あさナビ

  • TOP
  • ブログ一覧
  • 美術家・横尾忠則さんが考える、創作に必要なこと
2023.09.08

美術家・横尾忠則さんが考える、創作に必要なこと

美術家の横尾忠則さんが登場。

グラフィックデザイナーとして活躍する中、

なぜ突然「画家宣言」をし、画家になったのか、

創作に必要なことは何か、などを伺うとともに、

50年以上書き続けている日記から横尾さんの人生観にも迫ります。

12月3日(日)まで開催中の『横尾忠則 寒山百得』展について伺いました。

 

横尾忠則 オフィシャルウェブサイト コチラ

 

「横尾忠則 寒山百得」展

12月3日(日)まで 東京国立博物館 表慶館

詳しくは コチラ

 

「横尾忠則 寒山百得」展

東京国立博物館 表慶館で

「横尾忠則 寒山百得」展が開催中。

1年1~2か月で100点描いた。寒山拾得は人の名前。

「拾」という数字が名前に入っているのであれば、

百にして、100点描いたらどうかと軽く考えて始めたが大変だった。

今まで多く描いた年でも30点でこんなに描いたのは初めて。

寒山拾得は中国の禅僧。

ボロ切れのような着物を着て、手に巻物を持っている人と

箒をもっている人と2人いる。

不気味な笑みを浮かべ、

何をしているのかよくわからない風来坊のような人。

生き方が自由。普通の自由を超えている位、自由な生き方をした僧侶。

何をやった人かわからない。現存したかもわからない。

そういう人だから寒山拾得シリーズを描こうと思った。

できればアーティストはそうありたいと願う理想像。

自分の中にある寒山拾得を引き出せないかと思って始めた。

絵を描くことによって、その世界に近づけないかと思った。

究極の自由人である。

 

 

創作に必要なこと

子どもは解放されている。ルールは持っていない。

やりたいことをやる。

そのような子供の生き方を寒山拾得は大人になっても実践している。

自分も子供ころは絵を描きながらあとは遊ぶ。

物をつくること、絵を描くことが好きだから、

それに必要なことだけをしていればいい。必要なことは遊び。

徹底して遊ぶことが創作、創造に結びついていた。

大人になってもピーターパンでいたかった。

親や学校、社会の影響で自分の中の子ども性、幼児性を

どんどん排除していき大人になろうとする。

そうするとモノをつくれる人間ではなくなってくる。

モノをつくりたいという気持ちが強かったために、

アカデミックな勉強をするとか学校にいくということは

本能的に不必要だと感じていて実践していたのかと思う。

社会にでて認められたいという気持ちが大人にさせてしまう。

子どもは認められたいと思っていはいない。

「横尾忠則 寒山百得」展は

この絵を通じて社会に何かを訴えたり、語りたいということではない。

気分で書いている。今日の気分と明日の気分は違うから

絵も様式もガラッと違うものを描いてしまう。

普通は統一した様式をもつことでその作家は社会的に認められていく。

認められたくないという方向を目指したような気がする。

グラフィックの時は制約、条件を与えられ、がんじがらめ。

そこから逃れたいという思いから商業的なものはやめ、

映画や音楽などの仕事をするようになった。

 

 

グラフィクの世界から絵画へ

1980年7月、ニューヨークで

突然、自分の中に言葉にできない啓示のようなものを受け、

「自分のやっているグラフィックはもう終わった。

これからはアート、美術をやりなさい」という衝撃を受けた。

逃れることができないくらい強いものだった。

グラフィックが天性だと思っている真っ最中、非常に調子のいい時期に

突然それを捨てさせられるという、ここに何の力が働いたかわからない。

ニューヨークから戻ったら、すぐにギャラリーに飛び込み、

グラフィックをやめる、絵をやりたいので展覧会をやってくれますかという話を

絵を1枚も描いていないのに持って行った。

初個展では大きな油絵を描いた。

4つの美術館がそれを買い上げてくれた。

この時買い上げてくれていなければ

絵をやめていたかもしれない。

グラフィックデザイナーと美術家は似ているように見えるが全く違う。

グラフィックを仕事だとすると美術は生き方、人生。

なんでそんな状況になっているかは自分でもわからない。

それに従うしかない、運命だと考え、自分の意志はどうでもいい、

運命の意志に任せたほうが楽。

 

 

日記にみる人生観

日記を1970年からずっと書いている。

強制されたからのではなく書きたいから書いている

生きることとアートは区別しない。

一体化してくるのが生きやすいと、考えとしてはある。

しかし、なかなかできない

日記はその日の1日をメモとして書いている。

何の役に立つのか考えていない。

それを目的にするとつまらない日記になってしまうと思う。

夢の話や死についての話が多い。

昼と夜は、皆分けて考える。自分は一つのものだと思う

夜見る夢の中に現れる自分のほうが本体。

昼間の方はいくらでも演出でき、嘘もつくし、いい加減。

夜の自分は本能、本性と一体になったいるから

嘘のつかない自分を見せつけられる。

本当の自分だから驚いたり、恐がったりする。

自分はもともとひとつだから、社会的に2つにわけているだけ。

昼間の世界は天国的な世界を創造しようとしている。

夜は恐ろしいシチュエーションにおかれたり、自分を見せつけられる。

それはまさに地獄でもある。

いいとこどりをしている昼間の人生と、夜の人生をミックスすることで

本当の自分が現れるのではないかと日記を書きながら思うようになった。

 

 

寒山拾得からのメッセージ

12月3日まで東京国立博物館 表慶館で

「横尾忠則 寒山百得」展が開催中。

寒山拾得の絵を102点描いた。

その日の気分で描いた。

みんな気分で生きていない。色々な制約を受けて生きている。

それを無視し、ただただ気分で生きているというのが

寒山拾得の生き方。だから絵も気分で描こうと思った。

そうすると自分は様式がない人間だとだんだんわかってきた。

皆、表現するときにスタイルをもつ。

そのスタイルによってアイデンティティとして認めさせようとする。

しかし、認められることを拒否した場合、気分で生きていくことができる。

これが寒山拾得の自分へのメッセージだと思う。

知らない自分をみてみたい。

世間は目に見えるものや理解できるものしか評価しない

目に見えないものを評価する生き方は寒山拾得は実践していたと思う。

本当の自分を追求することさえも捨てた方が生きやすいと

寒山拾得は伝えたように思う。

自分たちは常に何かに問いかけたり、答えを求めたり、意味を探し出す。

禅は意味は考えるな、目的も考えるな、今何をしていることさえも考えるな

すべて考えないことを考えなさいと言っている。

自分も考えないことを考えた結果描いた絵がこれ。

だから1点1点の関連性がない。

 

最新番組ブログ
    パーソナリティ
    • 黒木瞳
      黒木瞳
    • ルチア