高田文夫のおもひでコロコロ

2021.08.27

第4回『センセーから組長へ』

テレビで”つんく♂”がボードに書いていた。「芸能界というのは 芸の能力のある人だけが集まる社会なんだよ」と。私は続けて書いた。「能力がない奴が 長居するだけ不幸な村」

私のメモにこうある。

「芸人(作家)だったら 人の道だけは はずして欲しい」

「自由ほど 不自由なものはない」

ラジオで何処かの社長が言っていた。「成功した要因ですか? ・・・命をかけて仕事をして 命をけずって遊んだことかな」

以前呑み屋で会ったおやじが言っていた。「人間は食べたものと読んだものでできている」

二枚目の死より笑芸人の死の方が哀しい。笑わせてくれた分量だけ哀しいのだ。二枚目は笑わせてくれた事もないから死んでも悲しみも全然ない。

そこでこんな回文はいかが。上から読んでも、下から読んでも同んなじというヤツです。

『馬鹿な奴の 喜劇の通夜なかば』

酒吞んで、そいつのしくじり話をすると盛り上がるんだよな。朝までネタがつきないくらいの男にはなりたい。

タイトル通り毎回コロコロッと話は違っていきますが、コロナ禍だろうが 五輪だろうが 有村昆だろうが 私の頑固なこのスタイルは変わりません。この御時世、スマホも持たずに手書きの原稿。清清しささえ覚えます。

関西の方では”雨上がり決死隊”が解散したとかで大騒ぎ。こちとら2012年にゃ8時間心肺停止エクモ男だ。カムバックしてのこの働きぶり。誰が言ったか私と松村邦洋を”病みあがり決死隊”。

食べたものと読んだもので出来ているこの身体と頭。趣味の本屋通いで先週と今週に買って、いま読んでいるもの。

とうとう その姿をさらけ出した。「出禁の男 テリー伊藤伝」(本橋信宏 イースト・プレス)放送禁止な斜視男に深く入り込んだ著者が凄い。何も知らず私は、ほとんどこの本橋の本は読んでいた。「全裸監督」「東京の異界 渋谷円山町」「新橋アンダーグラウンド」などだ。

テレビ屋という意味で「さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ」(阿武野勝彦 平凡社新書)あの東海テレビのプロデューサー。映画化した「ヤクザと憲法」「人生フルーツ」「さよならテレビ」と次々と話題作。

根っからのヤクザ映画好き(なんたって中村錦之助の 関の弥太っぺから好きだ)には、たまらない本が出た。「東映仁侠映画120本斬り」(山根貞男 ちくま新書)あゝ鶴田浩二、高倉健、藤純子、菅原文太・・・・嵐寛寿郎だって出てきちゃう。

深く日本の歌謡曲を知りつくした男、近田春夫がフットワーク良く出しました。「筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」(文春新書)「真夏の出来事」は「また逢う日まで」「よろしく哀愁」だ。

「さんぽ会」会員としては大好きな町ものの本が出た。なぎら健壱のライブなんか行くと必ず声を掛けてくるただのおやじ(ところがその知識量が凄い)。「町田忍の昭和遺産100」(天夢人)ペコちゃんから遊廊建築、赤チン、同潤会アパートメント、汲み取り屋まで昭和でお腹いっぱい。

大好きな雑誌に「昭和40年男」「昭和50年男」がある。毎月読んでいるのだが「総集編」として「あしたはどっちだ」的なボリュームで「我が心の梶原一騎」がタイガーマスクと共に本屋のリングに立った。(あゝ・・・想い出したよ。力石の葬式で講談社まで行ったっけなあ)この1冊で男になれる。

そんなこんなで今回は何だっけ?

前回はいよいよ「関東高田組」発進か。40歳を過ぎて<組長>と呼ばれる肩書きもついた。台本書いてるから<センセー>、談志が文句なしと言って真打ちになったから<師匠>、ギャラリー「やなか高田堂」をやっていたから<堂主>、この後ムック本「笑芸人」「落語ファン倶楽部」を出しつづける事になるので<編集長>、ライブ「高田文夫杯争奪 OWARAIゴールドラッシュ」で<審査委員長>、「我らの高田笑学校」では<校長>。やたら<長>がいっぱい付いたがラジオだけは肩書きがない。<DJ長>ってのも語呂が悪いしな。ニッポン放送の<社長>にでもなるか。そうだ 今年「漫才協会」の<外部理事>ってのも付いたしな・・・。

そんな事より話を元に戻そう。ここ1週間、私の留守電やらFAXに「高田、話が長いよ。TikTokだツイッターだという時代となってどんどん文章が短くなっていく現代に何を逆らってんだ」「元・編集者ですが、センセーこれ原稿料出てないんですよネ。まッコロナ禍なので長く読めるものは楽しいです」「戦後の大衆文化史を学んでるようです」「近頃ごぶさたネ。ママより」おいおい、どこのママだ?「久しぶりだねぇ。金貸してくんない?ビートきよし」おい、油断も隙もねぇな。

(伯山のごとく前にある釈台をパパン‼と叩いて)「関東高田組」の大進撃は もの凄く疾風怒濤、言語道断、五里霧中。持った茶碗をバッタと落とし姓は寿限無で名は五劫、パイポパイポパイポのシューリンガン 西向く侍 覚せい剤の喫茶店(パパン パンパン) 

ライブツアーで東京(パルコ劇場)やら札幌、大阪あたりまで行った記憶があります。ビデオも何本か発売され、そしていよいよ「PARCO」のポスターに登場です。PARCOのお中元キャンペーンです。このポスターが私の生まれ故郷 渋谷にいっぱい貼られていた時は ちょっと恥ずかしかったものです。

若い人達もキチンとお世話になった人にはお中元を贈ろうというキャンペーン。きっと「しきたり」にうるさい「関東高田組」がそのイメージにピッタリだったんだと思います。小唄の稽古をしている所へ昇太が届け物。立って待っているのは夏らしくスイカを持つ玉袋筋太郎(浅草キッド)。学ランは大川興業総裁 大川豊。隣に水道橋博士(浅草キッド)、江頭2:50。後が立川談春、立川志らく、松村邦洋。そして大川興業の面々。たった一行のコピーがいい。

<礼儀 正しい 日本人。>

常にこうありたいものです。私の一番好きなポスターです。

ポスターシリーズとしては「PARCO」に続いてまたまた若者達にはたまらない御存知「TOWER RECORDS」のポスターです。カリスマ・サンボマスターからの御指名を受け組長登場し上野の鈴本演芸場で「ノーミュージック ノーライフ」です。

もう1枚は高座をお借りして座布団のやりとり。山口クンはバカなのでここでも1番少ない枚数です。

タワーレコードが何故<サンボと私>などという粋な組合せを考えたのか・・・実はこの前にとんでもないカリスマ同志のポスターがあったのです。

立川談志とハイロウズです。これ以上 最強の組合せはないでしょう。場所は談志のいきつけの定食&一杯呑み屋「大木」。私もここでカツ丼を食べさせてもらいました。いいおもひでコロコロです。

 

21年8月27日

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。