学生時代までは有楽町駅に降り立った記憶がほとんどありません。
唯一覚えているのは、大学3年の頃に有楽町の「よみうりホール」で行われたハーモニカソサエティの演奏会の司会を担当したことです。
「へぇ、ここが『有楽町で逢いましょう』のところかぁ」と若干の感慨と共に駅に降り立ったアホな大学生ではなかったかと思います。
ご存じの通り今は「有楽町ビックカメラ」の建物は2000年まで「有楽町そごう」で、7階が「よみうりホール」でした(今でも元気に稼働中)。
1957年(昭和32年)に大阪が本拠地のデパート「そごう」が満を持して有楽町に進出することになりました。
しかし当時まだ戦後の闇市の雰囲気が残っていた有楽町駅界隈を、なんとか高級なイメージに変えようと有楽町を舞台にした小説や映画や番組を制作するなど大キャンペーンを展開したのです。
その一環として生まれた曲が魅力的な低音を持つ無名の新人、フランク永井さんが歌う「有楽町で逢いましょう」だった…という話はあまりにも有名ですよね。
この年の夏に私は生まれました。生まれたばかりの私の顔を見て祖母が「あらぁ!この子はフランク永井さんにそっくりやねぇ」と言ったそうな。
当時はまだ「この子、鶴瓶さんそっくり!」や「まるでガッツ石松さん!」という赤ちゃんの顔基準がなかったものでこういう発言になったのでしょう。
以来、「有楽町で逢いましょう」を歌うフランク永井さんのお姿をテレビで見るたび親からこのエピソードを聞かされ続けたのです。
そんな訳で、幼き頃からそこはかとない親しみを「有楽町」という街には感じてはいたのですが、地方に住んでいたせいもあり足を踏み入れることもなく、なんとなく歌の中だけの架空の街なのではとすら思っていました。
しかし社会人になって以来、有楽町駅までの定期券を使い続けて39年なのですからやはり縁を感じざるをえませんよ。
今回、そんな(どんなだ!)有楽町の新しい歌を作ろうという壮大な計画が立ち上がりニッポン放送でもお知らせが頻繁に流れています。
「有楽町で逢いましょう」と高田文夫先生が作詞をして鶴岡雅義と東京ロマンチカの皆さんが2004年に歌った「有楽町でまた逢いましょう」に続いて、新たに今の有楽町の街を歌にしてみませんかという訳です。
賞金はなんと100万円!「ええっ!」と思った方は「有楽町うたつくり計画」のHPをご覧くださいませ。
https://www.1242.com/project/yurakucho/
このサイト内の「有楽町ひとさんぽ」というコーナーでは有楽町にまつわる様々な分野の方々に私が次々とインタビューしていく模様をポッドキャストで聴くことも出来ますよん。
個人的にはクリーピーナッツのお二人のようなカッチョイイヒップホップで有楽町を歌っちゃって欲しいなぁと思っているのですが、どうスかねぇ!

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