お待たせしました。お待たせしすぎたのかもしれません。前回 原稿書いてアップされるまで1週間以上だよ。冗談じゃねーよ。こんなに遅いんだったら、これ読んでる皆さんの所へ私が一軒一軒FAXとか葉書を直接送ってやった方が全然早いよ。
こっちは自慢じゃないが73歳のブロガーデビューだよ。細かいルールなんか なんも知らねーつーの。写真だとか新聞記事だとか資料的に意味もあるし、視覚的にも見やすく楽しいだろうと思ったら勝手に載せちゃいけないんだってさ。私はいつもこの原稿を書いたら資料と一緒にニッポン放送のディレクター石Dに渡すと毎回すぐに何とかしてくれるんだけど、前回は5日たっても1週間たってもNOアップアップ。石D曰く「色々許諾とったり承諾とったり大変なんですよ」えっ⁉売っちゃった新聞記事までお伺い立てなきゃいけないの。50年マスコミで飯を喰ってきたけど そんな事初めて知った。横から立川志ららの奴が「もう集合写真を載せるのやめて下さい。1人1人に電話してOKもらうんですから・・・25年以上も前の写真に犬が写ってたでしょ。あの犬からOKもらうんで 探して探して大変だったんですワン」ウソをつけ。あんな犬もう死んじゃってるわ。それよりお前の師匠 志らくも犬死にするなと言っておけ。 あ~ゝ年とると何やっても駄目だな。
一体いつから世の中とずれ始めたんだろう。昔は「心技体そろった放送作家」と言われ「走攻守そろったラジオパーソナリティ」と呼ばれ「白発中までそろった芸能者」と言われたのに・・・みなもと太郎が死んじゃったと思ったらジャンポール・ベルモンドが死んじゃった。高校時代 本当に夢中になったな。バカな若い連中はアラン・ドロンがいいなんてぬかすのだが東京は世田谷の坊ちゃん、日曜日には銀座みゆき通りをうろつく「平凡パンチ」にも載ったおしゃれBOYとしてはベルモンドが格好いいのだ。アラン・ドロンのように只の二枚目でなく三が微妙に入っているのが素敵なのだ。一時期は渋谷は”恋文横丁のベルモンド”と言われたものだ(誰が言った?)。「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」(映画のタイトルだから思い切り書けるのが嬉しいネ。えっ⁉これも許諾とるの?石D~ッ。「リオの男」「カトマンズの男」享年88。パリの自宅で亡くなったらしい。行ってやればよかったかな。人間は会いたい時には会って直接喋らなきゃ駄目だな。「人」と「人」との「間(あいだ)」と「間(ま)」で”人間”だもの・・・ン?みつを?「間(ま)」のない奴を「間抜け」と言う。
人間は病気や事故で死ぬんじゃないんだってネ。たしか永六輔に言われた。人間はみんな”寿命”で死ぬんだと。ベルモンドのように88で死んでも寿命。3才の子が亡くなっても その子にとっては3年が寿命。定められた各々の命があるらしい。だから3年で亡くなっても めでたい「寿」の文字が入って「寿命」。勉強になるなァ。近頃は若い人まで御飯を食べる時、手を合わせて「いただきまーす」と言ってるけど、あれは何を頂くの?なにをいただきますなの?なにに手を合わせているの?
これも昔 永六輔に教わったっけ。これは 目の前にある命を頂きます。お米だって魚だってお肉だって、ついさっきまで生きていた命なのだ。その命の全部を人間様がいただいて明日の糧にするって事なのだ。ちょっと良いこと言っちゃって俺はありがたい坊主か⁉
ここまで字ばっかりだったけど大丈夫?視覚的に寂しいと思ってんじゃない?そこで何とかスナップ写真も新聞記事も使わずに 我が「おもひで」をコロコロさせるには そうだ、きっと雑誌の表紙なら許諾もなにもいらないでしょう。表紙を飾った若き日の私あれこれを 。まずは私が36歳。マスコミや世間の女の子からキャーキャー言われパンツを穿く時間もなかった頃の「私」大特集号。おしゃれカルチャー、流行に突出していた雑誌「スタジオボイス」(1984.MAY)が私の写真を何枚も何枚も撮り掲載し、これでもかというくらい超ロングインタビューをし、私の人気・人柄の良さを解明してくれています。編集長は あのレジェンド佐山一郎。まさに東京の文化のトップ・OF・ザ・ワールドです。しみじみ見ると可愛くていい男だわ。ジュリーだって私に似てくるはずだ。いやぁ この頃は本当によくモテたなァ。皆から告白された。えっと思う女優から歌手、タレント、アナウンサー、銀座のママ達、芸者衆、BGやらOL、バスガールからエレベーターガール、しまいにゃ70の婆さんからも「骨をひろってくれ」と頼まれた。人間 長い事、人生をやってると1回はモテる季節もあったという耳寄りな話だ。

これから8年、1992年の5月号。春風亭昇太が真打ちになるというので組まれた特集号。コアすぎるお笑い専門誌「カジノフォーリー」。その上にサブタイトルみたいなのが書いてあり「オシャマンベ漁協で話題のお笑い雑誌」とある。もう1冊は同じ1992年に出ている「キンゴロー」。左上に「高田文夫責任編集」とありコピーが「ドカーンと一発、笑いの濃縮ウラン!」もうほとんど言ってる事が分からなくなってきている。

44歳くらいともなると放送台本を書いてDJだけでは飽き足らず、根っから好きで家業でもある出版の方にも手を出し始める。下はローカル誌とは思えぬほど文化度が高過ぎる雑誌「中洲通信」(1994年6月号)。血ヘドが出るほど喋っている。九州の雑誌だけでなく東京っ子のまん真ン中「東京人」から「一冊 編集長を」と話が来て最初に作ったのがこれです。1994年・9月号。このあとも「喜劇人」やらなんやら何冊か作る。これは「あきれる程 売れた」と言われた。「特集・やっぱし、落語だ!」 座布団の右下に「高田文夫・企画 構成」とある。

そして、いよいよ定期的に発刊するムック本。あまりにも中身が濃すぎる「笑芸人」です。上等なお笑いファンには本当に喜ばれました。私は51歳。発行は白夜書房(裸とパチンコで一時代を築いたあの末井昭との同い年タッグです)。VOL.1が1999年・冬。これから2005年のVOL.17まで続きました。タフで”情”のあるいい雑誌となりました。

高田文夫責任編集とあり、この題字「笑芸人」も私のいたずら書きです。 濃密な特集は「土曜8時テレビ戦争”8時だヨ!全員集合”vs”オレたちひょうきん族”」そして私の趣味も満載”三木のり平”や”由利徹”もタップリです。遅れてきたお笑いマニアの人達 是非探して読んでみてください。きっと私を少しは尊敬するはずです。
2021年9月9日
高田文夫

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