高田文夫のおもひでコロコロ

2022.06.27

第38回『プラン74』

寄席が危機らしい。どこもかしこも客の入りがイマイチだとか。「ノック、フック、ピンチだ」という声もきく(きかない)。それを言うなら”ノック・フック・パンチ”の「漫画トリオ」。パンチは上岡龍太郎、今では島田紳助と一緒に悠々自適らしい。寄席を心配して「東京人」9月号(8月3日発売)では寄席の大特集をやるらしい。少し心強い。私には その大特集の総ての1番前、巻頭で こじゃれた”寄席エッセイ”を書いてみますか との依頼(あんたはイライ!by小松政夫)。果してどうなるのか”太田の選挙特番”である。あれだけ集中砲火を浴びたのにウラを返したTBSの太っ腹な、お旦(だん)ぶりが凄い。「お旦」とは旦那さま、タニマチ、スポンサーのこと。「ウラを返す」とは   吉原、1回目が「初会」ただ花魁(おいらん)と顔合わせをするだけ。2度目に行くことを「裏を返す」こうして3度目から やっとこさお床入りってな事になって「なじみ」と呼ばれる。今でも使われる”おなじみさん”の語源である。あんまり役には立たない知識だったネ。

☆  ☆

さあ そこで私も作詞家のはしくれとして寄席の歌を作ってみました。ベースは小坂明子のヒット曲「あなた」です。一緒に声を出して歌ってみて下さい。このメロディを知らない日本人は居ないはずです。

 

「あなた」 作詞 高田文夫

もしも 私が 寄席を建てたなら

小さな寄席を 建てたでしょう

大きな給金(ワリ)と 小さな笑い

寄席には 古い 談志が居るのよ

真っ赤なトリ(真打)と 白いお客

小さんの横には市馬、小朝

ナイツもいてほしい

それが私の 寄席だったのよ

いとし~い お旦は 今 どこに~

いかがでしたか。名曲誕生の予感です。6月25日 無事に74才になりました。沢山のお祝いありがとうございました。75才で死を選べるとかいう「プラン75」という映画が話題になってますが どうなんでしょう。私は現在「プラン74」です。あと1年か・・・「あと1球!」みたいなものだな(声援受けてどうする)。思えば談志師匠が亡くなったのも75歳でした。たしか来年が談志の13回忌で立川流創立40年かな・・・(11年談志死去・12年高田倒れる)。ニッポン放送のヒワラ社長もひと言「お誕生日おめでとう。あの奇跡的すぎる復活から丸10年。まさか こんなに復活するとは思わなかったわ」と倒れた2012年生まれの高そうなワインをくれました。「シン・ウルトラマン」ならぬ「シン・タカダマン」として もう数年はやらせてもらう「プラン95」です。

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私の誕生日に届いた阿部サダヲが制作したジャー。お湯が入れられる。私がサダヲのチン〇ンをさわっている写真。阿部も俳優生活30年という事で作り(ビバデミー賞のお礼もこめて)たくさん届けてくれた。アッという間に周りのスタッフが持っていって私の手元に残った貴重な1個。「I WANNA BE BOW」と入っているが、これはクドカン作詞”グループ魂”が歌う「高田文夫」の一節。「有楽町で笑いたい バウ バウ バウ」とサダヲがシャウトする。サダヲはその昔 有楽町の電気屋で働いていて いつも昼さぼって私のラジオをきいていた。永遠の憧れの人にチン〇ンさわられて そりゃ もう満足だろう。名前から行けば切られてて当然だからネ。

人と会って話するのが楽しい。私がボケないのも多分こうして人とよく喋っているから脳味噌も回転寿司スシローなんだろうネ。ン?もうボケかかってる?下は6月27日発売の「週刊ポスト」の中の私の連載ページ「笑刊ポスト」より片岡鶴太郎である。もうサイコーのイラストだよネ。小さく小森のおばけちゃま まで描かれている佐野文二郎のサービスぶり。

そして話題になった写真がビバリーで復活トークをした上島のいないシン・ダチョウ倶楽部。ワイドショーやらスポーツ紙やら この写真がいっぱい載ったが日本中の疑問に唯一、的確に解説できたのは「サンデージャポン」の太田光だけ。

ダチョウのふたりとビバリー(金)レギュラー。ン?真中で笑ってる人は誰?誰しもがそう思った。太田曰く「この人は古くから太田プロのマネジャーで、鶴太郎さんの弟で元メガネ屋です」全国ネットで完璧な説明。これなら選挙特番大丈夫だ。

袖で見ていたハマカーン浜谷曰く「令和に入って一番笑った」。カミナリのタクミ曰く「いい大人が揃いも揃って下らね~なァ!」大絶賛の内に6月22日 浅草東洋館にて「ザ・東京漫才」第2回終了。副題として私は「漫才師の漫才史」と付けたのだが球児好児の濃すぎる歴史が終らない。球児談「ずっと借金生活で やっと借金終ったのがホリプロ制作の”ピーターパン”に海賊役で2年間やった時。郁恵?違う違う。相原勇の時」ってズイブン最近だなあ!(byカミナリ)

2022年6月27日

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。