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2023.10.27

サルヴァトーレ・クオモさんに聞く「ナポリピッツア」そのルーツとは?

株式会社 SALVATORE(サルバトーレ) CUOMO(クオモ) INTERNATIONAL(インターナショナル)

代表取締役会長の

サルヴァトーレ・クオモさんが登場。

日本で本場の「ナポリピッツア」を一躍有名にした功労者であるクオモさんに、

ピッツア職人になったきっかけ、日本での店舗開設についてや、

「ピッツア」について、さらに、

ナポリピッツア世界最高峰の大会「PIZZA FEST」で最優秀賞を受賞された

「PIZZA SALVATORE CUOMO(ピッツア・サルヴァト-レ・クオモ)」の

ピッツアのこだわり、おいしさの秘密も伺いました。

 

サルヴァトーレ・クオモ 詳しくは コチラ

 

 

「ナポリピッツア」 とは

「ナポリピッツア」はイタリア・ナポリで生まれた。

「アメリカンピザ」は、移民の人たちが、

現地であるものを集めて同じものを作ろうとしたが、

食材がないなどで、その姿が変わったもの。

「PIZZA SALVATORE CUOMO」のピッツアは、

チーズは、イタリアで選んだ水牛のモッツァレラチーズを使用。

現地でセットアップし、日本に輸入。

トマトのベースもイタリアからきている。

一個一個の食材は組み合わせのバランスが取れることが重要。

作る人も、焼く人も、みんな人の手で作っている。

職人の世界。レシピは有るが、毎回毎回変わる。

ピッツアのまわりの耳の部分は、でこぼこができる。

それは職人が触る位置が下がるから。

アメリカのピザはそれがない。ナポリピッツアは指紋が残るピッツア。

また、生地も発酵のさせ方が違う。

ピッツアはナポリで生まれているので、ピッツアといったらナポリのピッツア

「ナポリピッツァ」と言うのが違うと思う。

他のところに伝わったものが、フィレンツェのピッツア、NYスタイルなどの

言い方するのが正しいのだと自分は思う。

今ではわかりやくするために「ナポリスタイル」と言われるが、

もともとナポリで生まれたものということを説明することが、

自分たちの仕事の一つである。

 

 

最優秀賞を受賞したピッツア

デリバリーも行っている。

デリバリーのものは、20分経っても、

お店で焼いてすぐ提供するものと同じようにおいしいという

生地づくりからスタートした。

水分量や、のせるものを変えたり、計算しないと

おいしいものは届けられない。

ナポリピッツアの世界最高峰の大会「PIZZA FEST」で最優秀賞を受賞。

この「PIZZA SALVATORE CUOMO」というブランドはメイドインジャパン。

ピッツアの生まれたナポリで、自分の部下である日本人が優勝。

これは歴史の残ること。いい意味でも悪い意味でも有名な大会になった。

ナポリピッツアにはルールがある。

何をのせていいのか、のせてはいけないのか

薪窯で焼かなければいけない、そしてその焼き方など

世界遺産であり、ルールに従ってつくらなければいけない。

ナポリピッツア職人がどういうものかも、今は認定されている。

ルールを守ってモノづくりをすることが大事。

生地の作り方、材料の選び方。トッピングの仕方、

生地の伸ばし方、オーブンの中にどういれて、最終的にどう出されていくか。

全ての物は計算されている。

高さや、広がり方も何cmか決まっている。

ナポリピッツアは奥が深い。

 

 

日本にナポリピッツアを広げる

父親が日本でオープンした店はあまりうまくいかなかった。

職人として本物のナポリ料理をだしたが、

当時、日本ではアメリカのピザがメインになっていたので、

ナポリピッツアは見向きもされなかった。

自分が中目黒で最初に店をオープンしたときに

ナポリピッツアの薪窯を作った。

自分にとって自分の街のシンボルであり、自分の父親の思いもあり、

薪窯をおいてきちんとやろうと思った。

評論家の方からは、うまくいって3か月といわれたが

自分たちはやるしかなかった。

お店は、フィクションの世界を多少作ったほうがいいと思った。

ただ「食べる」ということだけでなく、イタリアに来たと思わせたらいいと考えた。

スタッフのセットアップや、言葉も「ボナセーラ」というキーワードを使った。

次の段階は料理。料理も「ピッツア」というキーワードを使って説明。

タイミングよく、「料理の鉄人」に参加するなどで、知れ渡っていった。

自分は11歳で料理の道に入った。

18歳の時に父が亡くなって、職人としてやっていくか選ぶ権利があったが

強い思いがあり、この道で行こうと選んだ。

弟たちと一緒に北イタリアの専門学校にいき、非常に魅力的だと分かった。

 

 

ピッツア職人の道へ

「ピッツア職人」と「料理人」はわけないといけないと思う。

「ピッツア職人」は本当に「職人」。

ピッツアを作っている人は、料理人と違い、途中で味見ができない。

完璧なものをだすためには、完璧に計算されているものでないとならない。

また、料理の世界で信頼性というのは大事。

人の手で作ったものを他人の口に入れる。

このことは、どれだけ信頼をうけているか。

相当な修業をやっていなければ、認めてもらえない。

父は亡くなる時、日本にお墓をつくってほしいといった。

父の日本に対する思いが自分たちにもメッセージとして伝わっていた。

18歳のとき、父が亡くなり、イタリアに帰ろうと思っていた中で

父の言葉や思いもあり、

また、日本に来た意味を何かで伝えないといけない

ということで薪窯だったり、ナポリピッツアに思いが繋がっていった。

父と同じことをやっても

自分が日本で受け入れられたのは、タイミングやバランス。

伝えられるチャンスがあり、みんなきいてくれたから。

自分は選んだ場所も合っていた。チャンスと隙間とタイミング。

 

 

これからの夢

2021年に大分県日田市移住。今は拠点にしている。

コロナが始まったときに、マニラに住んでいて日本帰ろうと思った。

日本では、会社は東京にありながら住んでいたのは福岡だった。

コロナが長引きそうでどうしようと思っていたとき、

福岡からよく通っていた温泉のある黒川の途中で、

果物がおいしい場所を探した。

自分はイースト菌をつくりたいと思っていたので、日田市がマッチした。

料理人は水が大事。このエリアは水がおいしい。

このエリアの食材を使って何かできないかと思った。

最初はイーストを作ろうと思っていたが、

ここでの農業をみて、果物が捨てられている、フードロス問題が大きい

ということがわかり、

何かできないかと、現地の方と新しいプロジェクトを始めた。

それが「Lab3680」。

メインプロジェクトとしては、果物をちゃんと利用して、

ジャムやジェラートのベースとして作り、海外にももっていく。

「SALVATORE CUOMO」のブランドは

フィリピンとインドネシア、日本がメインになっているが、

近々ほかの国もスタートする。

自分はナポリを日本の中に広げたが

今はナポリに日本のものを海外に広げたいという思いが強くなっている。

自分というものを残さなければいけない。

歴史は変えられないが、指紋は残せる。

 

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