ニッポンチャレンジドアスリート

2026.02.02

三澤英司(パラアイスホッケー日本代表)

1973年生まれ、東京都立川市出身の52歳。北海道ベアーズ所属。17歳のときに悪性腫瘍のため右脚の股関節から切断。大学卒業後にパラアイスホッケーを始め、1998年、長野大会でパラリンピックに初出場。2010年のバンクーバー大会では、銀メダル獲得の快挙を成し遂げました。以降パラアイスホッケー日本代表の中心メンバーとして活躍。去年の11月に行われたミラノ・コルティナ大会の最終予選突破にも貢献。2018年の平昌大会以来、2大会ぶり、自身6度目のパラリンピック出場を決めています。

◾️17歳、高校生のときに、悪性腫瘍のため右足を切断した三澤選手。その後大学に進学、パラスポーツに出会う。

「もともと体を動かすことが大好きでしたので、何か始めたいという思いで、東京都の障害者スポーツセンターに行きました。で、自分に何かできることがないかを探したところ、車いすテニスがあるよということを紹介していただいて。国内の小さい大会で少し優勝するとかそのぐらいで、パラリンピック出場するまでのレベルにはいかなかったです」

◾️大学卒業後、三澤選手は当時「アイススレッジホッケー」と呼ばれていたパラアイスホッケーを始める。下半身に障がいがある選手が、そりに乗ってプレーするこの競技を始めたきっかけは?

「ちょうど1998年、長野でオリンピックが開催されまして、そのあとに長野パラリンピックが開催ということになりまして。パラアイスホッケーも日本代表として初めて出場するということを聞きまして、まだ日本代表候補を募集していた時期でしたので、ちょっと私もチャレンジしてみたいと思いがありまして、自分から練習場所を聞いて参加したのがきっかけになります」

◾️当時日本には、パラアイスホッケーの競技経験者は、ほぼいない状況で、三澤選手は初代日本代表のメンバーとなり、まさにゼロからのスタートだった。

「まだ日本代表としてのパラアイスホッケーができつつある、という状況で。みんなで作り上げる、という状況でした」

◾️1998年、三澤選手は長野パラリンピックに出場。しかし世界の壁は厚く、日本は5位に終わった。

「長野パラリンピックで一番印象に残った瞬間なんですが、初戦がノルウェー戦だったんですね。まずロッカールームから、長い細い通路を渡って会場に入るんですけれども。会場に入るに従って、お客様の声が、拍手、声援がどんどん大きくなっていって、リンクに入った瞬間、横断幕を持って『ミサワがんばれ』という札を掲げて、別世界のような瞬間でした。今でも忘れません」

「ノルウェー戦の初戦のリンクに入った瞬間は、もう自分の障がいのことは一切忘れて、自分に自信が付いた一瞬になりました」

◾️長野パラリンピックの後、2002年のソルトレイクシティ大会も5位に終わったパラアイスホッケー日本代表。チーム強化のため、アイスホッケー指導者・中北浩仁監督が就任。2006年のトリノ大会は5位だったが、地道な指導が実り、2010年バンクーバー大会で、日本代表は初の決勝トーナメント進出を果たす。準々決勝を突破、準決勝では開催国で優勝候補のカナダを下し、歴史的な勝利を飾った。

「終了のブザーが鳴った時はほんとに信じられないという気持ちでした。まさか決勝に進めるなんて夢にも思ってなかったですので。ほんとに試合が終わった瞬間はすぐにリンクに出て、みんなと喜びを分かち合いました」

◾️続く決勝はアメリカに敗れたが、日本代表はパラリンピック初の銀メダルを獲得した。

「私個人的には、金メダルが取れずに悔しかったということよりも、自分が思うようなプレーが決勝戦でできなかったということの方が悔しくて、そっちの方が印象に残っています」

「バンクーバーの前の大会のトリノ大会で、かなりチームとして悔しい、悲しい結果となりましたので、その悔しさから『みんなでバンクーバーではいい結果を目指そう』ということで、ほんとに頑張ってきましたので、銀メダルというご褒美をいただいたという心境です」

◾️バンクーバーパラリンピックで、歴史的な銀メダルを獲得した日本代表。しかし大会終了後、主力選手の多くが代表を退いたため、戦力が大きく低下。続く2014年のソチ大会は予選で敗れ、本大会出場を逃した。

「かなり体力を使う競技ですので、続けることは自分としての確かな目標ですとか、目指すべき目標がないと、なかなかずっと続けるのは難しい競技かなとは思います」

◾️平昌大会出場を懸けた最終予選で、三澤選手は相手のタックルを受けて左鎖骨を骨折。しかし驚異的な回復力で、平昌大会直前に復帰。自身5度目のパラリンピック出場を果たした。平昌大会では8位という結果に終わったパラアイスホッケー日本代表。しかし、三澤選手には忘れられないシーンがあった。

「苦労して平昌大会の出場権を勝ち取った仲間と、一緒に入場行進できたことが、印象には残っています」

◾️2022年の北京大会は、再び出場を逃したパラアイスホッケー日本代表。しかし、当時10代の伊藤樹選手、森崎天夢選手、鵜飼祥生選手という3人の若い力が加わり、日本代表は再び活気を取り戻した。今年3月に開幕するミラノ・コルティナパラリンピックの出場権をかけて、ノルウェーで行われた最終予選。

 三澤選手と伊藤選手が相手にプレッシャーをかけ、相手からパックを奪った伊藤選手がゴール前にパス。キーパーが弾いたところを、キャプテンの熊谷昌治選手がゴールに押し込み、日本はパラリンピック出場に望みをつないだ。

「スロバキア戦で逆転勝ちしたときのディフェンスにですね、ベテランの須藤選手、熊谷選手が後ろでちゃんとしっかり見てていただいて。私たちがプレッシャーをかけるのを後ろでしっかりベテラン勢が冷静に見ていて、決勝ゴールにつながったとは思います」

◾️いよいよ間近に迫ったミラノ・コルティナ・パラリンピック。予選リーグ、日本はチェコ・スロバキア・カナダと同じグループBで戦う。

「まずは初戦のチェコですね。初戦のチェコに勝って、勢いをつけて。スロバキアに勝って、上位2チームとして決勝ラウンドに進みたいですね」

「スロバキアはこの間の最終予選の結果で逆転勝ちはしているので、勝算はありますが、チェコとはしばらく対戦してないですし、今度のイタリア遠征でどこまでできるかで、かなりわかるんじゃないかとは思います」

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