高田文夫のおもひでコロコロ

2022.06.16

第37回『文雄の”文”と浪花芸人』

スマホを持たない。その代わりに細かい連絡など すぐつくように身銭を切って40年も連絡事務所を維持している。家賃だけだって40年も払ってりゃバカにならないよ。1億だよ。スマホを持たずに芸能界の一線で仕事をしつづけているのは徳光和夫、太田光たち。しみじみ偉いと思う。私もマスコミ仕事とは言え やってることは今ではラジオ・活字そして舞台。アナログだ。それでも全然時代になんか置いていかれない。時代を追い越すことだってある。私がこんな性分だから分っている連中は呑み込みが早い。会って話したい用件がありゃ居る時間も場所も分かっているので直接ニッポン放送へ来る。さもなくば昔ながらの「文(ふみ)」(手紙)である。逆に今の時代これが嬉しい。一寸用事があれば「文」にまとめスタッフに託して私の元へ。個人情報なんとか・・・で なかなか難しいが あて名と差出人の名前、これを目にふれるなんて珍しいと思うので特別にチラリ公開。手紙の中を見せる訳じゃないので書いた皆さま すいません。なんせ私、名前が「文雄」なもので「文」だけは好物なんですよ。昔は「恋文」なんてのもたくさん届いたものですが・・・。定期的にいつも手紙をくれるのが意外や意外、爆問の太田光であります。芸の行きづまり、ウンチの出具合、いかに女房が偉大な人物であるかなどを延々と涙ににじんだ文字で書いて届けさせます。私はいつも感涙にむせびます。それでは最近届いた私への「文」。

<立川志の輔>内容は「大河への道」と「龍角散」よろしくってな話。

<立川談春>内容は「なんでもいいから私の噺をほめといてください」

<太田光>内容は「日大オモテだから思うのですが林真理子はどうしますか」

<三浦昌朗>名前見ても誰だか分らないでしょ。ロケット団の三浦である。私が付けたコピーが「入り(いり)は早いが 売れるの遅い」

<マキタスポーツ>内容は「オトネタ最高。亡き父はかつらでした」

<タブレット純>「高田文夫さま」の「さま」がなんともなまめかしい。ウラを見ると斜めに薄く「タブレット純」。新曲「さるすべり」をよろしくとのこと。

皆な本当にそっと届けてくれるから嬉しい。私は一生手書き原稿だから言う訳じゃないのですが やはりぬくもりが伝わって手書きの手紙っていいものですネ。メールなんかは何の思いもなく すぐに消しちゃうのでしょうが手紙は残しておきたくなるものです。

☆   ☆

<ラジコ><エリアフリー>なんてもののお陰で全国から私あてやら番組に手紙や本が届く。ありがたい。大阪の今井さんて方からなんともいかした写真集が届いた。パンチ効きすぎ。昭和9年生まれのカメラマン・糸川燿史の写真集だという。40年位前のファンキーでポップで芸人魂あふるる浪花の濃い人々が写っている。今井氏、糸川氏のOKももらったので ここにあくまでも芸人を中心に数点紹介する。通天閣のにおいがしまっせ。他にもミュージシャンやら演劇人やらがぎょーさん。この連載で浪花特集というのも珍しいのですが あまりに人間臭い大阪の人も案外好きなのである。タイトルは『糸川燿史写真集 FUNKY DAYS』

(左)は若き日の桂枝雀。髪の毛がふさふさである。(右)はローラースケートをする桂べかこ(現在の南光)

(左)は私が大好きだったチャンバラトリオの中のふたり。カシラと呼ばれた左の南方英二がたまらなく面白かった。「浪花名物 張り扇チョップ」である。しかし何故港にいるのだろう。(右)は万博と島田珠代である。

(左)後光すらさしている感。松竹新喜劇の大座長 藤山寛美。そして大阪の喜劇といえばこの人 脚本家の香川登志緒。(右)なぜか殺陣をする深作欣二監督。

(左)は吉本新喜劇の御存知!!岡八郎。(右)は「まいど!」横山やすしである。「やすきよ漫才」を極めた。

(左)は元コメディNo.1「アホの坂田」こと坂田利夫。(右)は吉本新喜劇「誰がカバやねん」原哲男。

(左)「チャラリーン 鼻から牛乳~」道頓堀の嘉門達夫。(右)「11PM」でもおなじみだった作家の藤本義一。

(左)私も親しくしてもらった作家の中島らも。(右)撮影所の中を歩く川谷拓三。

大阪の今井さん、カメラマンの糸川さん ありがとうございました。マニアックコレクションでした~~ッ。

 

<ついでに>

こういう映画も漫画も見ております。映画「二つ目物語」(林家しん平監督)6月24日より池袋シネマ・ロサにて上映。

なんと「少年ジャンプ」で連載している落語漫画「あかね噺」が単行本化(第1巻)されました。

以上。

 

2022年6月16日

高田文夫 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。