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2023.06.05

元車いすプロテニスプレーヤー 国枝慎吾さんが聞く「俺は最強だ」という座右の銘の意味とは…

スポーツ界のレジェンド!元車いすプロテニスプレーヤーの、

国枝慎吾さん登場。

東京パラリンピックでの金メダル獲得!

テニスの四大大会で50回の優勝。

数々の記録を打ち立てた国枝さんに

リオ大会後のスランプを乗り越えたお話、

自分との向き合い方、そしてこれからの活動について伺いました。

 

プロフィール コチラ

twitter コチラ

 

 現役引退、現在の生活

今年1月、世界ランキング1位のまま、現役引退。

自分自身、やりきったという達成感にあふれていた。

3月には国民栄誉賞を授与された。

自分は、先人の方々が用意してくれた場所で

車いすテニスを始めることができたので、

その方々とこの賞を共有して、みんなで喜んでもらえたらと思い、

この賞を受けることにした。

自分自身、引退してスポーツが好きだったと痛感している。

引退してからまず、車いすバスケを始め、

次に泳ぐことを始めた。

もともと泳げたが、車いす生活になってからプールにはいったら、

息継ぎができなくなっていて、さらに体のバランスも変わり、

上半身が重くなったことで、回転してしまったりしたこともあり、

水への苦手意識が強くなっていた。

今は平泳ぎ50m泳げるようになった。

もともとスポーツ少年だった。運動神経はいい方だった。

テニスしかみてこなかったので、

これからは自由に自分のやりたいことを広げていきたい。

 

 

現役引退の決意

リオでのパラリンピックではケガをし、成績を残せなかった。

東京パラリンピックがあったから、その挫折から復活し、

金メダルを獲得できた。

東京パラリンピックは、夢の舞台だった。

開催が決まったときから、そこに向けて、やってきた

8年の自分の思いが詰まった大会だった。

東京パラリンピックが終わった時に、

この先、これ以上の感動できる場面は

テニスというキャリアではやってこないと悟った。

東京オリンピック後、葛藤と戦いながらも、

ウィンブルドンのタイトルを獲っていなかったので、

ラストチャンスにかけようと、ウィンブルドンに挑み、優勝。

優勝してコーチやトレーナーと抱き合った瞬間、

「これで引退だ」というのが第一声だった。

車いすテニスを見てもらって、

こんなに激しく、面白いスポーツがあるのかと思ってもらいたい。

そして、スポーツとして見られたい、見に来た人の予想を

一歩上回るプレイというものを意識しながらプレイしてきた。

東京パラリンピックは無観客だったが、反響はすごかった。

プレイに対する感想があったり、プレイを観てくれたんだなと感じ、

それまでのスポーツとして見られたい、という思いはなくなり、

昨年は、ようやくテニスに集中できた。

 

 

テニスとは

テニスの試合時間は平均2時間。

しかし、打っている場面をつなげると30分ほど。

ポイントをとってからサーブを打つまで25秒ある。

その25秒で心を整える。その連続。

この間の使い方が結果を左右する。

「俺は最強だ」ということを座右の銘にしていてラケットにも書いてある。

サーブを打つ時に、「俺は最強だ」と思えるかどうかが

サーブの質を左右する。

緊張感といかにうまく付き合いながら、

「俺は最強だ」と思って入れるかどうか。

メンタルトレーニングをどれだけやっても、

心が強くなるという感じはなかった。

むしろ弱気の時の対処法を多く知ることだと思う。

たとえば自分は最強だと言い聞かせたり、

弱気の虫を払い落とすような動作をする。

そのほか、ルーティンを25秒間の間にして、

弱い気持ちが入らないようにする。

「俺は最強だ」と言う言葉を含め朝起きて何回も自分に言い聞かせる。

断言することで、自分がそのための努力をしているかと

自分自身に問いかけることになり練習の質が上がる効果があった。

 

 

車いすテニスと出会い

少年野球チームに入っていて野球選手になりたいという夢があった。

9歳の時に脊髄のがんで車いす生活に。

11歳の時、スポーツ少年だった自分に車いすのスポーツをやらせたいと

母に連れられ、コートに行ったのが車いすテニスとの出会い。

そんなにテニスに興味がなかったが、

初めて見たとき、「こんな激しいスポーツなのか、テニスすげー、

これだったらやりたい」と思った。

最初は週1回の習い事感覚だったが、

毎週うまくなっていく感覚が楽しかった。

高校1年のとき、海外にいき、世界ナンバー1の選手の試合をみた。

「自分はテニスで食べているんだ」という

にじみ出るオーラをみて鳥肌がたった。

いつかその選手と打ちたいと思ったのが、

パラリンピックを目指すきっかけになった。

リオまではずっとランキング1位の絶対王者で、

負けられないという思いがあり、辛かった。

挫折を味わい、挑戦者マインドに戻ったら、楽しくなった。

1位はしんどい。1位の選手は現状維持では抜かれてしまう。

アクセルを踏み続けて自分自身を変えていかないと

一気に追いつかれてしまう。そのことを意識していた

 

 

これからの夢・目標

1月3日、引退の最後の決意をしたとき、

富士山がきれいに見え、

テニスの山を登り切ったという思いになった。

下山を始めよう、

そして、下山の途中で何か見つかるかもと思った。

今は下山の最中。

いろいろな方で出会い、ヒントになるものを見つけ、

また新たな山を登りたい。今は視野を広げている最中。

テニスプレイヤーだったときは、次の試合など、

目標設定がとても楽だった。

現役をやめたら明確な目標が見つかりづらくなった。

目標を見つければ充実してくるとわかっているので、

今は目標を見つけたい。

まだそれは見つかっていない。いろいろ試している。

新しく熱をあるものを見つけたい。

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