1998年生まれ、山形県出身の27歳。幼稚園から水泳を始めますが、小学生のとき進行性の目の病気が判明。両目とも視野の中心が欠けています。その後も高校3年生まで健常者のチームで水泳を続け、大学からはパラ水泳に転向。パラリンピックは2021年の東京大会、2024年のパリ大会に連続出場。パリではパラ水泳日本代表のキャプテンを務めました。去年シンガポールで行われた世界選手権では、リレー2種目で銅メダルを獲得。2年後のロスパラリンピックで、初のメダルを目指します。
◾️水泳が大好きで視力が悪化しても、健常者に交じって競技を続けた齋藤選手。日大山形高校3年生のときに、いったん引退。周囲の勧めで、筑波技術大学に進学、そこでパラ水泳に出会う。
「当時、お世話になってた先生がいらっしゃって、その方がパラ柔道のスタッフを帯同していたりとかっていうので、少しパラリンピックのことを色々教えてもらって」
「で、また、同級生でパラリンピックを目指しているような選手であったり、聴覚障がいのデリンピックを目指しているような選手もいたりっていう中で、障がい者スポーツの方をやった方がいいんじゃないかっていう風に提案をもらって、僕はそれが元々やっていた水泳で目指そうかなという風に思ったのがきっかけです」
◾️2018年、齋藤選手は、パラ水泳の選手として再びプールに戻ってきた。
「最初に出たのは2018年の春季記録会。3月の代表選考会って呼ばれてる大会に初めて出ました」
「当時の日本代表の派遣標準記録を、200メートルの個人メドレーで突破できたのがかなり大きかったかなと思います」
◾️国際大会にデビューしたのは?
「ワールドシリーズっていう、国際の記録会みたいな感じなんですけど。そこで僕は初めてパラの大会に出るっていうところで、クラス分けを受けないといけなくて。イタリアの国際大会、ワールドシリーズが初めて出た大会です」
「身体障がいの、例えば足がない選手、まひの選手であったりっていう、いろんな、いわゆる見て分かる障がいって言うんですかね、そういった方たちがすごく速いタイミングで泳いでいて。そこに衝撃を受けましたね」
◾️2018年。齋藤選手はアジアパラ大会で銅メダル3個。パンパシフィックパラ水泳大会で、金1個、銀1個、銅2個のメダルを獲得した。
「どちらの大会も世界レベルの大会ではなかったので、いけるぞ、って思って。調子乗るのは良くないなと思っていたので、そこはちゃんと抑えてはいましたけど。アジアパラなんかはウズベキスタンの選手が弱視クラスで速いって言われている中で、3人いたんですけど、3人のうちの1人は倒すことができたっていうのは、自信にはなったかなという風に思います」
◾️そして2021年、念願の東京パラリンピック出場が決まる。
「2021年の選考会、5月か6月ぐらいにジャパンパラであったんですけども。その試合の直後に代表の発表があって」
「ほんとに出ちゃったなみたいな感じで、すごくほっとしたのを覚えています」
◾️東京パラリンピックでは5種目にエントリーした齋藤選手。結果は、男子100m背泳ぎが8位、混合4×100mリレーが5位でほかの3種目は予選敗退。メダルには手が届かなかった。
「めちゃくちゃ緊張して、ウォーミングアップからとんでもなく速いタイムで泳いでしまって。自己ベストに近いようなタイミングで泳いでしまったので、体的にもメンタル的にもとても緊張していたレースだったかなと思います」
「雰囲気にはちょっとずつ慣れていたんですけど。やはり大会を追うごとに無観客っていうのがすごく寂しく感じるような印象でした。」
◾️2024年、自身、2度目のパラリンピックとなったパリ大会。齋藤選手は、パラ水泳日本代表のキャプテンも務めた。
「キャプテンをしてみて、僕は個々の、個人種目と言われてる水泳の中でやることが増えるっていうのは負担かもしれないですけど、その分、楽しくパリのパラリンピックの代表期間を過ごせたかなという風に思っていて。特に、でも、意識していたことは……初出場の選手がどうしたら自己ベストを出せるかっていうのをちょっと考えていたかなと思います」
「キャプテンだから変わるっていうことは、僕はあまりない方がいいかなと思っていて、普段の自分のままいて、いつも通り周りには見せるっていうのを意識してました」
◾️パリでは6種目に出場した齋藤選手。個人種目は男子200m個人メドレーの8位が最高で、混合4×100mフリーリレーは6位だった。
「パリの選考会でとても悔しい結果だったので、それをなんとか挽回しようという風に気を張りすぎたのか、最初の方のレースで自己ベストが出なくて、ちょっとずっと悔しいレースだったんですけど」
「200の個人メドレーでかなりのベストタイムが出て、そこで予選も突破してっていうことで。このレース1本にすごく救われた大会だったかなと思います」
「リレーは出場チームが少なくて、いきなり決勝っていう形だったので。決勝の雰囲気を感じれる機会がもう1本増えるっていうのはいい経験をさせてもらったなと思います」
◾️去年は10月にシンガポールで行われた世界選手権に出場。7種目に出場して、100mバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎは3種目は日本記録を更新したものの8位。リレーは2種目とも3位となり、銅メダルを2個獲得した。
「正直言うと、普段パラリンピックでメダルを取ってる国っていうのが出場していなかったりしてたので、メダルという面ではすごくチャンスだったかなという風に思っていて。そのチャンスを逃すことなく生かせたのはすごく良かったかなと思います」
「僕自身、このシンガポールの世界選手権で予選と決勝を合わせて11レース泳ぎ切ることができて、すごく体的にはしんどかったれレース期間だったんですけど、それを乗り越えられる体力があるっていうのはわかったので。それをロスに向けてどういう風に活かせるかっていうのを、コーチと調整しながら挑んでいきたいなという風に思っています」
◾️目指すは、2年後のロスパラリンピック。齋藤選手に抱負を聞いてみた。
「ロスに向けては、まずは僕のポリシーとしては、見てくれる方が楽しめるレースにしたいと思っていて。特に地元の方なんかは後援会を作っていただいて、わざわざいろんな時間をとってもらって、パリのときはお世話になったので。精一杯、このまま複数種目で決勝進出、そしてメダルを取れるように頑張っていきたいという風に思います」

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