高田文夫のおもひでコロコロ

2021.11.11

第14回『衝撃の昭和55年』

今と昔、話がいったりきたり。タイトルが「おもひでコロコロ」だからコロッコロッ話が変わっても大丈夫。副々題を思い付いた。「文夫の”文(ふみ)”」だ。昨日初台オペラシティの圧巻「和田誠展」を見に行ったら和田の装丁で阿川佐和子の全く売れなかった本のタイトルに「佐和子の”和”」というのがあったのでパクったというかオマージュ。「文夫の”文”」。恋文のふみであり 言葉のあやであり 文化のぶんであり 文章のぶんでもある。マギーミネンコが歌ったのは「燃えろブンブン」であった。グループ魂 阿部サダヲが熱唱したのは「高田文夫」。たまにニッポン放送でかかることがある。

8月のコロナ禍に書き出した この意味不明な連載、意外な人が読んでくれたりして嬉しい(TikTokも始めるか)。”73歳 真夏の大冒険”もまんざら無駄ではなかったようで。様々なお便りやら番組にメール。「伝説すぎる銀幕スター あの嵐寛寿郎と高田センセーが一緒に仕事をしてたなんてビックリです。アラカンから3才児 ののかちゃん(まいごのまいごの仔猫ちゃん)までかかわっているなんて、広すぎる守備範囲です。吉田義男かと思いました。」「明治のアラカンから、大正・昭和・平成・令和と5世代と仕事してる人なんているでしょうか。おまけに長寿世界一に会いに徳之島まで行ってるなんてちっとも知りませんでした。」中には松村邦洋と同じように53年4月の「600こちら情報部」を第1回からキチンと見ていた人も居て「第1回の放送、関西まで行って”虎風荘”でまだ寮暮しをしていた若手の掛布選手の所へ行きTシャツにGパンで やけにラフなNHKの局員だな と思って見ていたらそのNHKでもない人が”ユニフォームがタテジマってことはパンツもタテジマですか”なんてNHKの夕方とは思えない発言してて、この人大丈夫かなと思って見てたんですが・・・ずっと後(あと)になって東京12チャンネルの「凸凹大学校」に時々出てきたので あゝこの人は”俳句の先生”なんだと判りました」。番組後半のコーナーで三波伸介が「センセー」と呼び出すので私が俳句の先生という事でツービートや ずうとるび、岸本加代子らにインチキな俳句を教えておりました。色々反響もあるのですが、最も衝撃的だったのは なんであれを持ってたんだと大騒ぎだった「ロクジロー」のキーホルダーです。皆なの記憶の中でうっすら忘れかけていた あの「ロクジロー」がいきなり私のブログから出てきたので50代の連中はびっくりしたのでしょう。これは半年くらい前 私の元へ「我々が持っているよりセンセーが持っていた方が歴史的にも価値があるでしょうから」とファンの人が親切心で贈ってくれたものなのです。まさか40年以上の時をへだててここに現れるとは・・・感無量です。

そんな53年54年があって55年は「大衆芸能史」的に特筆すべき”漫才ブーム”です。フジテレビでOAした「花王名人劇場」「THE・MANZAI」から火がつきました。この火が飛び火して今爆笑問題の太田クンのところに行った訳ではありません。このブーム ほとんどが吉本でありました。東京勢はツービートとセント・ルイスしか居ませんでした。その少し前に”地下鉄漫才”の三球・照代が居るのですが年代的にちょっと上の世代でした。その点 関西勢は、やすし・きよしをトップにB&B、ザ・ぼんち、のりおよしお、紳助竜介、いくよくるよ、サブローシローと もの凄いボリュームです。本来ならば”やすきよ”と並んで”Wヤング”が頂点に居たのですがブームが来る直前 借金を苦に熱海の海で亡くなってしまいました。もったいないコンビです。あと半年我慢すればそんな借金すぐに返せる程の大ブームが来たのに・・・人生の無情を感じます。

そして私とビートたけしとの夜明け前から夜明け、そしてカンカン照りの10年間。一睡もせずにガムシャラにふたりでつっ走った10年間が始まります。56年の元日に「ビートたけしのオールナイトニッポン」がスタートし その秋には「オレたちひょうきん族」がスタート。64年に「その男、凶暴につき」監督、同年(64年 平成元年)「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(4月)スタート。平成元年に北野武は監督、私は昼のラジオパーソナリティと それぞれの新しい人生を歩み始めます(私が40才の時です)。そのあたりの人生ドラマは色んな本にも書かれているし私も「オールナイトニッポン」誕生のドタバタやら てんやわんやを書いておりますので 下の書物類を読んでいただければお解りになるかと・・・。

俗に講談社内で「高田文夫の笑芸三部作」と呼ばれているものの第1弾です。すぐに文庫化され(意外に売れたのだ)、解説は宮藤官九郎が担当しております。

第2弾がこれ「TOKYO芸能帖」。文庫版の解説が立川志らく。クドカンも志らくも日芸の後輩という事で気持ちよく書いてくれました・・・が第3弾の「東京笑芸ざんまい」は文庫化して太田光に書いてもらおうと思ったのですが ウラ口(ぐち)問題やら選挙特番での発言 相方の片タマ問題あれこれで・・・出版業界も少し二の足をふみ、こちらの方はまだ文庫化されておりません。きっと時が解決してくれるでしょう。シロとなればきっと講談社も動いてくれるはずです。以上が「三部作」。ビッグボスも楽しみに次回を待てナハナハッ。

<追伸> 自分の著作を照れずにキチンと紹介するというのは「和田誠展」で学んだことです。

 

2021年11月12日

高田文夫

 

 

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。