高田文夫のおもひでコロコロ

2022.11.24

第50回『談志の命日』

やっぱり中条きよしです。「うそ」です。ディナーショーもやってみたいものですが、11月18日に情報解禁して このブログにも書いた「ザ・東京漫才」(1月18日 東洋館)のことですが「ビバリー」で ひとこと言ったら即完売。喋っている本番中に漫才協会から連絡が入って「即完。もうラジオで言わないで。チケット希望の電話受けるの2台しかないんですから~~ッ」と泣き叫んでいた。今回は私の企画で「もうひとつの浅草キッド」。東洋館(昔はフランス座)の舞台に、迎えるはビートきよし(ツービート)、玉袋筋太郎(浅草キッド)であります。私とナイツがどうさばくか、これはお楽しみ。

「ビバリー」本番中なにやらサブがバタバタ。小さいおばさんがジタバタ。よく見ると阿川佐和子。「どうしたの?」ときけば「私の本(この噺家に会いたい)週刊ポストで紹介してくれて誉めてくれて・・・お礼を言うの忘れてて・・・アッこれ ラ・フランス2個・・・それでそれで高田さんに教わった“平成中村座”昨日見に行けたの。興奮しちゃって~~ッ、良かった。教えてもらえなかったら見られない所だったもの、荒川良々」だと。

元おすもうさんの噺家 大きな三遊亭歌武蔵に来てもらう。私が小耳にはさんだところ54歳の初婚。お相手がなんとなんと京都の超人気芸妓だったお人。東京の噺家と京都の芸妓が結婚するなんて なんという夢のような、噺のような、お芝居のような事実。当人から本当のところを確かめたかったのだ。この放送は えらく評判で業界人、マスコミ人、芸界の人間からドキュメントとして みごとな話のきき出し方と大絶賛。なかなか東京のラジオで真昼間、祇園の恋模様はきけないものな。

  

 何しろLFに色んな芸人が来る。生ラジオ終わると立川談春門下の立川こはるが「センセーちょっとお話が・・・」「金なら貸さないよ」「もっと前向きな話です」きけば弟子には人一倍二倍、きびしいと言われる立川談春のOKが出て来年の5月に真打昇進が決まったとの報告。こはるの上に何十人、こはるの下に何十人、なのに現在弟子は たったの一人(最近一人入ってきたらしい)、それも17年かけて立川流としては初めての女流真打ちである。おめでとう。私は長いこと こはると先日亡くなった白木みのる(珍念)の見分けがつかなかったくらいである。談志師匠も晩年「おい そこの小僧 水持ってこい」なんて言っていた。見た目と違って東京は青山生まれの都会派「高田センセは渋谷の富ヶ谷でしょ。ほとんど町内会ですよ」だと。青学の中・高と行って東京農工大農学部、たしか大学院も行っている。「ハマカーン先生の4年後輩です」には笑った。下の記事は18日私の報告が終って21日報知に載ったもの。

21日は立川談志の命日。2011年だから丸11年。来年の今日は12年になるので「13回忌」である。私のラジオには代表して立川志の輔に来てもらう。「亡くなってからの方が談志の落語や話をきくようになりましたネ。膨大に残された音源やCDを順に順にきいて行くと こんな風に演ってたんだとか こんな事考えてたのかと色々分かりますね。死ぬまで落語と格闘していた師匠ですから」

 

お供について来た志の春を見て「ホラッ こいつ2年前に昇進したんだけどコロナで披露目も会もできず、延び延びになって この度やっと」「そうなんですテヘヘ」と言うから祝儀を渋々渡す。一応、披露目の会は12月3日(土)有楽町朝日ホールらしい。オレは先に「カンニング竹山 放送禁止ライブ」に行く予定が入ってたので、すまん。

志らくの連載第一回と新聞広告にあるので「小説すばる」を読む。きっと談志の命日にあわせて書き始めたものだろう。「師匠」と題して いつものエピソード大会だなと思って読んでいたら知らないネタも入ってきてたので面白く読んだ。入門から初高座。私は早くも登場してきて大活躍(?)。第二回はあるのか。

22日深夜TBSラジオ「JUNK」。爆笑問題の日は いつも聞いているのだが この日は太田も談志について語りたかったのだろう。2011年の「お別れの会」のこと。爆笑問題がホテルへ駆けつけると むこうのテーブルで一人大爆笑をとっている男が居る。周りには いつもの毒蝮三太夫、野末陳平、ミッキーカーチスら。ひとりまくしたてているのが私だったと言う。周りを笑わせておいて「ちょっと太田」と小声になり耳を寄せると「森田芳光が死んだよ」。太田は気にかけている。「師匠のお別れの会の場で 一の子分とも言える森田監督の死を知らされるなんて・・・」と。太田も衝撃だったらしい。私も この時はきつかった。すぐに何くわぬ顔をして談志ネタで周囲を笑わせている。年があけて4月 とうとう私は8時間心肺停止でたおれた。地獄の底へ つき落とされた。ICUに3ヶ月である。ちなみにこの日の太田は1時間「談志」「ベルグソン」「小林秀雄」について熱く語った。

25日頃に出る「月刊Hanada」の中の「月刊TAKADA」で4ページ なつかしの映画館について書いている。そこのイラストがいい。佐野クンが描く森田芳光。バックには神楽坂ギンレイホール(この11月27日に閉館)。「の・ようなもの」で世に出る直前30歳過ぎまで森田は このギンレイホールで もぎりやら館内清掃のバイトで生きながらえていた。81年「ビートたけしのオールナイトニッポン」スタート。同年「の・ようなもの」公開。高田と森田に若きマスコミ人としてスポットが当る。その日芸の直系の後輩が太田と志らくとクドカン。みんな談志のように亡くなるまで大衆と向きあい、もがき、人前で己(おの)れのクリエーティビティーを見せつづけて欲しい。芸術学部だから。

 

2022年11月25日

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。