1999年生まれ、熊本県出身の25歳。小学生のときから地元・熊本のクラブでサッカーを始めますが、中学1年生のときに視界の中心が見えにくくなりました。弱視の状態ながら独自の工夫でサッカーを続け、地元の強豪・東海大星翔高校に進学。卒業後、弱視の選手がプレーする「ロービジョンフットサル」を始めました。その後、日本代表に選ばれると、2019年、代表デビュー戦で大会6ゴールを決め、国際大会でゴールを量産。現在は日本代表のキャプテンとして、11月にトルコで行われる世界選手権で活躍が期待されています。
◾️中学生になると目が見えにくくなってきた赤﨑選手。目が見えにくくなっても、工夫をしながらサッカーをプレーした。
「視界の真ん中と少し、その真ん中とちょっと上気味、上ら辺が見えづらいっていう見え方で。それ以外の周辺視野っていうのは、割とはっきり見えているので、ちょっと目線をずらして周りの視野でボールを見るっていう風な見方でサッカーを続けてましたね」
◾️高校は地元・熊本の強豪校、東海大星翔高校に進学。3年生のとき、熊本県総合体育大会でベンチ入りした。
「高校生活でも高いレベルでサッカーを続けたいなと思っていたので、東海大星翔に進学することに決めましたね」
「自分が目が悪い、目が見えづらいということがあるにせよ、できることは他にもたくさんあって。その部分でベンチ入りっていう形になって、メンバーに入ったっていうのはすごく自分にとっては嬉しい経験ではありましたね」
◾️高校卒業後、盲学校に進んだ赤﨑選手は、ロービジョンフットサルと出会う。
「盲学校の先生にこういう競技があるよ、っていう風に勧められて始めました」
「それまで実際フットサルにもあまり触れたことがなかったですし、自分と同じ視覚障がいを持った方々、なんなら僕よりも見えづらい方々と一緒にプレーするとか、生活するっていうのもやったことがなかったので。どうコミュニケーションを取ろうだとか、どういうことが自分に求められているのか、とかっていうのが最初はすごく戸惑いましたね」
◾️競技を始めてすぐに強化選手に指定された赤﨑選手は、2019年8月、スペインで行われたアンダルシア国際フットボール大会に日本代表として出場した。
「初めての国際大会っていうこともあって、ものすごく日の丸の重みを感じたの覚えてますね」
「チームとしても、攻撃の面でも引っ張るっていう役割を任されていたので、そういう面でもだし、初めてだったっていうこともあって、プレッシャーはかなり感じてたのを覚えています」
◾️代表デビュー戦となったこの大会、赤﨑選手は初戦のアンダルシア自治州戦でいきなり3ゴール。チームは敗れたが、ハットトリックを決めた。スペイン戦でも3ゴールを決めて、日本の初勝利に貢献。ヨーロッパ勢を相手に日本代表が勝利したのは初めての快挙だった。
「初戦のハットトリックっていうのは、僕もびっくりしましたね」
「(スペインは)すごく強い国で、フットサルも盛んな国っていうのはあるんですけど、僕たち日本代表チーム、そういうことに惑わされず、自信を持って試合に挑むことができたっていうのが大きかったのかなと思います」
「スペイン戦での勝利っていうのはそうですね。歴史的にもヨーロッパ勢の初勝利っていうのは、チームとしての自信になりましたね」
◾️代表デビュー戦となったアンダルシアの大会から4ヵ月後、赤﨑選手は2019年12月、トルコのアンタルヤで行われた世界選手権にも日本代表として出場。この世界選手権には、日本のほか、イングランド、イタリア、ロシア、スペイン、トルコ、ウクライナの7ヵ国が出場。総当たりのリーグ戦で、赤崎選手は6試合中4試合でゴールを決め、通算7つのゴールをマーク。しかし、チームは6戦全敗だった。
「7ゴール決めたけど、1勝もできなかったっていうことに関しては、自分はゴールを決めるだけじゃなくて、その先のチームの勝利っていうのを導くっていうのも自分の役割であったので。その部分ができなくて、すごくすごく悔しかったのを覚えていますね」
「世界で勝つために必要なものは、守備面での強化っていうのを感じましたね。自分は攻撃的な選手ではあるんですけど、守備面でもしっかり僕も含めて各自リーダーシップを取って、組織的に守る。守らないといけないっていう課題が出ましたね」
「サッカーをしていたときのサイドバックでの経験、その守備での経験っていうのは、今やってるロービジョンフットサルでもすごく生きてると思います」
◾️トルコでの世界選手権から4年後、コロナ禍が明けた2023年、イギリスのバーミンガムで世界選手権が行われた。グループBに入った日本は初戦、0対3でウクライナに敗れたが、2戦目はトルコに2対1で勝利。2点とも赤﨑選手のゴールだった。準決勝に進出した日本は、ホスト国・強豪イングランドと対戦。1点を追う試合終了直前、赤﨑選手は値千金の同点ゴールを決めた。試合は同点のまま、PK戦に突入し、4対5で惜しくも敗れた日本。3位決定戦ではスペインに0対9。メダルはならなかった。
「4位っていう結果なんですけど、その結果の通り、世界のトップの国に対しても、まだまだ力が足りなかったなという印象でした」
「世界に対する日本代表の立ち位置っていうのを改めて見ることができましたね。差はまだありはするけど、遠く及ばないほどの差ではないなっていう風に感じました」
◾️今年は11月6日〜16日に、トルコのアンタルヤで世界選手権が行われる。世界選手権はインターネットでも配信される予定だ。
「11月6日からトルコのアンタリアで開催されるIBSAロービジョンフットサル選手権2025に挑戦することになりました」
「ロービジョンフットサル日本代表初のメダル獲得であったり、その先の世界一っていうのを目標に全力で世界に挑みます」
◾️赤﨑選手にとって、ロービジョンフットサルの魅力とは?
「視覚に障がいを持っている選手が、本当に様々な見え方の選手がいて。その選手1人1人の力を合わせて、それぞれの見えない部分を補っている。その中で全力で勝利を目指していくっていうのが魅力なのかなと思います」

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