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2026.01.18

タップダンサーのHideboHさんの人生を変えるきっかけとニューヨークへの挑戦 

タップダンサーのHideboHさんが登場

日本を代表するタップダンサーのHideboHさんに

タップダンスを始めたきっかけやニューヨークでの修行について

さらに、3月にCOTTON CLUBで行われる

玉野和紀×HideboH×黒木瞳

スペシャル・ライブ『TAP OF DREAMS +』について伺いました。

Higuchi Dance Studio公式H P コチラ

『TAP OF DREAMS +』詳細 コチラ

 

タップを始めたきっかけ

自分は6歳からタップダンスを踊ってきた。

両親がともにタップをやっていて、

家がタップのスタジオという環境だった。

父はOSK(大阪松竹歌劇団)の振付師、

母はSKD(松竹歌劇団)出身で、幼い頃から

松竹や宝塚などのエンターテインメントショーや

レビューを観るのが大好きだった。

褒められることが嬉しくて自然とタップに惹かれていったが、

野球やバレーボールも経験する普通の少年でもあった。

両親は決して強制せず、「やめてもいい」と言ってくれたことが、

自分でタップを選び続けるきっかけになったと思う。

周りの友達はタップダンスと言っても知らず、

なかなか理解されなかったが、

週3、4回のレッスンを重ね、

小学生時代はひたすらタップと向き合っていた。

 

 

人生を変えるきっかけとニューヨークへの挑戦       

グレゴリー・ハインズ氏が来日した際、

タップシューズにサインをもらう列に並んだことが、

自分の人生の大きな転機だった。

男一人で最後尾に立ち、

「ここで何かしなければ人生は変わらない」と思い、

思い切ってステージに上がり、彼のCMと同じタップを踊った。

その無謀な行動がきっかけで、

アメリカのヘンリー・ルーターを紹介してもらい、

19歳で初渡米した。

そこでアメリカのタップを感じ、

日本と世界のレベルの違いを痛感した。

22歳からはニューヨークに本格的に通った。

「フーファーズナイト:タップダンスの夜」と言って、

靴さえ持っていけば無料で参加できるというものに

毎週のように参加。

そこで初めてもらった20ドルは

ニューヨークのタップダンサーとして認めるよ

というものたと自分は解釈していて

今もお守り代わりになっている。

 

 

父から受け継いだ教え

子どもの頃から両親のことを「先生」と呼んで育った。

スタジオでは先生、家でも自然と先生になり、

今でも母をそう呼んでいる。

父は浅草松竹演芸場などで活動する芸人で、

自分は北野武さんをはじめ多くの芸人さんたちを袖から見て育った。

客席が沸く空気を幼いながら体感できたのは、

本当に貴重な経験だった。

大人になり、北野武監督の『座頭市』で振付・出演した際、

北野監督に当時のことを話したら「よく覚えているな」と言われたりした。

父から教えられたのは「諦めるな、続けていればいつか何か叶う」

「自分らしくいろ」、

そして「タップは人だ」という言葉。

最初は意味が分からなかったが、

技術だけでは伝わらず、人となりが音にでる。タップは心だと、

今ははっきり分かる。

水谷豊さんの「芝居をしないところに人がこぼれる」

という言葉にも重なり、

技術を押し付けるのは違う。

芸はその人自身がにじみ出るものだと実感している。

 

 

「『Higuchi Dance Studio』~後進の指導   

現在、「Higuchi Dance Studio」を運営し、

一般の方にもタップダンスを教えている。

生徒さんは3歳くらいの子どもから90歳を超える方まで、

本当に老若男女さまざま。

タップダンスの素晴らしいところは、

発表会で3歳から90代までが同じ舞台で一緒に踊れることだと思う。

タップを始めるのに遅いということはなく、

40代、50代、60代から始める方も多い。

座りながらできるタップや、体に負担の少ないメニューもあり、

晩年に取り組む運動としてもとても優れている。

実は腹筋や背筋を使い、体を引き上げないと踊れないので、

骨や筋肉にも良い影響がある。

スタジオを通じて、自分は父から学んだ芸人道からの礼儀礼節や

客観的視点に立った子育てを、

生徒さんや自分の子どもたちにも伝えている。

両親が作ってくれたこの場所と縁を、

次につないでいくことが自分の役目であり、恩返しだと感じている。

 

 

「フィーリング創造アーティスト」

かつて、自分のことを「フィーリング創造アーティスト」と名乗り、

そんな肩書きを刷った名刺まで作っていた。

型にはめられるのが嫌で、アーティストなんだから自由でいいだろう、

と豪語していた少しヘンテコな若者だったと思う。

もちろん地道な努力は必要だが、

それ以上に大切なのはフィーリング、感覚だと強く思っていた。

タップダンスがステップ1番、2番と決められ、

技術の組み合わせとして整理されていくことに、どこか違和感があった。

タップは音楽であり、自分にとっては楽器。

感じたままの音を、自分のステップとして生み出したかった。

海外の文化であるタップを、

そのまま真似するだけと言われるのも悔しく、

日本人としてのリズムとは何かを考え始めた。

歌舞伎や能にある「間」をすごく使っている。

小噺では芸人が同じ言葉でも、師匠が言うと笑いが生まれたりする。

その正体は間にある。

タップダンスも同じで「間」。

リズムを埋めたところではなく、

あえて間引いたところにリズムのセクシーさある。

その「間引き」をどうできるかそんなことばかりを考えていた。

 

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