります。6年目。12月17日(土)夜7時 国立演芸場。私が昭和23年生まれのネズミ年、雀々がひとまわり下のネズミ年という訳。今年は大阪まで松村邦洋ら さんぽ会の連中と新歌舞伎座まで”ゲストさんま”につられて行ったっけ。

すごい5枚組が出た。「ザ・ビートルズ リボルバー」(スペシャル・エディション・5CDスーパーデラックス)「タックスマン」「ペイパーバックライター」など聞きながら いま原稿を書いている。

そうだ、本も紹介しとかなければ   。我らが松村邦洋 前作「鎌倉殿の13人を語る」で味をしめ 早くも来年の大河ドラマ用に「今度はどうする家康を語る」(プレジデント社)をPK失敗気味に もう出した。

今や大河ドラマと言えば松村という時代。「タイガース」と「たいがーどらま」の2本立てで もう生涯喰っていける。隠し芸として「ものまね」でもチラリと見せてくれれば。54才独身。三遊亭歌武蔵、極楽とんぼ山本と この所54才男のゴールインが目立つが松村はゴールインは嫌いだろうな。

「ビバリー昼ズ」ファミリーからもう1冊。清水ミチコ三者三様のおしゃべり三角関係。「まるい三角関係」(中央公論新社)と題して色んな三人模様。清水と片桐仁・片桐はいり。清水とさだまさし・鶴瓶。清水と天海祐希・草笛光子らバラエティに富んだ顔の広さをみせ 清水と中野翠と私なんて組合せもある。

なにやら私が「要介護」みたいな写真になっているが・・・。

12月12日発売の「週刊ポスト」内 私の「笑刊ポスト」。大好きなモグライダーのことを書いたらイラストの佐野クンがご機嫌な絵を。常に今がある頁になっておる。

 

2022年12月9日

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。