高田文夫のおもひでコロコロ

2022.06.03

第36回『年寄りと私』

5月30日(月)「ビバリー昼ズ」のスタジオゲストに90才の野末陳平登場でリスナー大喜び、大反響。私の番組は3才の「ののかちゃん」から90才の「陳平翁」まで巾広い。どんなトークでもバシッと受けてみせる名手古田捕手同様のトークミットを持つ私である。ベストセラーとなった阿川佐和子の「聞く力」、最初は私がホスト候補だっと文春の人間にあとからきいた。クゥ~~ッ。私の「聞く力」を評価していてくれた人が此の世に居る事が嬉しい。リスナーからのメールの数々「陳平さん90歳であのトークは凄い。話の内容が若い」「奥さん亡くなって飼ってるサルも亡くなって ひとりでネットフリックスを見てる感覚は尊敬」「六大学野球チアリーダー見たさに行ってるとは・・・分ります」「高田さんにすすめられて”全裸監督”を2回見たっつーのはナイスですねぇ」「また高田センセーたちと浅草ロック座へ行けるといいですネ。伯山早くチケット送ってこないかなぁ」

様々な声が届いた。私(73才)が「小僧っ子のように思えた」なんて声も。想えば”テレビ創生期”、一緒に大暴れした永六輔、青島幸男、大橋巨泉らは すでにもう居ない。”放送作家”からスタートして文化そのものの巨大なるマスコミ人となった早稲田人達で残っているのは野末陳平ただひとり。そういえば野坂昭如も亡くなったというのに五木寛之はまだ書いていますネ。(その点我が日大は暗いニュースが突然入ってきました。理事長に林真理子が成り上がるというのです。上昇志向の強い女性です。何でも権威を欲しがる田舎者むき出しの貪欲さは、みごとです。早くから理事長になりたいと言っていたそうです。山梨だっていい人は居ますが・・・。林は日芸を出てすぐ私の所へ来て「先輩、何か有名になれる仕事ないっすか」と来たので いやって程、飯を喰わして たしか糸井重里の処へでも行ってみたらと言ったっけ。これじゃ「一本刀土俵入り」のストーリーだ。長谷川伸先生すいません)なんの話だっけ?アッ大先輩の話だ。私は人一倍お年寄りとか年長者、先輩、先生、師匠らへの畏敬の念が強い。”いけい”とは”崇高・偉大なもの、人をかしこまり敬うこと”と辞書にある。近頃の若い人は年上なんか屁とも思わないでしょ。我々古い時代に業界に入った人間はタテがきびしくて。そうしないと”芸ごと”は覚えられないものですけどネ。写真とかイラストがいっぱい入ってるから分りやすいと評判なので”目で見る大衆芸能個人史”、今回は「年寄りと私」というテーマで写真を探してみました。

 

<永六輔>

テレビ・ラジオ放送業界の大巨人です。私とは「幻の師弟」と呼ばれる。永六輔最晩年の写真ですネ。先日 爆笑問題のラジオに元ニッポン放送のKアナが出たらLFとTBSの内部事情の話に。「ニッポン放送また盛り上がってますね」「高田センセーの所に皆集まって あの方はニッポン放送のハブ空港って言われてますから」横で聞いていた外山恵理アナ(この人は永いこと永さん番組のアシスタントをやっていた)いきなり叫んだ。「LFには高田さんが居るけどTBSには もう永六輔は居ないのよォーッ」クゥ~ ひびいた。写真 一緒に写ってる人達も関係性があって面白いです。これは松村邦洋、山田雅人。

 

<野末陳平>

今は志らくが住んでる談志の家(書斎)。左から私(この赤いカーディガンは沢田研二からプレゼントされたもの)、志らく(ひるおび)、そして盟友・立川談志のパネルを抱いて嬉しそうな野末陳平センセイ(国会だって4期24年つとめた。税金党で有名。 男子にはA猪木の新日本プロレスのコミッショナーとしてあまりにも有名)。

 

 

<玉置宏>

私にあらゆる大衆芸能を教えてくれた師匠のような方。私は若手の頃 終了間近のTBS「ロッテ歌のアルバム」の構成を1年くらいやっていた。敗戦処理的な・・・。ニッポン放送では朝の玉置さんの番組から昼の私へのバトンタッチが名物であった。「だくだく会」会友。一緒に写っているのが「大河への道」、すきを見せるとガッテンされちゃう立川志の輔である。

 

<松倉会長>

浅草名物。「浅草演芸ホール」並びに「東洋館」の泣く子も黙るバカ笑いで知られる松倉会長である。渥美清だって 欽ちゃんだって たけしだって みんな勝手に育てちゃったんだから凄い。一緒に写ってるのは子分のようなもの、宮藤官九郎である。この日は「ビートたけし杯」の漫才の審査。嬉しくなった松倉会長。「タイガー&ドラゴンの時 演芸ホールいっぱい客来てさ。ギャルが長瀬クンいつ出るんだってきくんだよアハハハハ・・・(ふたりを見て)で、どっちがドラゴン演ったんだっけ?」

みなさん寄席に足を運んでください。「年寄りと私」いかがだったでしょうか。

<追伸>メンコで落語会プロデュースは次回ということで・・・。ちょうど時間となりました。林理事長の件は「オール日芸寄席」で太田光と語りあいます。

 

2022年6月3日

高田文夫

 

 

 

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。