私事で申し訳ありませんが、またまた休暇で訪れた道東の話ですが、いつか北海道に旅をしようかと思っている方の参考に少しでもなればと思います。
今回の旅で印象に残ったことは?というメールが届きましたが
網走で訪ねた「博物館網走監獄」が大変に興味深かったです。

高倉健さんの「網走番外地」のイメージで、重い罪を犯した囚人が極寒の中で収監されているという印象があるくらい。
そもそもなぜ明治時代にオホーツク海に面したかの地に刑務所ができたのか、また受刑者はどのような日々を過ごしていたのかなど様々な事がわかりました。
明治維新後の新政府に対する不満が膨れ上がり西南の役などの内乱が吹き荒れた世相の中で、多くの政治犯が続出し、国内の監獄では収容しきれなくなる状態までに。
一方で帝政ロシアは不凍港を求め南下政策を推し進める脅威の中で、日本は軍事的に北海道を守る必要に迫られます。
まずはまだ人がほとんど住んでいない地に道路を通し鉄道を敷かなければなりませんが、民間が請け負えば莫大な費用が掛かります。
そこで網走に大規模な監獄を作り、本土で収容しきれなくなった無期懲役などの重い刑に服している囚人1300人以上を送りこみ、網走から北見など道央への道の開拓に従事させました。
未開の原生林を切り開くだけでも相当な困難を伴いますが、食料の補給もままならない中、囚人は手足を鎖で繋がれた状態で作業にあたったそうです。
また看守もこの過酷な状況に本土から家族ともに移り住み、囚人の警備にあたりました。
その結果、網走は他の街と道路で繋がり、さらに鉄道、港、などが整備されます。
また監獄の職員の生活のために商人が網走に集まり街の発展につながっていったそう。
このような中で囚人自らが建設した明治時代の木造建築の施設の数々を山の中腹に移転し保存したのが博物館網走監獄だったのです。
ちなみに今の網走刑務所は網走川を渡ったところにありましたが、重罪人が収容されているイメージが今でもありますが、昭和43年以降は懲役8年未満の受刑者が入っているとのこと。
JR網走駅の駅名の看板は刑期を終えた受刑者が「横道にそれずまっすぐに生きていってほしい」という駅長の思いから縦書きになったという逸話あるそうです。
北の守りから始まった網走刑務所の様々な物語の一端を知った旅でした。
PS
釧路で入ったジンギスカンのお店は感動的においしかったです。
肉は野菜の上にのせて、焼くのではなく蒸すとよいと教えてもらいました。そうするとマトンもエゾシカも柔らかくでおいしくて。
貴重な命を頂いたという気持ちになりました。

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