あさナビ

2024.05.17

笑福亭鶴光師匠とラジオ

落語家の笑福亭鶴光さんが登場。

笑福亭松鶴師匠のもとに入門したときの話など

落語家としての話はもちろん、

一世を風靡した「オールナイトニッポン」など、

ラジオ界でもレジェンドパーソナリティでもある鶴光さんに

下ネタも交えたラジオトークの誕生秘話や

ラジオパーソナリティになった当初のエピソードなども伺いました。

X (旧twitter)  コチラ

 

鶴光師匠とオールナイトニッポン

落語家 笑福亭鶴光は「つるこ」と読む。

大阪弁は短く縮めるのが特徴、

師匠も“松鶴”と書いて「しょかく」と読む。

ただ、ラジオの時は分けたい、別人格を作りたいと、

鶴光を「つるこう」と読むようにした。

74年からオールナイトニッポンのパーソナリティを担当。

森高千里さんは、番組を小学校4年の時に、

親に内緒で布団をかぶって聴いていたそう。

自分はオールナイトニッポンを11年9か月担当。

その後も長くラジオのパーソナリティを担当。

ニッポン放送にくると、我が家に帰ってきたよう。

自分のラジオは下ネタが多かった。

なぜ下ネタをやるようになったかというと、

ひとつは目が覚めるから。

深夜にやっているとき、聴いている人の中には

働いているドライバーさんたちもいた。

ラジオ聴いて「この男頑張っているから頑張ろう」と思う。

という思いで下ネタをやっていた。

 

 

鶴光師匠とラジオ

オールナイトニッポンの後、

朝4時頃からの「鶴光の噂のゴールデンアワー」という番組をやった際、

「さわやかな季節になりました」ときれいな曲をかけたら、

一番偉い人から

「だれがそんな放送をしろと言ったか。

君のラジオを聴いて笑いたいんだ」といわれた。

下ネタは人を傷つけない。

そして、下ネタをやるためには自分がエッチであってはいけない。

年齢を重ねれば重ねるほど、許される。

最初にラジオパーソナリティを始めるときに、

ディレクターから、当時高価だったストップウォッチを買うようにいわれた。

リスナーは自分の名前が出るだけで嬉しいので

曲のイントロの何秒という間に、ハガキを読む。

その訓練をストップウォッチでさせられた。

あと、地名は絶対間違えないように、

日曜日、暇な時間、地図を持って、地下鉄に乗ったりした。

自分の頃は、今と違い、新人を使ってくれ、育てようという気持ちがあった。

 

 

落語家 笑福亭鶴光の誕生

高校1年生の時、大阪MBSの演芸番組「素人名人会」で名人賞を受賞。

新品のズボンと1万円をもらった。

この道にいけば儲かるかもと思い、噺家の道へ。

松鶴師匠を選んだのは、「六代目笑福亭松鶴」という名前の格好よさ。

どうやって申し込んでいいのかわからなかったので、

往復はがきを買ってきて、

「弟子にするなら〇、しないなら× 返事ください」

と書いたが、待てど暮らせど返事が来ない。

実は名前の「笑福亭」を「松福亭」と間違って書いてしまっていた。

直接師匠の楽屋にいったら、憎しみの目で見られ怒られた。

しかし、チラシの業者がはいってきて、そのチラシの名前が

「松福亭」になっていて、“プロも間違う”というところから、

師匠は、自分の名前が知られてなかったと考え、入門が許された。

兄弟子が仁鶴さん、弟弟子が鶴瓶さん。

全部で20人以上の弟子がいて、今は分かれて40人以上の弟子がいる。

自分は仁鶴兄貴に影響を受けた。当時、すごい人気があった。

仁鶴さんは、ラジオで下ネタをやっていて“エロ仁鶴”と言われていた。

それみて面白いと思った。

しかし、仁鶴さんはある時期から、まじめな対談番組を始め、

イメージチェンジをした。その時に下ネタが残った。

その下ネタを知っていたのは自分だけ。

いずれこれを使ってやろうとずっと温めていたものが

オールナイトニッポンを始めた時にバーンとはじけた。

 

 

 

東京と大阪の寄席

東京の寄席でトリをとれるようになったのは、

大阪は、「前座、二つ目、真打」という制度がなく、

自分の東京の弟子が真打になるとき、

弟子より師匠が下というわけにはいかないと、

「上方真打」という名前を自分につけてくれた。

東京ではトリをとるには真打にならないとといけない。

松鶴師匠は東京から関西に来た芸人を飲みに連れていっていた。

なので、自分が東京に行ったとき、松鶴師匠の弟子ということで

ご飯を食べに連れてってくれ、稽古もしてくれ、

落語家の方に紹介してくれるなど、いじめる人は一人もいなかった。

師匠が種をまいてくれ、その恩恵を自分が受けた。

「情けは人のためならず、巡り巡ってわが身のため」というが

人にやってことは自分の身内、もしくは弟子にかえってくる。

なので、今、自分は若手を2980円の飲み放題に連れて行っている。

東京にでてきたときに、噺家になるためには

日本舞踊、長唄、三味線、太鼓、これだけはやらないとだめだといわれた。

日本舞踊は落語のしぐさの中にでてくる。

東京は素話だが、大阪は噺の間に三味線や太鼓が入ってくる。

太鼓をやっていると間がわかる。今でも稽古はやっている。

完璧にやらなくてもいい。やってことは必ずかえってくる。

落語で詰まった時は初心に帰り、寿限無からやり直す。

 

 

落語家になる人へ

落語家になる人へ言いたいことは、

「好きなことをしたかったら貧乏を覚悟しなさい」ということ。

何かを得たければ、何かを捨てなければいけない。

将来、名人になりたいと思ったら何かを捨てなければいけない。

最終的に家族を捨てる、友人をすてるまでいかないと名人にはなれない。

全てを詰め込むためには、いらないものを全部取り除く。

今やっていることをしっかりやっていれば、未来は勝手に開かれる。

今を大事に生きること。後悔しない生き方をすること。

そして、やるべきことは、今ここでやる、明日にしてはだめ。

やる時とぼーっとするときとメリハリをつける。

自分たちはボーとしていても自然にネタを繰っている。

自分は1日1時間歩いている。

歩くテンポと落語のテンポが合っている。1時間歩くと4ネタ繰れる。

繰って繰っていくと、パッと新しいことが浮かぶ。

古典落語は決まっているが、

そこを変えていくのが自分の演出であり、個性。

 

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